十二代 甚五郎の章

第94話 明治の体質


 


 1900年(明治三十三年) 五月  東京府井上馨邸




「閣下!厚かましくも参上いたしましたぞ!」

 井上馨邸の洋室のドアを勢いよく開けた児玉源太郎は、豪快に笑いながら室内に入って来た。

 ソファに座っていた益田孝は、噂に聞く陸軍中将の姿を見て頼もしく思った。


 ―――さすが軍人だな


 厳めしい顔つきをした児玉は、笑うといかにも男らしい頼もし気な雰囲気のする男だった。

 この日、井上邸には益田孝の他、鈴木藤三郎、ロバート・W・アーウイン、渋沢栄一、山本達雄など錚々たる実業家たちが顔を揃えていた。


「やあ、児玉君。待ってたよ。ちょうど皆さんお揃いだ」

 井上がそう言って席を勧めると、児玉は一礼して席に着いた。

 この日は、児玉源太郎の懇願により井上馨が集めた会合だった。



 児玉源太郎は長州出身で、明治維新以来の台湾出兵や西南戦争、日清戦争などに転戦した筋金入りの軍人だ。この時陸軍中将の地位にあった児玉は、二年前の明治三十一年から台湾総督を務めていた。

 井上はかねて児玉から依頼されていた件を実業界に諮るべく、児玉の上京に合わせて実業家たちに声を掛けていた。


「さて、台湾製糖会社についてだが… 皆さんはどう思うかな?」


 児玉が井上に懇願した事はこれだった。

 台湾総督の児玉は、台湾のインフラ整備と共に産業育成に力を入れていた。

 小麦や米の生産は既に始めていたが、今回新たに砂糖製造会社を台湾に立ち上げたいと考えていた。


「台湾を日本の植民地として行くのなら、台湾製糖は大いに値打ちがありますな。

 移住した日本人の仕事を世話するのに、サトウキビ畑ならばちょうど良い。いくら植民しても仕事が無ければ日本人が根付くはずはありません」

 益田孝は真っ先に賛成した。砂糖は当時の日本にとってまだまだ輸入品の一つであり、日本領地内で生産できるのならその方が望ましいと考えていた。


「お話を頂いていたのでヨーロッパからの帰りにジャワと台湾を少し覗いて来たのですが、台湾はジャワよりも緯度が高いので生産するなら歩留まりは一分二分ほど少なくなると思いますよ」


 鈴木藤三郎が砂糖の製造についての意見を述べる。鈴木は氷砂糖の製法を発明し、日本製糖業の父と呼ばれた実業家で、今回の会合の技術的側面を意見する立場だった。


「しかし、産業として砂糖製造はいいですよ。重工業ほどカネがかからないし、輸入を抑制するのにも効果的だ」


 続いてアーウィンが発言する。

 アーウィンはハワイ駐日公使を務めた経験があり、ハワイへ移民した日本人にサトウキビ畑を作らせていた為に製糖産業がいかに資金効率がいいかを熟知していた。

 そのため、アーウィンは真っ先に台湾製糖設立に賛成した。


「日銀としてもその方がいいですね。今は輸入を抑えて輸出を増やさねばなりません。

 今のままだと金貨が流出する一方です」

 最後に山本達雄も賛成した。

 山本は明治三十一年から日銀総裁を務めており、緊縮財政によって輸入を制限し、輸出を奨励することで金貨の流出を止めて正金を獲得しようと動いていた。



 五年前に日清戦争は集結し、日本は三千五百万ポンドの賠償金を得た。

 明治四年の新貨条例以後、価値の基準を金貨に置いて来た日本だったが、実際には金貨の準備不足によって補助貨幣である銀貨が主に流通していた。

 その為、日清戦争までの日本は国際貿易にも銀を使っていたが、これは輸入に不利だった。


 金本位制下のヨーロッパでは年々金高銀安となっており、言うなれば日本円銀貨は国際的に円安傾向にある。

 輸出産業が主ならば円安は収入の増加につながるが、明治の日本は圧倒的に輸入超過だ。

 そのため、舶来品の価格が高止まりしていた。銀を使って金を求める必要があったためだ。


 日常の食料品や日用品ならばそれでも問題はないが、重工業を興すための機械設備や技師の招聘などには多大なカネがかかる。それらは日本の財政を圧迫する要因になっている。


 日清戦争で賠償金を得た日本は、その資金を元に金準備高を上昇させ、本来の金本位制に復帰する。

 金本位制に復帰したことでお互いに金貨を使うために、ヨーロッパ諸国との為替変動が無くなり、名実共に日本は列強の仲間入りを果たした。


 しかし、為替変動が無くなったために輸入超過でカネが流出すればそれはそのまま日本の富が海外に流出する事になる。

 その為、日銀総裁になった山本達雄は、輸入品を国内生産するという事を歓迎した。



「では、台湾へはウチの長井を送ります。現地調査の案内を頼みます」

 益田がそう言うと、児玉は委細承知したと言ってこの日の会合は別れた。




 1900年(明治三十三年) 十月  台湾総督府 総督室




 鈴木藤三郎、山本悌二郎、長井実の三人は益田孝の指示で台湾視察にやって来ていた。長井実は三井で益田孝の秘書を務める男で、今回の現地調査の経済方面の調査を担当している。

 経済方面とは、要するに商売になるかどうかを調査するという事だ。


「で、どうだった?視察の方は」

 児玉はジロリと長井の目を覗き込んだ。台湾総督としては、台湾に企業が進出してくれなければ産業を興すことが出来ない。

 児玉にとっても重要事だ。しかし、長井の返答は児玉の期待とは違うものだった。


「商売としてはちと厳しいですね。台湾で事業を興すのは難しいでしょう」

 長井の言葉に、児玉が目を剥いて怒声を発する。


「お主ぁ何を調べにきおったんだ!」

「何って… 益田から言われて商売が成り立つかを調べに来たんですよ」

「んで、何が駄目だと言うんか!」


 長井は軍人の気迫を前に背筋に冷や汗をかいたが、それでも損をすると分かっていて商売をするわけにはいかない。

 ぐっと腹に力を籠めると、毅然として反論した。


「治安ですよ治安。この十日間、確かに私は色々と見て回れました。ですが、調査には常に警官が護衛について回り、宿泊は交番で寝泊まりし、護身用にピストルを持ち歩かなければいけない。

 これでは商売どころではありません。実際に企業が進出したとして、その従業員全員に護衛を付けて回るなんてできないでしょう?」


「治安の方は俺の仕事だ。二~三年のうちに必ず何とかする」

「それでも、商売になるかどうかはわかりませんね…」

「馬鹿者!」


 再びの児玉の叱責に、長井は思わず背筋を伸ばす。


「出来るか出来ないかではない。やる事は決まっている。どうしたらやれるか、それを考えてくれと言っているんだ」


 こうなれば言いたいことを言ってやると肚を決めた長井は、キッと児玉を睨み返した。顔に力を籠めても、手がプルプルと震えている。腹も痛くなってきた気がする。

 だが、言わねばならんと気力を振り絞った。


「……事業という物は儲からなくてはいけません。損をするとわかっているのに商売をやる馬鹿はいないでしょう。

 どうしても製糖業をやるというなら、資本家に損をさせないようにしなければいかんでしょう」

「だから、損をさせないようにするにはどうすればいいと聞いているんだ」


「例えば、総督府が八分なり一割なり補助をして、損をさせないように補填するとか…」

「よろしい。補助しよう」


 児玉の即答に長井も面食らった。まさか補助金の案がそのまま通るとは思っていなかった。


「あの… 本当に補助金を?」

「ああ、補助しよう。なんとしてでも台湾を開発せねばならんのだ」

「帰って益田にその旨報告してもよろしいのですか?」

「かまわん。その代り、必ず台湾で製糖業を興してもらいたい。いいな」


 児玉の迫力に押されて、長井はコクコクと頷くだけだった。しかし、この長井の機転によって台湾製糖は国策会社となり、資本金に年六分の補助を受ける事が決まった。

 日本に戻った長井が復命すると、三井内部の反対派も沈黙した。

 元々治安の悪さを理由に台湾製糖に否定的だった中上川も、補助金が出るならばと事業にゴーサインを出した。


 この結果を受けて鈴木藤三郎を社長とし、山本悌二郎を支配人として台湾製糖が創業される。

 台湾製糖の生産する砂糖は、三井物産の一手販売として日本国内に販売された。


 日清戦争前後の日本は、軍事においても経済においてもすべからくこの方針だった。


『富国強兵と殖産興業は、やる事は決まっている。出来る出来ないではなく、どうすれば出来るのかを考えろ』

 考えようによってはこの上なく厳しい、しかし一面ではやりがいに満ちた時代でもあった。そして、そのために国家も国民も必死になって考え、実行した。



 後に台湾製糖は、相馬半治が同じく台湾で興した明治製糖、さらには鈴木藤三郎が日本国内で経営していた日本製糖と合併して『ばら印』の砂糖でおなじみの大日本明治製糖という製糖会社となる。

 さらには明治製糖から製菓部門、乳業部門が独立し、明治製菓、明治乳業として分社化していく事になる。




 1905年(明治三十五年) 八月  滋賀県蒲生郡八幡町 西川商店




「長い間ご苦労だったな」

 十二代目を継いだ西川甚五郎は、退役登を迎えた店員たちを前に慰労の宴を開いていた。

 店員たちも口々に「こちらこそお世話になりました」と挨拶をする。


「で、皆はこの後どうする?独立するか?」

「いいえ、皆別家として西川商店に残ろうと話し合っておりました」

「そうか。では、これからもよろしく頼む」


 そう言って再び甚五郎は皆に頭を下げた。


 江戸時代からの奉公人の制度は店主・店員という制度に整備されたが、登や年季といった勤務慣習は未だに残っていた。

 退役登を済ませれば独立する事が出来るのも変わらない。

 だが、この頃には既に退役して暖簾分けを受ける者はほとんどおらず、退役後も出勤別家として西川商店に残る道を選んでいた。

 その為、西川商店でも別家とは重役の肩書名のようになっており、昔のように別家の度に資産を分けるという事も無くなっていた。


 西川商店でも規模の拡大によって従業員数は慢性的に不足してきており、経験を積んだ店員が重役として居残ってくれることは有難かった。

 本格的な近代資本主義社会において資本の分散を意味する暖簾分けは既に時代にそぐわなくなってきており、誰よりも店員自身がその事を感じ取っていた。



 二年前の義和団事件以後、日本は南下政策を取るロシアとの対決姿勢を鮮明にし、この年の二月には日英同盟を締結する。


 ボーア戦争で莫大な戦費をつぎ込んだイギリスは、アジアの植民地にまで手が回らなくなっており、またロシアに清の権益を食われては困るという事情もあった。

 そこで、極東の日本に白羽の矢を立て、イギリスのアジア権益を守るために日本との同盟を行った。

 イギリスにとって日本は、極東の野蛮なサルから気を使うべき友人へとその立場を変えていた。


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