九代 甚五郎の章

第67話 文政の御朱印騒動(1)


 


 1822年(文政5年) 春  近江国蒲生郡 武佐宿




「五兵衛殿には申し訳ないが、我らももう限界だ」

 武佐宿の助郷村、馬淵村の庄屋である長左衛門は決然たる面持ちで五兵衛を見た


「長左衛門さん。今あなた方に休役されたら、伝馬継立はどうにも立ち行かぬ。なんとか続けて下さらぬか」

「村の若い衆には田植えの後、夜を徹して伝馬を務め、夜が明けて村に戻ってまた野良仕事をする者が続出しておる。寝不足から野良仕事中の事故も増えているし…

 申し訳ないが本当にこれ以上は…」


 武佐宿の伝馬継立応援、いわゆる『助郷役』は、この頃になるとすでに農村にとって最大の負担となっていた。

 拡大する伝馬役の負担を平準化するため、この頃には武佐宿に対しては二十二の定助郷と四十を超える増助郷が設定されていた。

 本来助郷役は、人馬の提供を行う夫役(労働奉仕)だったが、遠い助郷村からすればそもそも武佐宿に人馬を送る事も一日がかりの大仕事となり、結局は人馬を雇って役目を果たす租税(金銭奉仕)へと変わっていた。

 本年貢以外にも何かと租税を取り立てられる中で、助郷負担は最大の金銭負担となっていた。



 武佐宿の肝煎りを務める五兵衛は頭を抱えた。

 今も西国からの参勤の列が引きも切らずで、さらには公用による京や大坂への大番の行列、ご公儀御用の荷物の継立など、中山道と御代参街道の分岐する要衝にあたる武佐宿は常に多数の人馬を必要としていた。


「しかし、ただ休役を申し出てもご公儀はまともにとりあってくれまい」

「それは… そうかもしれませんが…。では、一体どうされるおつもりですか?」


「八幡町を差村さしむらする」


 五兵衛は一瞬言葉に詰まり、次いで慌てて長左衛門を押し止めた。


「長左衛門さん。八幡町が諸役免除であることは先刻ご承知でしょう。

 権現様の御朱印状がある限り、八幡町に差村することは自殺行為ですぞ」

「やってみねばわからんでしょう。どのみちこのままでは我らは馬淵村で生きていけなくなる。一か八か、やってみるほかはない」

 そう言い捨てると、五兵衛の制止にも聞く耳を持たずに長左衛門は馬淵村へ帰って行った。



 差村とは、助郷村の選定に当たって定められた裁判制度だった。

 本来助郷とは宿場の負担を広く平準化させる為の制度だったが、助郷村が広がるにつれて道中奉行が全ての街道を監視するには人員が不足していた。

 そこで、現在役負担をしている助郷村に、『あちらの村にも助郷を指定してもらいたい』と名指しさせるのが差村だった。

 差村の訴えが出れば道中奉行からお調べが入るが、その差村があまりに妥当性を欠く場合や、地域的な怨恨によって差村していると判断されれば差した村が処罰される事もある。

 差村とは、差す方も差される方も命懸けの訴訟行為だった。


 もっとも、今や武佐宿を中心として半径20㎞圏内は全て助郷に組み込まれており、そのなかでポツンと八幡町だけが助郷を免れている。

 長左衛門からすれば勝ち目は充分あるという見込みがあった。


 八幡町からすれば、朝鮮通信使などの接待は単独で行っているのだからお互い様という意識だったが、それが見えない郷方からは八幡町だけが優遇されていると映っている。

 それを差し引いても運上・冥加・御用金などあらゆる名目で金を召し上げられる八幡商人にすれば、これ以上助郷負担まで課されれば死活問題だった。




 1822年(文政5年) 春  近江国八幡町 蓮照寺




 八幡町の蓮照寺では、町民大会が開かれていた。

 天明の騒動以来の何度か御用金に反対しての集会があったが、今回はその規模において天明騒動を彷彿とさせた。


「差村などとふざけている!我らは権現様から諸役免除を許されているのだ!」

「その通りだ!それでなくともお上は何かと理由をつけては、我らからカネを召し上げていくではないか。この上助郷など課されては、町方は軒並み破産してしまう!」

「一体お上は何を考えておられるのか!我らあってのお上ではないか!」


 口々に憤懣を吐き出す町民たちを前に、総年寄の市田清兵衛と内池甚兵衛は民衆を宥めるのに一苦労だった。


「そうはいっても、差村された以上お調べがあるのは当然ではあります。

 ここは、御朱印状の写しを提出することで本紙の提出に替え、持って諸役免除を主張していきたく思います」


「写しなど提出する必要はない!堂々と断ればよいではないですか!」


 市田清兵衛と内池甚兵衛の二人は顔を見合わせてため息を吐いた。

 いつの時代も、過熱した大衆を押し止めるのは並大抵のことではない。

 まして今回は町の生き死にが懸っている。武器を持たぬ町民とはいえ、まるで戦に望むような気迫が籠っていた。


「お調べとなれば何らかの書付が必要になります。本紙の提出は我ら総年寄としても論外と思っておりますが、今回は写しの提出を持ってそれに替えたいと思います」


 尚も言い募る町民たちをなだめすかしながら、総年寄は御朱印状の写しを持って馬淵村へ向かった。

 馬淵村には、差村の訴えを受けて道中奉行支配の青木あおき貢一こういち柴田しばた郡平ぐんぺいの二名が滞在し、周辺の村々を検分していた。




 1822年(文政5年) 春  近江国蒲生郡馬淵村




「面をあげよ」

 道中奉行検分使の青木の一声で、総年寄の二名が上体を起こす。

 市田清兵衛と内池甚兵衛は、緊張のあまり顔つきが固かった。

 御朱印状の写しは既に提出し、今は青木の手元にあった。


「ときに、総年寄とやら。この書状は一体何のつもりだ?」

 青木が居丈高に言いながら、写しの用紙をペシペシと叩く。


「恐れながら申し上げます。我が八幡町ではご存知の通り、恐れ多くも権現様より、『楽市』と言う諸役を免除する旨の御朱印状を頂いております」

「それは承知しておる。それゆえ、その御朱印状を吟味すると申しておるのだ。

 ぐずぐず言わずに畏まって本紙を提出せぬか」

「それは、致しかねまする」

「何ぃ?」

 青木の顔が険しくなる。柴田も不機嫌そうな顔を隠そうともしなかった。


「何故だ。我らはご公儀の道中奉行様より命を受けて参った。いわば上様の命であるぞ」

「恐れ多くも権現様手ずからお書きになり、手ずから下さった御朱印状なれば、これは我らのみならずご公儀にとっても御神体の如き貴き物。

 もしも持ち出して傷でも残さば、これはお二方のみならず道中奉行様にも腹切って頂かねばならぬ大事となります」


 青木の顔がますます険しくなる。


「貴様らは我らが神君様の御朱印状を粗略に扱うとでも言いたいのか!」

「左様ではありませぬ!万に一つ、紛失や焼失などがないと言い切れましょうか?」

「ぐぬぬ…」

 青木は次の言葉が継げなかった。

 正直な所、本紙を預かってしまえばこちらのものと思っていた。

 御朱印状を江戸に持ち帰ってしまえば八幡町に諸役免除を証するものは無くなる。その後は知らぬ存ぜぬで通し、今まで役負担を逃れていた八幡町に助郷役を課すつもりだった。


 周辺村方の疲弊は目を覆う物がある。翻って八幡町は豪商達が自治を行う富裕な町だ。

 カネがあるなら、吐き出させようという企みだった。


「万一にも左様な事になれば、我らの首をその方らに与えると約束しよう。それでどうじゃ?」

 青木は口約束だけで、あくまでも書面に残る形での約束をしようとはしなかった。

 清兵衛は鼻で笑った。そんな魂胆など先刻お見通しだった。


 ―――武士は約束など平気で破る。大名貸しがいい例ではないか


 御用金などで様々に召し上げられた金は、名目上貸金となっていて返済期限も明記されるが、いざ返済となるとあれよこれと言い逃れをしていつまで経っても返される気配すらなかった。



「失礼ながら、お武家様の首など頂いても我らにとっては無用の物。御朱印状に代える事などはとても…」

 そういって清兵衛は首を振る。

 しばしの沈黙があり、清兵衛が交渉の勝利を確信した瞬間、青木が思わぬ行動に出た。


 青木はニヤリと笑って手を叩くと、後ろの戸が開いて中間達が清兵衛と甚兵衛の後ろに密着して座った。

「その方らがそういう小賢しい屁理屈を弄することは先刻承知しておる。

 あくまで本紙の提出を拒むというのならば、我らが用意した書面に判をついてもらおう」

 そう言うと、清兵衛の目の前に『我らの用意した書面』を滑らして寄越した。


『当町では諸役免除の御朱印状を所持しているという事実はこれなく、諸役免除は無いものとしてご判断をお願いいたしたく一筆差し上げ候

 宛 道中奉行石川左近将監様』


「こ…これは!」

 今度は清兵衛が言葉を失った。甚兵衛も同様だった。


「今すぐにそこに名を書き入れて判をつくならば良し。さもなくば、手縄を掛けて江戸まで引き立て、御裁きにかけてくれる!抵抗するなら斬って捨てるまでだ!」

 清兵衛は悔しさに歯噛みしたが、後の祭りだった。

 わざわざ判子を持って来るようにと連絡があった時点で察するべきだった。

 いよいよとなれば、武士が力づくで事を運ぼうとすることを知らぬわけではなかったはずなのに…


「さあ、早くしてもらおうか」

 先ほどの不機嫌から一転、青木と柴田は今度は勝ち誇った顔でニヤニヤと笑っている。

 思わず噛みしめた唇から鉄の味がした。

 しかし、結局抵抗はできなかった。


 清兵衛と甚兵衛の二人は署名・捺印し、悄然と肩を落として八幡町へ戻って行った。




 1822年(文政5年) 夏  近江国八幡町 蓮照寺




 蓮照寺では総年寄二人から事の次第を聞いた町民たちが、再び町民大会を開いていた。

 あの後、八幡町の死命を制する書付を手に入れた二人は、八幡町に立ち寄ることなく信楽代官所へ向かった。

 事の次第を聞き取った伴伝兵衛は、筆屋弥兵衛と共に検分使の二名を追いかけ、石部宿で追いついて書付の返還を求めたが、検分使の二人は梃子でも譲らなかった。


「これでは、我から御朱印状を投げ捨てたのと変わらん。このままでは八幡町が亡びるまでお上に金をせびられ続けるだろう」

「かくなる上は、江戸へ行って諸役免除を引き続き認めてもらうように運動しよう!」

「しかし、誰が江戸へ出向くのだ?」


 そうなると、誰も良い知恵が浮かばない。民主的な大衆政治は、一面で決断力に欠けるというマイナス面もあった。


「こうとなれば、入札(選挙)で決めよう!」


 その一声で、銘々がこの人こそはと頼む者の名を紙に書いて投票した。

 投票の結果、野田増兵衛と北村次郎右衛門の二名が代表者となって江戸へ向かう事となった。

 野田増兵衛は、宝暦の高札没収事件の時に京都奉行所で腹を切った野田屋長兵衛の孫だった。


 日本初の国政選挙は明治の文明開化を待たねばならないが、選挙によって代表者を選ぶという原初的な民主制が八幡町において実施された。

 政治体制は未だ封建制でありながら、民衆の意識はすでに議会制民主政治の祖型を見せ始めていた。



 野田・北村両名に続き、五日後には紺屋仁兵衛と筆屋弥兵衛も江戸へ向かう。

 二人だけでの運動に不安を覚えた一部の筋町が二人を監視させるために行った物だった。

 一枚岩に見えた八幡町も衆愚による混乱が始まり、勝手に動き出す者が現れ始める。

 民主主義の祖型と共に、その欠点すらも既に露呈していた。


 政事方を務める伴伝兵衛の仲介により、野田・北村と紺屋・筆屋をまとめるために総年寄市田清兵衛も江戸へ向かった。

 こうして八幡町の騒動は江戸へと舞台を移す。

 野田増兵衛と北村次郎右衛門は、江戸に着くと改めて八幡町の『諸役免除特権を確認する』旨、奉行所へ訴えを起こした。

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