四代 利助の章

第42話 もう一つの近江商人


 


 1683年(天和3年) 秋  江戸駿河町 越後屋




「京からの呉服はまだ届かぬか!?」

「明日には到着するでしょう!お客様には申し訳ないことながら、改めて明日来ていただくようお願いするしかありません!」


 越後屋の店内で江戸支配人の高富と手代の理右衛門が怒鳴り合うようにして話している



 前年の天和二年に江戸を襲ったお七火事とも呼ばれる『天和の大火』で江戸は甚大な被害を受けた

 天和二年十二月二十八日の正午頃、本郷駒込の大円寺から出火した火事はからっ風にあおられて浅草・神田・日本橋地域から本所・深川まで焼き尽くした

 本町一丁目も被害に遭い、古参の呉服商達諸共越後屋も焼けてしまった


 高利はこれを機に江戸店を駿河町(現中央区日本橋室町)に移転し、焼け野原の真ん中に間口七間余り(約13m)奥行き二十間(約36m)の巨大な店舗を再建した

 また、長兄俊次の興した釘抜越後屋もこの頃には経営が傾き、高利が引き取って一つの越後屋として統合していた



 駿河町移転は大成功だった

 開店当初から店には客が押し寄せ、他の呉服商達が未だ火事のショックで呆然自失の体であった最中にいち早く再開した越後屋の評判はうなぎ登りだった

 しかも『現金掛値無し』というキャッチコピーは既に江戸に浸透しており、安く良い品が沢山あると江戸中の大評判だった

 また、移転に伴って両替店も併設し、京からの仕入れ資金を決済する仕組みを整えていた



 店の様子を視察に来た高利も満足していた

 専属で雇った針子達も目の回る忙しさだったが、ここに来れば仕事があると奉公を希望する針子達が次々に訪れていた






「あんなでも意外と持っているもんですなぁ」

 店に訪れるみすぼらしい姿の客を見て、釘抜越後屋で手代だった男が周囲に軽口を叩く

 それを聞いた釘抜越後屋の番頭だった庄兵衛が手代の男を殴りつけた



「お前は一体何を見ている!彼らが買い求める為の銭がどういう物かわかっているのか!

 決して楽ではない暮らしの中で、可愛い子供達の為に、やり繰りに苦労する妻の為に、なりふり構わず働く夫の為に、愛する人達の為にコツコツと蓄えた大切な銭で買いにのだ!


 そんな事も見えていないから釘抜越後屋は潰れてしまったのがわからんのか!」



 店中の視線が庄兵衛に集まったが、高利は咎めなかった

 実のところ、庄兵衛に先を越されたと思っていた


 越後屋の店先で決して裕福には見えない子供が、仕立て上がった絹の晴れ着に袖を通して飛び跳ねて喜ぶ様を高利はいつまでも見ていた



 ―――若き日の夢がようやく現実のものとなった


 満足だった

 だが、まだまだ立ち止まるわけにはいかない

 この光景を日ノ本全てへ広げるまでは立ち止まるわけにはいかない




 1684年(天和4年) 春  近江国蒲生郡日野町




 日野は戦国の昔から日野椀と茶、酒造、鉄砲作りを業としていたが、蒲生氏郷が領国松坂・次いで会津に日野の商工業者を引き抜いてからは一時商業の火が消えたようになっていた

 氏郷が連れて行った日野塗の職人が会津塗を作り、その果実を受け取ったのが保科正之を藩祖とする会津松平家だったのは皮肉なことだったが…


 しかし、元々あった産物は消えたわけではなく、歴史の裏側で細々と行商を行い、財を蓄え続けていた


 正野しょうの源七げんしちもそういった行商人の一人だった


 源七の父は農地を耕す農民だったが、家の者には積極的に行商を行わせていた

 耕作のみではなく行商に人手を割けるほど、農民としては裕福な家庭だったと言える



「では行くか、源七」

「はい。叔父上」



 源七と叔父の大屋与三郎は日野椀と茶を担いで越後・信濃の山地へ行商を行っていた


「叔父上、八幡の大店主達は皆江戸へ店を構えておりますが、何故叔父上は越後・信濃に行商に行かれるのですか?」

「ん?八幡商人達の商いは巨大だぞ。何しろ、元々蒲生様の元で日野の商業を興された五井殿と時を同じくして商いを始めておるからの

 まして彼らは八幡町を本拠としてすでに百年に渡って蓄財しておる

 片や我らは五井殿を始め、大身の者達がこぞって松坂や会津へ行ってしまったからな


 先祖の蓄財をうらやむよりも、我らは人の目の向かぬ所へ足を向けるのだ」


「はあ…?」


 ―――わかったようなわからんような…



「ははは。今一つわからんという顔だな」

 内心を見透かされたかと源七は歩きながら顔を赤くした


「つまりだな、我らも同じように江戸へ行っては八幡の大店にはいつまで経っても追いつけんだろう

 それよりも、彼らが行かぬ所へ行けば、その分だけ我らの商いが伸びることになるというわけだ」

「…なるほど」


「うーむ…つまりだな、人がもうこれ以上は踏み込めぬ山の向こうへ行けば、そこには我ら以外の商人は居らぬというわけだ

 必然、その地の商いは我らの独り占めというわけよ」


「なるほど!」


「ようやくわかったか。だからこそ、山深い信濃や越後の山地、さらには甲斐にまで我らは出向くのだ」



 八幡大店と言われる八幡商人達は江戸時代初期から江戸に大店を構え、成長する巨大都市江戸と共に成長してきた

 しかし、デフレ経済下の延宝年間においては元和・寛永期ほどに大きな商いは期しがたい

 そこで、日野商人達は他郷の商人が嫌がる山奥へも積極的に出向き、海運によって廃れ始めた陸運流通を再び活性化させた



「近頃では京・大坂から日野椀や茶・酒を買いに来る商人も増えた

 それに我らは大当番仲間で助け合っておるからな。行商の先行きに茶店や定宿を融通しあっている

 商人同士で助け合っていけば、自ずと商いは大を為すだろう」




 延宝八年に日野の行商人たちで大当番仲間という仲間組織が結成された

 これは日野商人たちによる合資会社の走りだった


 大当番仲間は各街道の定宿を共有することで各地へ行商する商人の便宜を図る特約宿場制度で、行く先々で飛脚や馬喰などの用を頼めた

 そのため、国元から銀子を取り寄せたり、急ぎの荷を預けて本人はそのまま行商を継続したりといったことが可能になった


 また、諸国に渡って行商をする関係上、幕府天領もあれば諸大名の領内で商売をすることもあり、守るべき法度が多岐に渡った

 そこで当地の仲間が領主との交渉を行ったり、当番役員が幕府へ訴える訴訟事務や代行を行うサービスもあった

 もちろん、郷に入りてはその郷の法度に従うことを第一に優先させ、市場での競り売りなど当地の商人と激しく対立することは極力控えるよう配慮した


 こうした仲間組織の整備によって、個々の商人は小さな行商人でありながら、組織としては巨大なネットワークを構築したのが日野商人の特徴だった



 日野商人の定宿網は江戸中期から末期にかけて中山道・東海道・伊勢街道・善光寺西街道・日光街道・北国街道・奥州街道まで広範囲に物流組織を構築した

 もっともこの頃はまだ定宿網は中山道に限られていた





 この年に源七は叔父から離れて実家の家計からも独立し、一人の行商人として商いを始めた


 正野源七 二十七歳の夏の事だった




 1684年(貞享元年) 夏  近江国八幡町 山形屋




「あまり芳しくないな… まだまだ屋敷掛け(武士への掛売)が多いではないか」

 山形屋四代目利助は江戸店からの報告を元に決算帳簿を確認していた


「庶民向けの品ぞろえを強化しているとはいえ、ご先代様までの三代に渡るお武家様への売上はまだまだ馬鹿にできないものがございます

 無理に失くす必要もないかと思いまして…」

 江戸支配人の茂助がやや言い訳めいた説明をするが、利助は首を横に振った


「これからはカネを使うのは町人になる。いつまでも武家相手の商売だけをしていては先が無くなる

 無理に失くす必要はないが、もっと庶民へ向けて商いを拡大せよと言っているのだ」



 利助は父の三代目利助がやり残した商売の質の転換を行うべく様々な工夫を凝らしていた

 しかし元和以来続々と建設された武家屋敷への販売は巨大な市場であり、未だ庶民向け市場との販売比率を逆転するには至っていなかった


 この頃の山形屋の主要顧客には細川越中守、松平伊賀守、松平下野守、鍋島備前守、大久保長門守、米倉長門守など十数名の大名を顧客に加えており、年間売上は銀九十貫を超え、三代利助が家督を継いだ寛文七年から十年余りで1.5倍以上に伸びている

 しかし販売は主に上半期(1~6月)に集中しており、これは武士が年貢から現金を得て支払いに余裕の生まれる時期だったと推測される


 また、掛売の増加に伴って帳簿には売掛金の未回収つまり『焦げ付き』が発生している

 相手は仮にも武士なので、払えないという時には申し訳なさそうな顔はされるのだが、だからといってどこかで無理矢理金策してくれるわけでもなく無い袖は振ってもらえないのが現実だった 

 武士相手の取り立ては不利な戦いを強いられることが多く、掛売から現金販売へと商売の質の転換は急がれた




 茂助が江戸に戻った後、利助は親戚筋の嶋屋・釘貫屋と共に茶を飲んでいた

 釘貫屋は初代仁右衛門の六男又七郎を始祖とする商家だった


「気張っておられますな。利助殿」

「商売の質を庶民向けに変えたいと願っているのですが、なかなかにうまくいきません

 今更ながら、先祖伝来の商売というのは良くも悪くも重いものです…」


「ははは。我らは利助殿の初代様より別れた家ですからな。お気持ちは良くわかります

 先祖の偉大さにただただ感服するばかりです」

「かと言って、このまま手をこまねいているわけにもいきませんし…」



 会話が途切れた一瞬の沈黙の後、釘貫屋三代目又七が口を開く

「どうでしょう?ご両所さえよければ我ら三家共同で江戸に庶民向けの販売店を開きませんか?」

「新たに共同で店を構えるのですか?」

「左様。もう一つの店を単独で構えるには我が家も少々不如意でして…

 しかし、三家共同ならば一家当たりの負担は三分の一で済みます

 商売の質を転換するには新たな商売を興すのが手っ取り早いかと思案いたしましてな」

「なるほど…」



 ―――良い話かもしれぬ

 確かに山形屋の看板は武士向けの商家として江戸で定着してしまっているのかもしれん



「少し家の者と諮りたく思いますが、お返事はそれからでもよろしいでしょうか?」

「かまいません。まずはやるかやらないかを各家で検討し、その後やるのであればどうするかを話し合っていきましょう」



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