第79話 国民の生命と財産


 


 1859年(安政六年) 六月五日  江戸城本丸




「相手の力量を見誤った某の失態にございます。申し訳もございません」

 水野忠徳は大老井伊直弼を前に畳に額を擦りつけたまま動かなかった。


 長い沈黙の後、直弼から声がかかった。


「面をあげよ。これはそなただけのせいではない」

「……しかし、某がアメリカ以外との条約を積極的に推進したことでこの国は…」

「よいと申しておる。今行うべきは腹を切る事ではない。一刻も早くこの国を一つにすることだ」


 決然とした物言いに、思わず水野は顔を上げて直弼を仰ぎ見た。


 ―――全てを背負われるおつもりか


 安政二朱銀の策が失敗した事で、金の流出を止める事は出来なくなった。



 当時世界の金銀比価は平均で約15―――即ち、銀貨15枚で金貨1枚という交換比率だった。

 それに対し、日本は改鋳によって銀量を減らすために銀貨の重量がどんどんと小さくなっており、当時の金銀比価は重量比で5~10ほどであったと推測される。

 つまり、ドル貨を同重量の一分銀と交換し、一分銀を金貨である小判と交換し、小判を海外市場で売れば相当の利益を出せた。


 ドルと一分銀の実際重量での交換比率は、ドル銀貨100枚に対して天保一分銀311枚となった。

 そして、当時アメリカドルで一ドル金貨の金含有量は23.22グレイン=0.4匁となる。

 そして日本で広く流通している天保小判の金含有量は1.70匁だった。


 その前提の上で試算してみると、


 銀100ドル=一分銀311枚=天保小判77.75枚(311÷4)=金含有132.175匁(1.70×77.75)=金330ドル(132.175÷0.4)


 つまり、日本に銀貨100ドルを持ち込めばノーリスクで330ドルに化ける。

 日本行きの艦隊勤務は海外の士官の憧れの的となり、アメリカ籍のフリゲート艦の士官には日本に到着するや軍を辞めて船を借りて会社を立ち上げた者も居た。

 船は日本と香港をひたすら往復し、せっせと錬金術に精を出した。彼らにとってはまさに『黄金の国ジパング』だったことだろう。

 バブル当時の不動産投機しかり、近くは仮想通貨の暴騰による狂乱相場しかり、欲に目がくらんだ人間の行動はいつの時代も変わらなかった。



 日本がこの状態を是正するためには、外国の威圧に屈しないだけの軍備が必要だった。

 一方で国内では、朝廷の勅許を得ない条約締結に対し水戸藩や薩摩藩などの諸藩から直弼への批判が噴出していた。

 雄藩と呼ばれる藩の中には独自に朝廷と結んで幕政を批判する者も現れ、それに対して直弼は弾圧を強化。いわゆる『安政の大獄』の最中にある。

 しかし、この頃から直弼の弾圧は死罪を含めて苛烈さを増してゆく。それは直弼の焦りによるものだった。


「しかし大老様。これ以上苛烈に事を行っては大老様のお立場も…」

「……やむを得ぬ。日本を一つにし、西洋列強に対抗できる軍備を整えなければこのまま日本の富は奪い尽くされよう。

 今やらねば全てが手遅れになる」

「大老様……」


 水野は涙を止められなかった。

 直弼とて心から恐怖政治を敷きたいわけではなかっただろう。まして、元来井伊直弼は和歌と国学を愛し、朝廷を深く崇敬していた。

 結果的に幕府独断での条約締結となったが、ギリギリまで条約締結の勅許を求める姿勢を崩さなかったのは当の井伊直弼だった。

 だが、幕府の元に日本を一つにしなければ日本が永遠に食い物にされる。


 富の流出は国民生活の貧窮を意味する。だが、それでも現実に血が流れるよりはまだマシなはずだ。


 このまま通貨の交換を突っぱねれば、江戸市中に英米の艦砲射撃が撃ち込まれないという保証はない。

 それを防ぐには幕府海軍を整備し、江戸湾への敵の侵入を防げるだけの海軍力を持つ必要があった。

 今は少しでも早く日本を一つに纏めなければならない。例えそのためにどれほどの犠牲を払ったとしても…



 国家の守るべき第一のものが国民の生命と財産である事は幕府も充分に承知していた。

 だが、国民の生命か国民の財産か、どちらかを選ばなければならないとしたら…

 井伊直弼の苦悩は察して余りある。


 独自の動きを始める諸藩に対して、井伊直弼の焦りと怒りが安政の大獄を凄惨な物へと変えたのかもしれない。




 1859年(安政六年) 十月  横浜 越後屋横浜店




「もう一分銀がありません!交換はできません!」

 次々と押し寄せる外国人に対し、幕府の公金御用を務める越後屋では対応に追われていた。

 横浜開港に合わせて越後屋には外国方御金御用を命じられ、洋銀との引替御用を行っていた。税関には毎日毎日膨大な量の両替請求書が持ち込まれ、それらは全て越後屋へ回付される。


「請求書は出してあるはずだ!いいから交換しろ!」

「出来ません!無いものは無いのです!」


 ただでさえ見慣れない外国人と聞き慣れない外国語に対して戸惑う手代達は、暴動を起こしかねないほどに押し寄せる亡者共に苦しんだ。



 幕府は一日の交換限度額を設け、さらに一分銀の鋳造も消極化し、可能な限り時間稼ぎに務めた。

 オランダから購入したコルベット型蒸気船『咸臨丸』と『朝陽丸』の二隻はすでに幕府海軍に納入され、残りの五隻も順次納品される予定になっている。

 少しでも時間を稼いで軍備を整える心づもりだった。


 だが、両替の依頼は引きも切らずで、遂に両替請求額が12京6843兆8889億9922万2321ドルにまで達する。

 もはや浅ましさを通り越して狂気の沙汰だった。


 窮余の一策として両替請求書に個人の署名を求めたが、もとより身元確認の方法などありはしない。

 スヌークス人を馬鹿にする男トゥックス欲張り男モーズィズユダヤ人の金貸ナンセンス&フッケム馬鹿者と泥棒男の商会など、完全に偽名と分かる請求書がほとんどだった。




 1859年(安政六年) 十二月  江戸イギリス領事館




「何という事だ…」

 イギリス駐日公使のオールコックは、横浜の狂騒を目の当たりにして後悔の念に駆られていた。日本が、水野が苦慮の上で行った詐術は、全てこの事態を防がんとしてのことだったのだとようやく理解した。


 ―――もはや事態を収拾するにはドルの価値を切り下げるしかない


 元々オールコックの目的は日本の物価を安くする事だった。

 かつて対清貿易赤字の拡大に苦しみ、ついにはアヘンを輸出品として貿易均衡を図った苦い経験をもとに、対日貿易赤字を拡大させないための措置だった。


 しかし、事はすでに貿易ではなくただの投機でしかなくなっている。

 歓声を上げているのは国際投機資本、つまりハゲタカ達だけだ。まともな貿易船は日本での商売が成り立たず、国益に寄与するどころか正常な国益を阻害している。


 ―――全て私の責任だ。外国貿易に関する彼ら日本人の良き判断を歪めさせてしまった



 未だ狂乱の中で一分銀をもっと作れと幕府に言い募るハリスを説得し、オールコックはハリスを通じて日本の金銀比価を是正させ、日本からの金流出を留めるように幕府に申し入れた。

 幕府にとってみれば、「今更何を…」という怒りしかなかっただろう。


 わずか半年の間に大量の金が国外に流出した幕府にとって、もはや取れる手段は小判の金量を減らすことによる増鋳しかなかった。

 銀はほとんど流出しなかったが、銀はすでに本位貨幣では無くなっている。今更金銀両本位制に戻る事もできなかった。

 安政七年一月、金量で天保小判の三分の一となる万延小判の鋳造を開始する。しかしそれすらも金不足によって発行量は少数であり、それよりもさらに小さい万延一分判金の鋳造を行ってようやく金流出は止まった。



 しかし、今までより大幅に金量が減らされた事で国内では旧小判との引替を願い出る者が後を絶たず、日本はハイパーインフレーションに陥る。

 一年前と比べても物価は倍以上に跳ね上がり、もはや値札を付ける事すら出来なくなった。

 しかも、物品の取引を伴わない金流出だった為、国内の需要や取引量は横ばいか減少傾向にある。

 取引量が横ばいであるという事は賃金上昇を伴った物価高ではない。ただただ物の値だけが跳ねあがっていく状態だ。


 過大なインフレと需要増によらない物価の高騰。つまり、スタグフレーションと呼ばれる最悪の経済状況が幕末の日本を襲った。


 スタグフレーション下の経済では大規模な倒産と失業率の上昇が発生する。

 近年ではリーマンショックがスタグフレーションに近い経済状況と認識されていると言えば分かりやすいだろうか。


 この状況になれば国民生活は壊滅的な打撃を受ける。特に中産層以下の人々は明日の米を買う事もできなくなった。

 幕末に打ち壊しや一揆が多発したのも当然と言える。


 国内の治安は悪化の一途をたどり、全ての批判は条約締結を推進した井伊直弼へと集中した。

 折しも、安政の大獄によって武士の恨みも集中し、もはや井伊直弼は四面楚歌の状況となる。


 そして、安政七年三月三日 大老井伊直弼は桜田門外にて凶刃に斃れた。




 1860年(万延元年) 六月  江戸 越後屋江戸本店




「横浜店の売上が急激に落ちている… いかがしたものか」


 越後屋の江戸本店名代を務める稲垣次郎七は、二年前に新規出店した横浜店の業績に頭を痛めていた。

 万延元年の横浜港の貿易額はそのほとんどが絹であり、当初横浜店の絹織物は順調な売り上げを見せていた。

 しかし、万延の改鋳が行われるとインフレによって仕入れの生糸が極端に値上がりした。さらに悪い事に、貿易で外国商人から求められるものは絹織物から原料たる生糸へと需要が移り、関東近県の養蚕農家や生糸業者には利益をもたらしたものの、既存の呉服商にとっては二重の原料高に加えて製品の売り上げは横ばいであり、苦しい経営環境が続いていた。


「このままでは横浜店を維持していくことが出来ん。来年もこの状況が続けば横浜店は赤字となってしまうだろう」

「この際、横浜店は外国御金御用だけに絞るべきかもしれません」

 次郎七に合わせるように江戸両替店の別家支配人の永田甚七も眉根を寄せる。


 横浜店では両替と呉服を同じ店舗で行っていた。開港以来の両替狂乱は一段落したことで両替業務の方は正常に回り始めている。

 貿易が正常に回り出せば、貿易の為の通貨両替は国際取引にとってはむしろ必須のものだったので、呉服業の寂れ方とは裏腹に両替業ではそこそこの業績を残せる見込みが立っていた。


 もっとも、洋銀の買い入れを余儀なくされた事で横浜店には日本の通貨が不足しがちになり、引き換えられない洋銀がある種の不良資産化していた。

 帳簿上は現れない不良資産はいつの時代も金融機関の経営を圧迫する要因になる。


 横浜店は、いつ破裂するかわからない爆弾を抱え続ける火薬庫のような状況になっていった。





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