第66話 場所請負の復活


 


 1809年(文化6年) 夏  近江国八幡町山形屋




 山形屋江戸支配人の善吉は、定例の盆の営業報告の為に八幡の本店を訪れていた。

 当主の利助は満足そうな顔で報告書を何度も読み返していた。


「業績は安定してきたな。火事からの再建も順調だし、この分ならある程度心配はないな」

「はっ…」

 善吉は浮かない顔をしていた。

 江戸の日本橋店や京橋店の奉公人の中には、利助の行った三ツ割銀の本店預かりという改革に対して良い顔をしない者も多かった。



 江戸の町では寛政の改革による失業対策が功を奏し始め、サービス業を中心とした民間消費がけん引する形で少しづつ経済環境は改善を見せていた。

 新しく江戸で花開きつつある『化政文化』は、元禄文化よりもさらに刹那的な消費に重きが置かれ、歌舞伎や浄瑠璃などの他、小説や浮世絵と言った大量消費型の娯楽に加え、外食産業やアングラ的な性風俗産業などが特に隆盛した。


 江戸での大量消費型経済を支えるために関東近圏の商品生産はより盛んとなり、菱垣廻船による上方からの産物の独占を行っていた近江・大坂商人達に対抗する形で上州や駿州などの商人が次々に江戸に流入し、既存の商人の既得権益を奪い取るべく、様々に幕閣に対して運動を展開した。



「まだ旦那様のお力は山形屋に必要かと思います。新興商人の台頭などもありますし、山形屋にとってもまだ多難な時期ではあります」

「なに、例えどのような難事が起こっても、今のお前達なら大丈夫だ。本店では甚四郎が順調に成長してきているし、お前達が江戸と八幡で車の両輪となれば恐れる物などないだろう」

「旦那様…」


 善吉の顔は晴れなかった。

 利助は改革によって背負った店員たちの恨みを一身に背負って隠居するつもりでいた。

 善吉はそれを当初から聞かされていたものの、ここまで事業を保ってきた利助の器量を尚も惜しんでおり、なんとか当主として留まってもらうように説得するつもりだった。


「何とか残って頂くわけにはいきませんか?」

「くどいぞ、善吉。最初から決めていた事だ。誰かが恨みを背負ってでも改革しなければ、山形屋はいつまで経っても当主の力によって成り立つ商店から抜け出せなかっただろう。

 今の奉公人達は、自分達が死力を尽くして店を保つという意識を持ってくれた。俺の出来る事はここまでだ」

 利助は、特徴的な切れ長の目尻を下げながら少し寂しそうな顔で善吉に諭した。



 三年後の文化九年

 八代利助は別家衆一同の申し入れにより『不行跡の為家名返上』となり、山形屋の当主は先代の仁右衛門が甚五郎と名を改めて再家督した。

 その後、甥の恒次郎にすぐさま家督を譲り、恒次郎はわずか八歳で山形屋九代目甚五郎を襲名した。

 先代の仁右衛門は幼弱の当主の後見人となり、幼弱の当主の成長を見守る事になる。


 三代目以降代々継承してきた『利助』の名は八代目宗十郎限りとなり、以後山形屋の当主は利助を名乗ることは無かった。

 七代目利助である仁右衛門が制定した定法目録は、皮肉な事に長男の宗十郎を押込め隠居に追い込む事でその制度の厳格さを山形屋の全店員に示すことになり、以後は当主の独裁ではなく店員一同で山形屋を保っていくのだという意識を奉公人達の胸に深く刻み込むこととなった。




 1815年(文化12年) 春  蝦夷地松前奉行所




「では、これより入札の結果を申し渡す」

 住吉屋や恵比須屋などを含む多数の商人が固唾を飲んで見守る中、松前奉行所の役人が書状を前面に掲げて朗々と読み上げる。

 一座は固い緊張に包まれ、生唾を飲み込む音以外には何の音も発せなかった。


 文化四年~五年の間に蝦夷各地を荒らしまわったロシア艦に対抗するため、仙台藩、会津藩、南部藩、津軽藩などに蝦夷地警護の任が与えられ、それぞれ二千~三千人規模の軍勢を派遣していた。

 しかし、蝦夷地警護の出費は各藩に重い負担となり、仙台藩などはせっかく改善した藩財政がこの軍事出動によって大幅な支出を計上し、再び借金生活に陥る破目になっていた。


 しかし、それでもなお不足する軍事費を賄うため、幕府は松前藩時代の場所請負制を復活させる。

 ただし今回は商人達による入札と更新年限を定め、アイヌ諸族に対して無体な振る舞いに及ばぬように一応の配慮をしていた。


 東蝦夷地の開票は既に終わっており、今回は西蝦夷地各地の場所請負の入札結果を発表する場だった。



「まず、忍路場所。住吉屋!」

 傳右衛門は盛大にため息を吐いてその場にへたり込んだ。忍路、高島はすでに住吉屋のドル箱になっており、入札で負けてしまえば構築した販売網も整備した物流網も全てが無駄になる。

 正に住吉屋の興廃を懸けた一戦だった。


「おめでとうございます。まずは、両場所を確保できてようございましたな」

 隣の恵比須屋弥三治が傳右衛門に小声で祝いを述べる。


「ありがとうございます。今までの父の苦労が全て水の泡になるところでした」

 販売網の整備に尽力した四代目傳右衛門昌福は寛政十一年に亡くなっており、現在の傳右衛門は五代目昌康が当主となっていた。

 恵比須屋も代替わりしていたが、代が替わっても両家の友情には陰りが見えなかった。


 次々に読み上げられる入札結果にある者は歓声を上げ、ある者は絶望のあまりに声を失くす。

 さしずめ公共事業の入札開票という様相を呈し、書き込んだ入札額によってすべてが決まるという一発勝負だった。



「続いて石狩場所。阿部屋!」

 左後ろの阿部屋が陣取っているあたりで大きな歓声が上がる。傳右衛門は思わず隣の弥三治を見ると、岡田弥三治は目を見開いて前方を睨みつけたまま固まっていた。

 恵比須屋は代々石狩場所の開発を続けて来ており、意地でも落札したいと念じての入札だったが、阿部屋の資金力の前に為す術無く敗退した。


「なお、石狩場所は夏場所・秋場所共に阿部屋の落札とする。

 以上で入札結果の発表を終わる。落札者は引き続きこの場にて請負状に判をついて提出すること」


 同心がそう宣言して退出すると、一座はがやがやと騒音を立てながら散会していった。

 傳右衛門は放心したままの弥三治に掛ける言葉が見つからず、じっと二人でその場に座ったままだった。



「まあ、宗谷や利尻の場所は獲得できましたし、恵比須屋もなんとか生き残っていけましょう」

 そう言って無理に笑う弥三治を見ているのが辛かった。


 確かに、宗谷や利尻の他数か所の場所を落札しており、恵比須屋の経営は石狩場所を失ってもまだ致命的と言うほどではない。

 だが、ハウカセとの友誼に始まり、百年以上に渡って開発し続けて来た石狩場所を失う事は恵比須屋にとって精神的なダメージが大きいはずだ。



 入札による運上金の引き上げは、幕府の蝦夷地経営を黒字化させるほどの効果を持った。

 一時三万両の赤字を垂れ流すほどだった松前奉行は、この頃には逆に二万両を幕府に上納するまでに財政状況が改善しているが、軍事費の増大は相変わらずだった。

 要するに、それだけの運上金を請負商人達から搾り取った。


 商人の中には蝦夷地の御為替御用を務める越後屋から借入を行う者も出始め、落札分と借入金の返済を賄うために場所経営は厳しくならざるを得なかった。

 結果として、松前藩時代よりもさらに広範囲に渡ってアイヌの労働が過酷化、社会問題化し、ゴロヴニン事件などを経て日露間の緊張が雪解けを迎えると蝦夷は再び松前藩の支配に復することとなった。




 1818年(文政元年) 春  江戸勘定奉行所




 越後屋両替店の元締めを務める平右衛門は、当代八郎右衛門の代理として勘定奉行の村垣淡路守定行の前に伺候していた。


「八郎右衛門の名代として参上いたしました。越後屋平右衛門でございます」

「うむ。面をあげよ」


 平右衛門は上体を起こすと、定行の顔を正面から見た。

 今のところ米価も安定し、蝦夷や各地からの運上金で幕府の金蔵も潤っていると聞く。

 御用金といっても理由が少ないので、一体何の用かと不審を抱いていた。


「此度のご用向きはいかなることでしょうか?」

「実は、この度新たに二分判を鋳造することになった。また来年には一両小判を改鋳する。

 すでに元文の改鋳から八十年余りが経過し、小判の損耗も激しいと聞くのでな」

「左様でございましたか」

 平右衛門の顔は一気に明るくなった。


 大岡忠相の献策によって八代将軍吉宗が実施した元文の改鋳は、新旧貨幣の引替を請け負った越後屋の業績を飛躍的に伸ばすきっかけとなった。

 再び好機到来と言う頭が平右衛門の頭をかすめた。


「して、増歩はいかがなりましょうか?」

「此度は増歩はない。損耗した貨幣の引替が目的であるのでな。その方らにとっては旨味が少ないかもしれぬが、元文の折りも引替を請け負ってもらっておるし、此度も越後屋に頼みたいと思っておるのだが…

 いかがじゃな?」


 平右衛門の顔から見る見る明るさが抜けていく。村垣定行も思わず苦笑した。

 儲からないのなら、正直断りたいというのが本音だろうということは定行にも判った。

 だが…


「承知いたしました。我ら越後屋一同、責任を持って引替の御用を務めまする」

 越後屋はすでに日本の為の越後屋となるという方針を固めている。儲からないからと言って国家の大計を請け負わないという返事はあり得なかった。

 定行は意外な顔をした。もっと渋って条件を吊り上げようとするかと思っていた。


「まことに良いのか?その方の独断であろう?」

「八郎右衛門は必ずや納得しましょう。越後屋は天下の為に働くと決意を新たにしております。

 儲からぬからと言って国家の大計を尻込みするようなことはございませぬ」

「左様か」


 素っ気ない返事を返しながら、定行は内心感心していた。

 利を第一に考える商人の身でありながら、天下の為に働こうという越後屋の心意気は武士に優るとも劣らぬと思った。

 以後、越後屋は度重なる改鋳の度に御用を務め続ける事になった。



 この時に鋳造されたのが真文二分判という金貨であり、その品位は金品位56.29%量目は1.75匁に規定された。

 元文小判よりも品位が10%近く低下した悪貨だったが、翌年の文政一両小判の改鋳ではこの二分判の品位に合わせて金貨の品位が引き下げられた。


 しかし名目としては変わらず一両であり二分である。

 この矛盾の進展が、本位貨幣としての金と名目通貨としての金貨の価値を乖離させ始める。

 文政期という、遊興に耽る十一代将軍家斉や、水野忠成による賄賂全盛の時代に合わせて貨幣の価値はどんどんと低下を繰り返し、やがて幕末の金流出という大問題を引き起こす原因となった。




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