第54話 養子


 


 1743年(寛保3年) 冬  近江国八幡町 山形屋




 利助は江戸各店からの年末の定例報告を受けていた


「調子はどうだ?」

「順調でございます。日本橋店は売上百七十貫を超えましたし、京橋店も四十貫ほどまで伸びています

 ご先代様の頃に比べても引けを取らぬ規模にまで取り戻せたかと」

「そうか…京橋店はまだこれからも伸びるだろう。気を引き締めてかかれよ」

「ハッ!」


 京橋店の支配人西野嘉兵衛が自信に満ちた顔で答える

 利助の期待した通り、京橋店は開店から三年で売上を倍以上に伸ばしていた



 各店支配人から報告を受けた後、各店の年季奉公の者達が『のぼり』の挨拶に入って来た


「旦那様。晴れてお年季となりましたので、一度親元へ登らせていただきます

 長い間ありがとうございました」

「うむ。お前たちは今回が初登だったな

 路用金(旅費と土産代)は店で受け取っているだろうが、これは私からの祝儀だ

 遠慮なく受け取るといい」


 五人の丁稚にそれぞれご祝儀金二分と着物代として十一匁が懐紙に包まれ、それを帯一筋に包んで渡された



「登が明けたら次は手代として本格的に商いに参加してもらうことになる

 この正月は親元でゆっくり親孝行をするがいい」


「「「はい!ありがとうございます」」」


 十六歳から二十歳頃の若い奉公人たちが嬉しそうに受け取って下がって行った




 山形屋の奉公人はいずれも九歳~十四歳までに入店し、最初は丁稚として見習いと雑用から始める

 最初の年季は七年間で、七年無事に勤め上げて年季となると形式上一旦退職の形で一か月間休暇が与えられ、親元への里帰りが許される

 もちろん、そのまま退職する自由もあるが、例えば実家が商家で山形屋へは修行のために来ているという者以外はほとんどの者が年季明けに再び奉公を続けることを希望する


 年季明けの里帰りを『のぼり』と言い、初登のあとは手代として実際の商売に参加していく資格が与えられた

 以降、年季は五年毎となり、その度に親元へ里帰りする旅費と土産代、店主からの祝儀金などが渡された

 最終的には番頭にまで勤め上げ、別家として山形屋の暖簾を分けてもらうことが彼らの目標だった



 続いて、二度登の者が挨拶に入って来る


「旦那様。二度登になります。これまでありがとうございました」

「うむ。また登が明けたらよろしく頼むぞ」

「はい。喜んで」


 二度登の者達は一名だった

 すでに二十六歳になり、山形屋の屋台骨を支える主力の手代として活躍している

 丁稚とは違って相応の落ち着きが出て来ていた



 ―――たしか八日市の高野屋さんの三男坊だったな

 名前は長五郎だったか

 商売の勘所に優れていると嘉兵衛が褒めていたな



「長五郎はすぐに親元へ帰るのか?」

「いえ、久しぶりに八幡町を満喫したいと思っていますが…」

「そうか……実家は確か八日市の高野屋さんだったな」

「はい。覚えていて下さったんですね」


 利助はこのところ自身の後継者を誰にするか思案に暮れていた

 男子は一人授かったが、享保十七年に若くして亡くしていた

 残っているのは女子ばかりで、いずれ誰か養子に迎えねばならないと思っていた


 長五郎はゆったりと落ち着いた所作に思慮深さが見えて、利助はこれは良い器量かもしれないと思った



「長五郎。お前うちのを娶る気はないか?」

「………は?」

 突然の事で間の抜けた返事が返ってくる

 しまは十六歳になる利助の末娘だった


「知っての通り、甚七を亡くして以降我が山形屋は後継者が居らん

 お前さえよければ、しまを娶って私の養子となり、山形屋を継ぐ気はないかと言っているんだ」


「は……あの……私が、ですか?」

 長五郎はいきなりの事に動転した

 今の今まで精一杯精勤していずれは暖簾分けをと考えていたのが、突然本家を継がないかと言われたのだから無理もなかった



「無理にとは言わんが、養子として継がせるとなれば分家や別家からうるさい事を言う者も出てくるだろう

 私の目の黒いうちに家督を譲り、後見していかねばならんと思っていた所なのだ」


「……私を見初めて下さったことに心から御礼申し上げます

 そのお話、喜んでお受けさせていただきます」


「そうか。では、登の際には私も高野屋さんへ挨拶に行かねばならんな

 大事なご子息をもらい受けたいと言わねばならん」

「実家は兄が継ぐことになっております

 伝統ある山形屋に見初められたと知れば父も喜びましょう」


 最初は驚きだけがあったが、すぐに顔を引き締めて受けるあたり長五郎も機転の利く男だった



 年末に利助は正式に高野屋へ行き、長五郎を養子にもらい受けることで了解を得た

 長五郎はそのまま山形屋本店に留まって養子として本店の経営を覚え、二年後の延享二年に家督を譲られて『山形屋』六代目理助を名乗った


 五代目利助は隠居し、甚五郎と名を改めた




 1745年(延享2年) 冬  蝦夷国松前城下 住吉屋




 住吉屋西川傳右衛門は恵比須屋岡田弥三右衛門を迎え、来年の上方への廻船の打ち合わせと今年の漁の成果を踏まえて来年の漁場運営の計画を話し合っていた


 といっても、両家の手代達も参加して酒が振る舞われ、堅苦しい仕事の打ち合わせというよりは今年の豊漁を祝っての早めの忘年会といった様相になっていた

 戻した干カズノコや炙った干鮭、野菜とタラの煮物に戻しアワビの田楽、取れたての茹でガニなど豪華な料理の数々が供された



 酒に強い方ではない傳右衛門は顔を赤くし、賑やかに騒ぐ手代達を見ながら弥三右衛門と楽しく飲んでいた


「いやあ、愉快ですな。毎年このように皆で楽しく過ごせるのも、ニシンという産物を作って下さった御父上のおかげですなぁ」

「いや、恵比須屋さんも今では我が家よりも多くの場所を請け負っておられる

 ニシン漁はますます盛んになっておりますし、来年も良い年になるといいですな」



 と、今まで楽しく酒を飲んでいた弥三右衛門が突然深刻な顔つきになった


「多くの場所を請け負わせていただけていますが、その分場所の境界争いも激しくなってきてましてな

 ニシンだけでなく、鮫漁やナマコ漁なども行う者も出てきておりまして…


 私の請け負っている小樽内では幸い争論(裁判)にまで発展するような事にはなっておりませんし、リシリ(利尻島)などは島なので境界というものはありません


 ですが、黒木屋の請け負っているスツキ場所と隣のシマコマキ場所では享保の頃より年来争っていると聞きますし、ヲスタツの蠣崎元右衛門様は志摩守様の直轄領であるイソヤ場所と境界争いをされているとか…


 今まで漁場経営など見向きもしなかったのが、カネになると分かった途端に……現金なものです」


 憮然とした表情で弥三右衛門が一口酒を飲む



 ―――場所争いか…私が請け負うヲショロ・タカシマは幸いにして隣同士だから問題は起きていないが、蝦夷各地ではほとんどの知行地が既に請負に変更されているという

 商人同士の権益争いが出てくるのはやむを得んことではある



 傳右衛門もつられて思案顔になった

 弥三右衛門があわてて笑顔を作り直す


「これは、楽しい宴の席で無粋な事を申しました

 ささ、住吉屋さんも一献」


「あ、これは申し訳ない」



 お互いに差しつ差されつしながら松前の夜は更けていった




 1747年(延享4年) 秋  近江国八幡町 山形屋




「この通り、御頼み申す」

「…」

 山形屋六代目を継いだ理助は、客間にて堅崎藩勘定方の真野清右衛門から千両の貸金の依頼を受けていた



「ご公儀より瀬田川橋の架け替えの御用を仰せつかったのだが、我が藩にはそもそもそのような普請を行うカネが不足しております

 まことにお恥ずかしい話だが、恥を忍んでなにとぞ…」


「お顔をお上げ下され。小舟木様は我が家の初代仁右衛門とご厚誼のあった大切なお家でございます

 お役に立てるのであればご協力いたしましょう」


 真野の顔がぱあっと明るくなる


「有難きお計らい、感謝に耐えません!西川殿。ありがとう存ずる」



 この頃には武士の中にも殖産に成功して藩財政の改善を見せる者と、アイデアが不発に終わり相変わらずの財政難に苦しむ者とで二極化が進み始めていた

 八幡町は特に江戸や東国に強いコネを持つ卸問屋センターで、自国の産物を売り込みに各藩の作事方や勘定方、勝手方などと称する者が八幡町で定宿を取っていた


 つまり、産物の売り込みと万一の場合の借金の申し込みを行う出先機関を作る大名家が出始めていた



「ときに、堅崎藩では産物はどのような物を生産されておられるのですか?」

「産物といっても近江にあってなお山深い場所でござれば、竹細工や葦簀など昔ながらの産物に頼っているのが現状でござる」


「ふむ……よろしければ、新たな産物を開発されませんか?」

「新たな産物……でござるか?」


「左様にございます

 今各国のお大名方は積極的に自国の産物を売り込みに来ておられます

 良い産物があれば我らも商いとして引き取らせていただいております


 堅崎藩でも領内の新田開発だけではなく、織物や扇、硯や名産の果物など栽培されれば、新たな年貢を得られる助けとなるのではありませんか?」


「なるほど……

 いや、しかし我ら武士にお手前のような売れる産物を作れるかどうか…」

「売れるかどうかではなく、どのように人々に使ってもらうか。でございますよ

 人々の生活の役に立つ物ならば、喜んで扱わせていただきますので是非一度ご検討ください」

「うむ… 一度戻って殿とご相談申し上げて参ります」



 店先まで見送った後、理助は一人ため息を吐いた



 ―――あの様子では財政の改善は覚束んだろう…

 我らも江戸へ出れば運上に冥加にとなにかとご公儀にカネをせびられる

 正直、雇われの身であった頃はこのような苦労があるとは想像もしていなかったな

 旦那様… いや、ご隠居様やご先代様達はこのような苦労をして山形屋を保って来られたのか



 山形屋は四代利助の遺訓に従って貸金には手を付けていなかったが、商売上で世話になっている大名家から借り入れの申し込みがあれば検討しないわけにはいかない

 山形屋などはまだマシなほうで、扇屋や大文字屋は大坂商人とも付き合いがあり、その伝手で次々と武士からの借金を申し込まれていた



 理助はこの夏に長男吉太郎を授かっていたが、妻のしまは産後の肥立ちが悪く、吉太郎を産んですぐに亡くなっていた

 父である先代利助改め甚五郎は悲嘆にくれ、その分だけ吉太郎を可愛がってくれていた



 ―――義父から預かった山形屋を吉太郎に継がせるまでなんとか持ちこたえねばな



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