第25話 海へ



 1618年(元和4年) 夏  近江国蒲生郡八幡町




 昨年の元和三年に八幡町初代総年寄を務めた『綿屋』西村嘉右衛門が亡くなり、綿屋の店は長男の二代目西村嘉右衛門が継いでいた



「兄貴。親父は許さなかったが俺はやっぱり呉服を扱いたい!京へ行かせてくれ!」

「兄貴じゃなくて『旦那様』だ。お前は昔から山っ気がなくならんな。

 呉服など扱った経験のない者が簡単に扱えるわけないだろう」

「経験がないから、経験を積むんだ!なあ、頼むよ」


「…まあ、お前はいずれ分家するんだ。その時の為に商いの経験を積むことはいいのかもしれんな」

「それじゃあ!!」

「京の角倉与一殿を訪ねろ。紹介状を書いてやる。父上とご先代の了以殿とは親交があったらしいから、無下にはされんだろう」

「ありがとう!兄貴、恩に着るよ!」

「『旦那様』だ。まったくお前というやつは…」


 ぶつぶつと文句を言う嘉右衛門を放って、次男太郎右衛門は意気揚々と里売りに出かけて行った


 長男 嘉右衛門は十九歳

 次男 太郎右衛門は十六歳


 兄弟の仲は決して悪くなかった









 兄からの紹介状を手に入れた西村太郎右衛門は早速京の角倉素庵を訪ねていた

 素庵は医者にして京の豪商である角倉了以の長男で、この当時朱印船貿易に参加していた



「生糸か…確かに私は朱印状を頂いて船を出しておりますが、扱うのはもっぱら砂糖でしてな。

 生糸は他の商人に任せております。お力になれず申し訳ないが…」

「船!?船を出されているのですか!?」

「左様。安南と船貿易を行っております」


「与一様!一度その船を見せて頂くわけにはいきませんか?」

「ああ、それはかまいませんが…長崎から出ておりますので…」

「一向にかまいません!是非拝見させていただきたい!」


 素庵は若干十六歳の素直な興奮を隠そうともしない太郎右衛門に好意を持った

 対する素庵は四十八歳

 未来ある若者に広い世界を見せてやりたいという気持ちと、ほんの少し若さへの羨望が入り混じった顔だった



「紹介するのはかまいません。ただ、貴方の事だ。見たらそのまま乗りたくなるでしょう。乗って大海原を旅したいという気持ちが抑えきれないのではありませんかな?」

「いや、まぁ~…あはははは」

 太郎右衛門は頭を掻きながら笑顔で誤魔化す

 正直、朱印船と聞いた瞬間に乗りたくてたまらなくなっていた


「私の方は、船を見て頂くのも、乗って頂くのもかまいません。船長には私から紹介状を書きましょう。

 ただし、貴方の兄上様に許可を頂くこと。これは譲れません」

「うっ………」

 太郎右衛門が痛い所を衝かれた顔になる


「今は兄上様より、生糸を扱いたいという願いを聞いてやってほしいという文を頂いただけです。船に乗って良いと許可を得たわけではないでしょう。

 その辺りはきちんと許しを得てくることです」


「わかりました!兄は必ず説得します!乗船の件、よしなにお願いいたします!」



 角倉屋敷を辞した太郎右衛門は、飛ぶように八幡町に帰った








「ダメだダメだ!話にならん!」


 太郎右衛門の話を聞くなり、嘉右衛門は一言で却下した

 太郎右衛門も初手で許しが出るとはカケラも思っていないので、しつこく食い下がった


「兄貴!聞いてくれ!俺は今まで生糸を糸割符仲間から買うことだけを考えていた。だが、よく考えれば上質の生糸は海の外からやって来るんだ!

 なら、産地に直接行って買付けてくるのが商人の、始末の心というものじゃないのか?」

「それとこれとは話が別だ!何を血迷った事を言っているのだ。海の外など生きて帰れるかもわからんのだぞ。そんなところに可愛い弟を遣れると思うか。

 父上の墓前に何と報告したら良いのだ」

「兄貴…」


 嘉右衛門は一つため息をつくと、語調を緩めて諭すように話しだした

「生糸を扱う機会は、伝手を求めればこれからもあるだろう。灰屋さんから卸してもらってもいいんだからな。

 今無謀とも言える冒険に乗り出す必要はないんじゃないのか?」

「…」

「あまり心配を掛けさせるな。お前はまだ若いんだ。焦る必要はない」

 そう言われ、太郎右衛門には返す言葉が見つからなかった






 年が明けて元和五年


 太郎右衛門は諦めなかった

 折に触れ、何度も何度も兄の嘉右衛門へ許しを請い続けた

 しまいには一晩中土下座をし続ける

 あまりのしつこさにとうとう嘉右衛門も根負けした


「わかった。お前のしつこさに負けた。

 だが一度だけだ。一度行って戻ってきたら、それからは八幡町で商いをする。


 …約束出来るか?」


「わかった!必ず約束する!ありがとう、兄貴!」

「やれやれ…これでよかったのか…」


 なおも不安が拭い去れない嘉右衛門を尻目に、太郎右衛門は飛び上がって喜んでいた

(まあ、途中で諦めるような弟でもないか…)

 そう思って嘉右衛門は無理矢理自分を納得させた




 1619年(元和5年) 秋  肥前国彼杵郡長崎港




「おおおおおおお!これが角倉船か!なんと勇壮な…」

 太郎右衛門は感動を隠そうとしなかった

 角倉与一から紹介状をもらい、長崎の角倉船船長塩木しおき源太郎げんたろうを訪ねていた

 この春に交趾から戻ったばかりで、次の出航を控えて各所の点検作業にかかっていた


「気に入ったか?」

 船長の塩木源太郎自ら案内してくれていた



 慶長年間のうちに、日本国内でも本格的なガレオン船の建造は行われていた

 慶長十八年には東北の牡鹿半島から沖合に出る北太平洋航路を用いて、伊達家臣・支倉常長が国産ガレオン船に乗ってノヴァ・イスパニア(メキシコ)のアカプルコを目指して出航していた

 そして、この翌年の元和六年の八月には日本に帰国している

 いわゆる、慶長遣欧使節だ



 角倉船はジャンク船とガレウタ船の良い所を掛け合わせた作りで、竜骨のない水密隔壁構造で喫水が浅いため、浅瀬の湾や港にも対応しながらも耐波性も高い

 二本マストのメインセイル(主横帆)には竹を使った蛇腹の帆を張り、風上への切りあがり性能を確保しつつ、ロイヤルセイル(上部帆)とバウスプリットセイル(船首帆)を追加することで順風能力を向上させた


 東アジア海域では本家ガレウタ以上に軽快な走破性と操縦性を併せ持つ、三千石(約500トン)積の最新式帆船だった

 いわば男のロマンをそのまま形にしたような造形美は、太郎右衛門でなくとも興奮せずにはいられない




「ええ!とても素晴らしい!近江ではこんなに勇壮な船はありません!」

「がははははは。それは良かった。野分(台風)が収まったらまた出航する。

 今を逃すと来年まで待ってもらわねばならんが…」

「すぐに乗せてください!荷役でもなんでも結構です!」

「そうか。よし!じゃあ、月が明けたら出航する!」



 太郎右衛門は意気揚々と角倉船に乗り込み、マカオを経由して安南(ベトナム)まで渡航した




 1619年(元和5年) 冬  安南国海防ハイフォン




「なんだこりゃあ…」

 西村太郎右衛門は目を疑った

 万里の波頭を乗り越え、待望の安南(ベトナム)に着いたはいいものの、沖合から見える港町の丘にある城では中規模の攻城戦が行われていた



「戦ですか?」

「ああ、マズい時に入港しちまうことになるな…」

 太郎右衛門は日本での戦の経験はなかったが、この船に乗り込んで二回ほど洋上で倭寇船との海戦を経験していた


 角倉船は基本的に商船なので大砲などの軍船としての武装はなかったが、多少の交戦はできるように火矢や鉄砲の備えはあった

 また乗組員達も陸戦の経験もあり、…というよりかは、陸で食い詰めた武士を戦闘要員として乗り込ませていた




「船長!戌(10時)の方角から一隻!岬を回ってきます!およそ五百石積!

 どうやら友好の使者って感じじゃなさそうですぜ」

 見張りがニヤリと笑いながら報告を上げる


「妙だな…沿岸警備ならもっと船数があるはずだが… 後続はいないか?」

「いません!一隻だけです!」

「とりあえず、相手の出方を見る!総員戦闘準備で待機だ!」

「「「アイアイサー!!」」」


 太郎右衛門もやむなく戦闘準備に入る

 胴丸具足を付けて鉢巻をつけ、鉄砲と早合を用意する

 刀を扱えない太郎右衛門は鉄砲兵として戦っていた




 敵船が櫂を漕ぎながら船首を向けてまっすぐに向かってくる

 源太郎が見張りに大声を飛ばす

「何か合図はあるか!?」

「まだなにも… いや、鉄砲を構えました!戦闘態勢です!」


「ちっ。荒事は避けたいんだが…

 やむを得ん!下手回しで風上へ回る!帆を出せ!敵のケツに食いつくぞ!」


 風は陸から海へ吹いている

 敵船からは風下だった



「総員!船首回頭!寅の方角へ切り上がる!すれ違いざまに鉛玉食らうなよ!」

「「「アイアイサー!」」」


 敵船の船首と船尾が約二町(200m)の距離まで接近する

 敵船から鉄砲の一斉射撃の音が起こった

 船尾に立てた盾に銃弾がめり込む



「まだだ!十分に引き離してから回頭!上手回し!」

 洋上での機動力勝負なら近海用の櫂船では相手にならない

 角倉船は見る間に敵船を引き離して素早く回頭し、回頭中の敵船の腹に船首を向けた


「総帆展開!敵のケツに付ける!斬り込み隊船首へ!鉄砲左甲板から斬り込み隊の援護!」

 太郎右衛門は慌てて左甲板の盾の後ろに陣取る

 鉄砲の装填を済ませて合図を待った




「距離約四町……三町!……二町!」

「鉄砲構え!鉤縄用意しろー!」

 合図に合わせて盾から身を出して鉄砲を構えた


「…一町!!」

「撃てーー!」


 今度は角倉船の左甲板から先ほどとは比べ物にならないほどの轟音が響く

 鉄砲の一斉射撃で敵船員が甲板のヘリに身を隠す

 直後に鉤縄が敵船の船尾に何本も掛かり、手繰り寄せて接舷する



「斬り込み隊!突入!」

 合図に従って斬り込み隊二十名が敵船へと乗り移る

 敵の白兵部隊は同数の二十人ほど

 だが、戦場で鍛え上げられた日本兵は敵白兵部隊を圧倒した


 経験豊富な角倉船の船員達は多少の手傷を負っただけで死人は一人も出なかった





 ちょうどその頃、陸で喚声が上がる

 城方が城門を開いて突撃し、寄せ手を散々に叩いていた









 戦闘終了後、沖合で待機していた角倉船に城方から使者が小舟でやって来た

 船長の源太郎が通辞を交えて使者と話し込む と、話がついたようだ



「城方は黎朝の鄭柞殿配下だが、寄せ手は国内の反乱軍だそうだ!

 我らの合力に感謝するとの言葉があった! 総員入港準備にかかれ!」

 角倉船は交趾の港に入港し、太郎右衛門も久々の陸地を踏んだ



(ここは生糸はあるのかな?)

 港の市場を見回した

 粗末な小屋の店先に珍しい南国の果物やイモ類が所狭しと並んでいたが、生糸や砂糖などの高級品は見当たらなかった



「城へ行くぞ。西村殿も同行されるが良い」

「はい!ありがとうございます!」


 城は港町を抜けた先の丘の上にあった

 石造りの町並みは、八幡町とは町の風情も城の造りも、何もかもが違っていた


(途中で寄った琉球のグスクにどことなく似ているな…

 何かつながりがあるのかもしれん)









「よくぞ敵船を撃退してくれた!あの船が港町を焼いていたら大損害だった!」

 通辞越しではあるが、おおっぴらな歓迎の意志はその身振りで十分に伝わった


「そなたらは倭の交易船だな?」

「いかにも。砂糖を買付けに参りました」

「砂糖ならばこちらで取り寄せよう。しばらくはここの町でゆっくり逗留されるがよい」

「ありがとうございます」


 城将と源太郎の間で会話が交わされた


「ところで、ここらで生糸を扱う市はございませんか?」

 思い切って太郎右衛門が尋ねる


「生糸か。絹は王都のハノイならば扱っている者もいようが、ここへはなかなか流れて来ん」

「ハノイか…」

「ハノイへ行くなら、此度の礼として通辞と下人二名、それと馬を三頭与える。

 他の者達にも等しく褒美を与えよう」


 ありがたい申し出だった

 王都へ行くとなれば案内役は必要だし、ここからは源太郎達とは別行動だ

 買付け用の銀は多少は持っているが、通辞や荷馬などを得られるのは願ったり叶ったりだ

 まして、ただ買付けるだけでなく、今後安定して輸入できる交易ルートを構築する必要がある


(王都ハノイか…)







「わしらは砂糖の買付だからここで積んで戻るが、西村殿はどうする?」

「ハノイで生糸の伝手を探したいと思います。生糸を安定して交易できるようにしなければ、はるばる来た甲斐がありません」

「そうか。まあ、春までわしらはここに滞在する。それまでには戻って来られなければ、ここから南に行った会安(ホイアン)に行くといい。

 交易に従事する日ノ本の者が町を作っている。戻りの船便も当たりが付くだろう」

「何から何までありがとうございます」



 太郎右衛門は『安南屋』を屋号にして日本人商人として王都ハノイを目指した

 生糸を扱う交易路を確保するまでは戻らぬ決意だった



 そして翌年の春になっても太郎右衛門はハイフォンに戻らなかった











 その頃、長崎奉行所へ朱印船主・平山常陳が陳情に訪れていた



「御奉行様!大変でございます!平山常陳と申す者が船主となっている御朱印船が、えげれす・おらんだの船に拿捕され、積み荷を没収されたと…」

「何!?」

 長崎奉行・長谷川藤広は、厄介なことになったと思いながら通辞を伴って平戸のイギリス商館へ向かった



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