第86話 殖産興業
1877年(明治十年) 一月 清国 上海港
「ふう… やれやれ、ようやく着いたか」
船から上海港に降り立った渋沢栄一は船旅で溜まった憂さを晴らすように大きく伸びをした。
「上海まで五日で着けるようになるとは、いやはや汽船とはすごい物ですね」
渋沢の隣で益田孝が感心したように声を上げる。大きなトランク一つを手に持って同じく上海港に降り立っていた。
「ええと、迎えの者が来ているはずですが…」
もう一人の同行者である大蔵省銀行局長の岩崎小次郎が辺りを見回す。と、港の出迎えの人だかりの中に『笠野商店』と大書された板切れを頭の上に掲げている男が目に付いた。
「ああ、いたいた」
岩崎がその男に近付くと、二~三言葉を交わした後に男を伴って渋沢の元へ戻って来た。
男が渋沢の荷物を持ち益田と岩崎はそれぞれ自分で荷を運びながら、男の案内で待機させてあった馬車へと向かう。
上海での宿泊先である笠野商店へと向かう馬車だった。
笠野商店を経営する笠野熊吉は、北海道の昆布やナマコなどの物産を上海へ持ち込んで販売していた。
元々は長崎で同じ商売を行っていたが、開国と維新によって海外渡航の道が開かれ、それならばと体一つで海外の販売ルートを開拓しに上海へ渡ってきたのだった。
1877年(明治十年) 一月 清国上海 ブリネ商会事務所
「やあ、トクベエ。突然訪ねてくるから驚いたよ」
「久しいな、ブリネ。今は益田孝と名乗っているんだ」
「そうか。じゃあ、これからはタカシだな」
上海で商会を経営するスイス人のブリネが、笑いながら益田孝の肩を叩いて久闊を叙す。益田孝とブリネは旧知の間柄だった。
元々ブリネは明治初年の日本でウォルシュ・ホール商会という貿易会社に勤めていた。一方の益田は、当時中屋徳兵衛を名乗ってウォルシュ・ホール商会の事務員として働いている。
つまり、ブリネと益田は机を並べて共に働いた仲だった。
ブリネが事務所の応接室に益田を通して、手ずから紅茶を淹れてくれた。事務所と言っても貧相なボロ屋で、事務員一人も居ない小さな商会だ。
応接用のソファも木に革を張っただけの粗末な物だったが、益田は一向に気にした様子はない。日本の商会事務所も多くは似たようなものだった。
「しかし、トクベエ… いや、タカシが訪ねてくれるとは驚いたよ」
「なに、たまたま上海に来る用事があったからな。それより商売の様子はどうだ?」
「ははは、ご覧の通りさ。早く事務員を雇えるくらいに儲けを出したいと思っているけどね」
「そうか…」
益田は少し俯いて考える素振りをしたが、顔を上げるとブリネの目をまっすぐ見て話し出した。
「実は、ブリネを見込んで頼みたい事があるんだ」
「一体なんだい?改まって…」
「実は日本政府は三池炭鉱の石炭を海外に売りたがっていてね。我が三井に原価で卸すから海外でのビジネスの絵を描いて欲しいと伊藤(博文)さんから打診を受けている。
そこで、上海で石炭を売るビジネスを始めたいんだ」
興味を惹かれたのか、ソファに深く腰掛けていたブリネが思わず前に身を乗り出す。
『商売人の嗅覚』というやつはいつの時代、どこの国でも共通言語になり得た。
「要するにその石炭を私に売れと?」
「そうだ。三井物産の上海代理店として石炭の売捌きを頼みたい」
「しかし、私もいつまで上海に居るかはわからないし…」
「長くは頼まん。そのうちに日本から人を寄越すから、その時は君の店の一室を貸してもらいたい。
なに、机一つの場所を貸してくれればいいから」
そう言いながら益田が事務所の中に視線を回す。事務所は三室に分かれていて、奥の一室には机が二~三ほど置けるスペースがあった。
在庫を抱えるリスクは三井物産がやがて引き継ぐのだから、ブリネとしても悪くないビジネスだった。
しばし考える素振りをしたブリネは、やがて「わかった」と返事をして右手を差し出す。
益田はブリネの手を固く握ると、そのまま詳細の打ち合わせをして事務所を後にした。
実は今回の上海行の目的は、対清借款の交渉の為だった。
しかし、三井物産にとっては石炭ビジネスによって海外進出の第一歩を踏み出すきっかけになった。
富国強兵策を取る日本において、米と絹以外の産業を興すことは喫緊の課題だった。
益田は帰国するとすぐに上田安三郎を上海に派遣して三井物産の上海支社を立ち上げる。
翌明治十一年には香港とパリに、十二年にはニューヨークとロンドンに支店を開設する。
これらの海外支店の多くは、海外貿易のノウハウが確立していないために赤字を出して多くは撤退していったが、ロンドン支店はその後も維持し続けた。
そして、上海・ロンドンの各支店の経営を通じて三井は貿易業務に不可欠な国際海運や保険のノウハウを蓄積し、また世界の金融センターであるロンドンでの信用も積み重ねることができた。
明治初年の小さな日本が、身の程知らずにも世界の商業界相手に勝負を挑んだのが明治十年代という時代の様相だった。
1878年(明治十一年) 七月 滋賀県蒲生郡八幡町 西川商店本店
「失礼します」
西川甚五郎の妻、恵美が主人の私室の扉を開ける。
室内では夫の甚五郎が書状を前に難しい顔をして座っていた。
「お茶をお持ちしましたよ」
「…………ああ、すまない」
声を掛けてから優に二分程経ってからようやく返事があった。よほど難しい考え事をしているのかと恵美は訝しがった。
「何かお商売で難しい事でもありましたか?」
「わかるか?」
「ええ、それはもう。あなた様がそういう顔をしている時は、たいてい何か大きな事を仕出かすときですからね。
突然大坂に店を出すと仰った時も…」
「わかったわかった。ありがとう」
長くなりそうなので途中で話を切り上げて妻を下がらせる。
恵美は不満顔だったが、仕事の邪魔をしてはいけないと大人しく下がった。
―――最近ロクに話もしてやれていないな
甚五郎も内心申し訳なく思ったが、しかし今は思案に没頭しなければならない。
―――直廻し… か。
西川商店では、大阪や滋賀で買い付けた荷を一旦八幡の本店に集約し、本店から東京や大阪の各店に分配していた。
だが、昨年の西南戦争で特に九州方面からの青莚の仕入れが一時困難になった。
また、軍事用の物資に船を取られて海運費も値上がりしていた。
東京・京都・大阪の各店では海運業者が独自に買付けて卸売りをする商品を取り扱いたいと願い書が出ている。
船主が自分で荷を廻すためにこの卸売りを直廻しと言った。
―――確かに、本店買次に拘れば物の値を無益に高くしてしまう
売値が上がれば商店の競争力も失われるし、人々も無駄に高い商品を買わなければならなくなる。
良い事など何一つ無かった。
―――それよりも、八幡に新たな産業を興さねばならん
甚五郎は切実にそう思った。
元々八幡の地場産業だった蚊帳は既に長浜や福井県にその産地の地位を奪われ、八幡町で蚊帳販売を行っている店はわずか五軒にまで減っていた。
残った店もいつ撤退しようかと思案している所だと聞く。
伝統ある蚊帳も未だ扱い続ける気概を持つのは西川商店と扇屋の二軒くらいのものだった。
三井、三菱、古河、久原…
日本の名のある金持ちは皆商社を立ち上げ、産物を日本はおろか世界中から買い集めている。
同時倒産を防ぐ為に分家・別家で商売の資本を分け続けて来た近江商人には『巨大資本』というものが存在しなかった。
このままでは八幡町は商売の第一線から撤退せざるを得なくなる。
新たな地場産業の育成は急務だった。
西川甚五郎は各支店からの願いを容れ、割安なものに限って直廻し品を直接買い付ける事を許可した。
この措置によって西川商店各店は独自の仕入れ・販売網を持つ独立した商店として成長を迎えて行く。
後に東京西川・京都西川・大阪西川に分社する兆しが見え始めていた。
1879年(明治十一年)八月 滋賀県滋賀郡大津町 滋賀県庁
「国立銀行設立願いが却下された…?」
西川甚五郎は滋賀県庁の応接室で県令の籠手田安定から銀行設立願い書の返却を受けていた。
「大蔵省から大隈卿の名前で願い書を却下する旨郵便がありました。今国立六十四銀行が八幡支店の出店を計画していますので、そちらの株主となるようにとのことです」
籠手田が申し訳なさそうに甚五郎に頭を下げる。甚五郎は返却された願い書を前に西川貞二郎の顔を思い出していた。
明治四年の国立銀行条例施行後、日本中で各地の資産家が出資して国立銀行が次々に設立された。
七十七銀行や十八銀行などの『数字地銀』は、この時に設立された国立銀行が後に民営化されたものが現在まで残っている。
西川貞二郎は八幡商人個々の資本力不足を解消するため、八幡の豪商達の資本を銀行という入れ物に集約して三井や安田、三菱などの巨大資本に対抗できる商業集団を創り上げようと企画していた。
だが、大津に本店を置く第六十四国立銀行が八幡町に支店を開く計画があり、貞二郎以下六名が連名で提出した国立銀行設立願いは却下される。
発起人である貞二郎は願い書を提出した後に再び北海道へと旅立っており、二番目に署名していた甚五郎が代わりに結果を聞きに来ていた。
「しかし、六十四銀行は大津の銀行です。資金決済などは出来るとしても、やはり八幡を地盤とする銀行を設立したいのですが…」
「一旦却下された以上は国立銀行設立は難しいでしょう。どうしてもというなら、いっそ三井のように私立銀行を設立されるしかないですな」
籠手田も申し訳なさそうな顔をして提案する。
国立銀行は大津や彦根・長浜に設立されているが、それらはいずれも明治維新時に官軍に参加した藩の本拠地だったところだ。
要するに薩長派閥による忖度が働いていた。
もちろん、単純に資本を集約するという目的の為だけならば籠手田の言うように六十四銀行の株式に出資すればいい。だが、甚五郎はそれでは八幡商人の資本が他郷に流れるだけだと思っていた。
徳川の御世と違い、八幡町はすでに近江一の商業都市では無くなってしまっている。以前のように他郷の事を心配している余裕は今の八幡町には無かった。
―――八幡の金は八幡の復興の為に使いたい
それが甚五郎の本音だった。
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