第36話 シャクシャインの戦い
1669年(寛文9年) 夏 蝦夷国夷人地シブチャリ
「なんだと?ウタフがマツマエに殺された?」
「ええ、毒殺されたと聞いた」
「そんな… マツマエはシュムクルの味方をしたのではないのか…」
ウタフはオニビシの姉婿であり、現在のシュムクルの中心人物の一人だった
ウタフは松前藩に再度武器の支援要請を行ったが、仲裁するとの言葉だけで明確な支援は取り付けられず、帰途に病死した
毒殺されたという風聞もあった
気が付けば自分たちの漁場には和人が入り込み、我が物顔で漁をしている
こちらが十分な漁獲を出せなかったからだと言われたが、再び漁をして買い取ってくれと言っても買い取ってくれない
自分たちで漁をした方が儲かるからだ
もはやアイヌは同族で戦っている間に和人によって飢え死にする運命に置かれている
シャクシャインはようやく全てを悟った気がした
―――俺たちはマツマエに踊らされたのだ。メナシクルもシュムクルも、マツマエに利用されて最後は滅ぼされる
考えてみれば、こうなったのはマツマエが城下での交易を禁じ、自分たちの都合のいいように交換する米を減らしたからだ
敵はシュムクルではない!マツマエだったのだ!
拳を強く握る
噛みしめた唇から血が噴き出していた
口惜しかった
カモクタインや配下の者達を無為に失ったことが口惜しかった
オニビシやウタフもマツマエの犠牲者だったのだ
シャクシャインは、抗争を続けるアイヌ諸族の全てに使者を出した
目前の敵であるシュムクルに対しても同様だった
『敵は我らから思うように収奪を繰り返すマツマエと和人だ!
アイヌ同士での戦いを止め、力を合わせて和人共を我らの蝦夷から追い出そう!』
シュムクルのオニビシ遺臣・イシカリのハウカセ・ヨイチのチクラケなど錚々たるアイヌ大族の連合軍が組織された
1669年(寛文9年) 夏 蝦夷国福山松前城
「ご家老様!一大事にございます!蝦夷各地でアイヌ諸族が一斉に蜂起しました!
アイヌは連携を取ってここ松前を伺う姿勢を見せております!
蜂起の中心はシブチャリのシャクシャインとの事!」
「なんだと!? 馬鹿な… 話に聞くコシャマインの再来だとでも言うのか…
こうしてはおれん!すぐに戦支度をせよ!それと八左衛門様へご公儀への取りなしをお願いする!」
松前藩家老の蠣崎広林は松前藩士を動員して鉄砲・武具・兵糧の準備をし、併せて江戸で旗本となっている現藩主矩広の大叔父である八左衛門泰広に援軍を要請した
当代の松前藩主
八左衛門が幕府に急報したことで周辺の津軽藩・南部藩からも援軍が出された
アイヌの戦乱はシャクシャインという大首長の登場で和人対アイヌという構図に切り替わった
時に寛文九年六月
蝦夷全土でシャクシャインの激に応えたアイヌ諸族は一斉に蜂起し、各地で操業する和人を襲った
シコツやオスタツ・マシケなどで商人や手代など三百数十人が殺された
勢いに乗ったシャクシャインは松前に向けて進軍を開始
兵六百名 軍船五十艘が松前方の拠点であるクンヌイ(長万部町国縫)を目指していた
対する松前藩は武士だけでなく町民や漁民にも具足・鉄砲で武装させ、一千の兵でオシャマンベ(長万部町)の浜に向かって進軍
両軍はクンヌイの地で激突した
1669年(寛文9年) 五月 蝦夷国夷人地イシカリ
「待ってくれ!ハウカセ!」
岡田弥三右衛門は必死になってハウカセを説得していた
「和人と戦ってはいかん!気持ちはわかりすぎるくらいにわかる!だが和人と戦ってはアイヌは皆殺しに会うことになるぞ!」
「止めるな!ヤザエモン!これは我らアイヌの誇りの問題だ!お前やデンエモンは確かにいいヤツらだが、他の和人はアイヌを犬としか思っておらぬ!周りを見ろ!」
弥三右衛門は思わず言葉を飲み込んだ
ハウカセの言う事に反論できなかった
確かに知行地の開発を委託された商人の中にはどれだけアイヌから搾り取るかしか考えぬ者も大勢いた
アイヌに耕作を禁じ、漁を独占し、食い物を自らの与える食料だけに限定して生殺与奪を握り、思うまま奴隷の如く扱っていた
「このような屈辱を味わうくらいなら、和人の米も酒ももう要らぬ!我らは我らで生きていく!
邪魔をするならお前も殺すことになるぞ!ヤザエモン!」
「…和人との交易を望まぬというのならやむを得ん。だが、シャクシャインに同調して立つことだけは止めてくれ!シャクシャインは和人の武力をわかっていない!鉄砲の威力をわかっていないんだ!
このままでは無駄死にだ!」
アイヌの武器は毒を塗った弓矢であり、鉄砲などの火器については無知だった
「我らアイヌは死を恐れるものではない!ヤザエモンはマツマエに帰れ!そして二度とここへは来てはならん!」
「死なせたくない!ハウカセを死なせたくないんだ!わかってくれ…」
涙を拭うこともせずに弥三右衛門は真っすぐにハウカセを見た
「………心遣いには礼を言う。だが、退くことはできんのだ…」
弥三右衛門は悄然とイシカリを後にした
もうここへは来ることはあるまい
だが、ハウカセには生き延びて欲しいと心から願った
1669年(寛文9年) 八月 蝦夷国夷人地クンヌイ
「シャクシャイン!シュムクル勢がやられた!あの轟音のする武器に悉く打ち倒される!
弓矢では戦えぬ!」
「怯むな!馬の脚で圧倒しろ!回り込んで矢を射かけろ!」
劣勢の中でシャクシャインは必死に戦った
しかし、長い戦乱の中で練り上げられた鉄砲戦術は弓矢しか持たぬアイヌ諸族を圧倒した
百年前なら騎馬の機動力で圧倒できたかもしれないが、早合や段撃ちなどの戦術が一般化している寛文年間では鉄砲の欠点は補って余りある工夫がなされていた
「シャクシャイン!ハウカセのイシカリ勢が壊滅した!イシカリ勢は撤退にかかっているぞ!」
「ウスやエトモの諸族もオシャマンベから分断されて連携が取れん!ここは崩れるぞ!」
「くそぉ!!! くっ………これまでか………」
ひと声大きく吠えるとシャクシャインは全軍に撤退を命じ、自身は本拠地であるシブチャリへと軍を返した
1669年(寛文9年) 九月 蝦夷国夷人地ヨイチ(現余市町周辺)
松前八左衛門泰広はヨイチのチクラケを始め、ソウヤ・シリフカといった各地の族長と対面していた
クンヌイの決戦は結局松前藩の自前の戦力だけで勝利を収め、援軍として駆け付けた泰広は戦後のアイヌの鎮撫に奔走していた
「此度の戦は一体何故に松前に刃向かったのだ」
ヨイチの酋長チクラケは今まで溜め込んだ悲しさを一杯に泰広に語った
「マツマエに出向いての交易が禁止されて以降、我らに渡される米は日に日に少なくなってしまった
生きていく事が困難になるほどに…
それに加えて、和人は我らの漁場へ来て魚を獲る
我らから買ってくれと訴えても、『松前の知行所で漁をして何が悪い』と打ち叩く
串貝(アワビ)が一束足りなければ翌年二十束寄こせ、出さなければ子供を人質にとる
などと脅されたこともあった
我らももはや限界なのです
生きるためには戦う選択しか残されていないと思いました」
ハラハラと涙を流しながらチクラケは訥々と語った
話を聞いた八左衛門は言葉を失った
江戸は飢饉から立ち直り、少なくとも食うに困るなどということは想像の外にあった
―――これほどの事をしてしまっていたのか…
泰広は和人として慚愧の念を覚えたが、しかし一度蜂起したものをこのままにするわけにはいかなかった
彼らには松前に改めて服従するという起請文を出させ、今回の賠償として償い物を出させた
しかし、彼らの生活はこれ以上脅かさぬようにしなければならないと思い定めていた
イシカリのハウカセなどは未だに戦いの構えを解かず、八左衛門は数年を掛けて鎮撫を繰り返した
1669年(寛文9年) 九月 蝦夷国福山松前城下 住吉屋
「なんだと!?反乱を起こしたシャクシャインを謀殺しただと!?」
西川傳右衛門は松前城下の自分の店で、事の次第を調べに行った手代から戦いの結末を聞かされた
「謀殺とはどういうことだ?」
「佐藤権左衛門様は江戸の上様が軍勢を引き連れてアイヌを皆殺しに来ると脅したそうでございます
それでもシャクシャインはシブチャリに籠って戦いの構えを解かなかったそうにございますが、贈り物をすると言って酒宴の席に呼び出し、酔わせてそのまま小屋に火を放ったそうにございます」
「なんと…」
傳右衛門は言葉を失った
アイヌの習慣では贈り物をするということは詫びの印と受け取るのが通例だった
権左衛門が知ってやったのか知らずにやったのかはわからないが、シャクシャインからすれば完全に騙されて討ち取られたことになる
掛ける言葉が見つからなかった
「此度の戦いの原因に鑑み、松前藩からは鮭や鱒の仕入れ船は当分蝦夷地へは行かぬこと。商人は和人地のみで商いを行う事と触れが出されております」
「やむを得んか… 彼らの素性は知られておらんな?」
「はい…」
手代は心配そうな顔をした
タカシマ浜の拠点は蜂起前にハウカセから連絡を受けて人員を引き上げた為、住吉屋では人的被害は発生していなかった
タカシマで漁業に従事していたアイヌの兄弟は和人の子として引取り、住吉屋で丁稚として働かせるようにしていた
もちろん、読み書きなどの教育も施した
―――彼らが一人前になる頃には蝦夷がもっと豊かで平和な土地になっていてほしい
そう祈る事しかできなかった
蝦夷地の交易が和人地のみに限定されたことで、和人地で取れる産物が再び注目を集め始めた
特にニシンは豊富に獲れたため干鰯の代わりに上方へ持ち下る船も徐々に現れていた
しかし、まだまだ蝦夷の主力産業は砂金取りや鷹、ラッコの毛皮・少なくなったとはいえ塩鮭と昆布・アワビなどであった
こうして、自由商業による歪が露呈した蝦夷地では再び貿易を制限する方向に舵を切る
商人の守るべき義が省みられなくなれば、生産者を衰退させ、結局は産業そのものを潰す事にも繋がる
伴伝次郎の危惧した楽市の弊害は時を超えて北の大地で現実の物となってしまった
しかし、この戦いの数年後には再び蝦夷地との交易は再開される
それは和人側の都合だけではなくアイヌ側からの強い要望もあって再開された
既にアイヌ諸族にとって和人との交易は生きるうえで必要不可欠な経済活動になっており、狩猟採集だけでは口を賄いきれないほどに人口が増えていたということかもしれない
人々の欲望が暴走を始めた時、商業はかくも醜く残酷な一面を見せる
商人にとって戦うべき相手とは、時として己の心の中にある欲望でもあった
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