二代 甚五郎の章

第22話 継ぐ者達



 1610年(慶長15年) 夏  近江国蒲生郡八幡町山形屋




 西川甚五郎は、明け六つ(午前6時)前に夜明けと共に目覚めた

 三和土を下りて取り井戸まで行き、水を汲んで顔を洗う




 奉公に来ている丁稚が店の前を掃き掃除していた

 厨では、下男と下女が忙しくかまどの前で立ち働いていた

 住み込みの奉公人の分も合わせて飯の支度をしている

 毎日八升の米を炊くのだから大変だろう


「甚五郎さん、おはようございます」

「ああ、おはよう」


 丁稚が裏庭の掃除に回ってきた。今年十一になる

 近郷の小舟木村から奉公人として父仁右衛門が雇った者だ


 続いて年かさの手代が取り井戸に来る


「甚五郎さん、おはようございます。早いですね」

「おはよう、善助。みんなもうぼちぼち起きてくるかな?」

「そろそろかと思いますが。朝飯の匂いがしてきましたからな」


 言う間に住み込みの手代二名がどやどやと取り井戸にやってきた

 口々に”おはようございます”と挨拶を交わす


 甚五郎は東の空を見上げた


 ―――今日も暑くなりそうだ



 顔を洗うと店主一家と手代・丁稚一同が膳につく

 下男・下女は雑用係だから、食事は三和土で取る



「いただきます」

「「「いただきます」」」

 父、仁右衛門の合図で全員が食べ始める


 朝飯は玄米飯と鮎河菜の味噌汁、それに日野菜の漬物だ

 父の若い頃は米など滅多に食えるものではなかったらしいが、この頃では物成も良くなってきており、町人や百姓でも米の飯を食うことは日常になっていた


 貧しい者は相変わらず稗や粟などを混ぜて食っているそうだが…



「旦那様。今日は町年寄りの会合がおありでしょう?私は丁稚達と昨日鹿磯から届いた荷を整理しようと思っていますが…」

「うむ。それでよい。総年寄殿が相談したい事があるとかでな」


 それで今日一日の予定は決まった

 店の者の手前、息子であっても店主は旦那様と呼ばなければならない

 窮屈だがやむを得ない



 八幡町では、一昨年の慶長十三年に綿屋の西村嘉右衛門殿が総年寄に選出されていた

 各筋毎に町年寄を回り持ちで選出し、総年寄は町年寄と合議の上で町の運営方針を決め、幕府代官所と調整して町内の各種の訴訟の判決や町内の取り決めを行う


 要するに、幕府天領の中での自治を行っていた

 ただし、形式上は総年寄は代官から任命される町代官なので、帯刀が許されていた




 朝飯を食べ終わると、各自の膳を厨まで運び、仕事にかかる

 手代たちはそれぞれ売捌きの荷を天秤に下げて、五つ時(午前8時)までには里売りに出発する



「おはようございます」

「利右衛門殿、おはようございます。相変わらず請け人では一番乗りですね」

「はは。手前には人一倍気張るだけしかできませんから」


「はい、用意はできていますよ。お代はいつも通り、帰りに寄ってくだされば結構です」

「ありがとうございます。では!」


 今の男は西川にしかわ利右衛門りえもん数政かずまさ


 父親の西川勘右衛門は元は朝倉家の家臣だったらしいが、現在は八幡町の外れに住んで幼童に読み書きを教えて生計を立てている

 次世代を担う子供の教育は町の一大事と、父をはじめ八幡町の商家が勘右衛門殿の生活の世話をしていた



 利右衛門は今年の春から行商を志して、山形屋から荷を仕入れていく

 変わった男で、通常近郷の行商は天秤棒を担いでいくものだが、利右衛門はなけなしの銭をはたいて馬を買い、馬一頭に荷を満載して里売りに出た


 天秤でかつぐより余程沢山の荷を扱えるのは道理だが、逆に一日では捌き切れないのではないかと心配した

 だが、天性商才が備わっているのか、夜に仕入れ代金を決済するために店に立ち寄った時には、馬の背はいつも空だった


 父、仁右衛門は商いを自由にさせるため、行商の者たちにも売捌き用の荷を卸していた

 品質を保つために、蚊帳や畳表などは以前の行商仲間の四家で全て仕入れ、各行商人はその仲間四家から卸してもらって売捌きに出る


 行商へ卸す荷は一般のお客が買い求める値よりもかなり割安に設定していた




「塩合物は籠に入れてここの土間に。干物は棚の上にざるを敷いて置いてくれ。

 蚊帳と畳表を汚すなよ」


 丁稚達に指示を飛ばしながら店の棚を整理していく


「おはよう、甚五郎さん」

「ああ、きぬさん。おはようございます。今日も早いですね」

 近所のおかみさんだ。鹿磯からの荷を目ざとく見つけて、翌朝にいつも買いに来てくれる


「昨日市左衛門さんから荷が届いたのでしょ?鹿磯のアジの干物はおいしくて。ついつい買いにきちゃうの」

「はは。兄もよろこびます。五枚で十文です」


「はい。じゃあこれ」

「毎度ありがとうございます」



 その後も近所や近くの村のおかみさんが続々と能登の海産物を目当てにやって来た





「ふう。おおい!新平!手の空いた者から順に昼飯を食ってこい」

 丁稚達の頭領格の新平に指示をだす。あと一年ほど経験を積めば、手代として売捌きに出られるだろう

 そろそろ八つ時(午後2時)頃だ。店の中もだいぶ暑い

 売捌きの手代たちは握り飯を持たせてもらっているはずだ



 昼飯を食って戻って来た新平に店番を任せ、自分も昼飯を食いに行った

 今日の昼飯は玄米の冷や飯にきんぴらごぼうと芋茎の煮物だ


 魚は文字通り売るほどあるが、売り物を食べることは父が一切許さなかった

 商売と生活を分けて、生活は始末を徹底するのが父の方針だ。 …いや、八幡町の方針か




「畳表を見せてもらえるかな」

「どうぞ。こちらなどは少し割高ですが、品質は折り紙付きですよ」


「これは備後表かね?」

「いえ、近江表でございます。備後表ほどではありませんが、良い出来の物ですよ」

「うむ。ではこれを五十畳分。畳に加工してくれるか?届け先は堅崎藩の和邇陣屋だ」

「はい。二十日頂きますがよろしいですか?」


「来月の晦日みそかにはご普請が出来上がる。それまでに仕上げてくれればよい」

「かしこまりました。お代は冬の御蔵米からですね?」

「そうじゃ。藩御蔵方奉行の真野様へ請求を届けられるがよい」


「ありがとうございます。では、来月晦日に和邇陣屋へお持ちいたします。請け状を出しますのでしばしお待ちを。


 おおい、新平。請け状を書く故、お客様を客間へお通ししてくれ」



 言うと、新平がお客の武士を案内していく

 大口のお客様は客間へお通しし、濃い煎茶と栗饅頭をお出しする

 父や自分たち兄弟ですら正月くらいしか口にできんが、お客様への饗応には財を惜しまないのも八幡町の方針だ



 帳簿に


『畳五十畳 八月晦日 堅崎藩和邇陣屋 銀二十貫五百匁  御蔵奉行真野様 御請求宛』


 と記帳し、注文請状を紙に認める

 八月の末に納品しても、年貢米を銭に変える年末まで請求はできない

 請求は盆と年末の二回だけというのが慣例だ



「失礼いたします。大変お待たせ致しました。請け状でございます」

「うむ」

 茶菓子の盆が空になっているのを確認する

 どうやら気に入ってもらえたようだ


「こちらは先ほどお召し上がり頂いた栗饅頭でございます。お土産用に包みましたので、よろしければ帰りの道中お召し上がりください」

「左様か。いや、お気遣いかたじけない」


 おそらく奥方へのお土産になるのだろう

 土産代が浮いて小遣い銭が儲かったと思っているはずだ




「またどうぞご贔屓に」

 そう言うと店先まで送り出して頭を下げた


 相手はおそらく堅崎藩作事方勤めの武士だろう。気持ちよく帰ってもらえば、また次の機会に注文を頂ける

 安いご進物ではないが、これも始末のうちだ




「ふぅ。そろそろのれんを下げてくれ」

「かしこまりました」

 もう日が傾いている。暮六つ(午後6時)は過ぎているだろう


「ただいま戻りました」

 善助たち売捌きの手代が戻って来た

 売上と残った荷を受け取って、持ち出した分と勘定が合うか確認する


「ごめんください」

「ああ、利右衛門さん。さすが今日も残り荷はなしですか」

「ええ、おかげさまで。はい、仕入れ分です」

 そう言うと、銭三百文と銀二十匁を取り出す


「はい、確かに」

「明日は蚊帳を十反とイグサ莚を二十枚、塩合物を一斗樽分お願いします。ああ、あと古着を十枚」

「承知しました。明日の朝に準備しておきます」



 店を畳むと丁稚達と共に明日の売捌き用の荷を準備する

 請け人達からの注文分も同様だ

 明日の支度が終われば夕食となる


 晩飯は、朝炊いた冷や飯を湯漬けにして、日野菜の漬物と共に食べる

 米を炊くのは朝の一回だけ

 その後は朝に炊いた冷や飯を食べる

 晩飯を取った後は寝るだけなので、簡素に済ませるのが日常だ




 皆が晩飯を食って、眠る前に書き物の練習をしたり雑談などをしているのを見て、父の部屋に向かった

「父上、少しよろしいでしょうか?」

「甚五郎か。どうした?」


 返事があったので、障子を開けて中に入る



「大御所様が江戸に幕府を開かれ、五年前には二代様が上様となられております。灰屋さんは七年前に江戸に店を出されましたし、扇屋さんも近々江戸に店を開かれるとか。


 我が山形屋も、江戸に店を持つべきではありませんか?」


「それはわしも思っているが、まだ大坂に右大臣様(豊臣秀頼)が居られる以上、予断を許さぬ。

 もう少し情勢を見極めねばな」

「わかりました」



 その後店のことについて二、三打ち合わせをして、部屋に戻る

 そろそろ暮四つ(午後10時)だ

 灯明もタダではないので、吹き消して眠りに就く



 明日から十日間は新八さんと弟の弥兵衛に店番を任せて、父と一緒に三河まで売捌きに出る


 ゆっくり休まないと…




 1611年(慶長16年) 春  伊勢国飯高郡松坂越後殿酒屋




「これは私がなんとかせねば…」


 三井則兵衛高俊の妻・春は、今年二十二歳になっていた

 昨年、剛腕の商人だった義父の宗兵衛高安が死んだ


 夫はおよそ商いから縁遠い暮らしをしている

 放っておけば、十年と保たずに路頭に迷うことになるだろう



 五年前の慶長十一年には長男三郎左衛門俊次を産んでいる

 その他にも娘が二人居る

 今更出戻るわけにもいかないと肚をくくった


 幸い、義父の残した酒屋はまだ商売をする機能は十分にある

 今から立て直そうと決めた



「奥様、いかがなされますか?」

 義父の代からの番頭である勘治が心配そうに聞いてきた

 一時氏郷公を失って抜け殻のようになった義父の代わりに、悪戦苦闘しながらもなんとか店を潰さずに切り盛りしてくれていた



「酒・味噌の商いは引き続き勘治さんにお願いします。

 私は土蔵(貸金業)のやり方を変えようと思うの」

「はあ…土蔵ですか」

「ええ。義父は商人司だったそうだから、商人向けの大口融資ばかりだったと思うけど、私はそれを庶民の為の小口の質蔵に変えようと思う」


「 …奥様。差し出がましいようですが、庶民向けの質蔵は恨みを買うことも多い商いでございます。

 あまりお勧めはできませんが…」

「恨まれるのは、暴利を取るからよ。私は一両につき年二朱(年利12.5%)にする」


「ええっ!しかし、年二朱では利益が出ないでしょう。

 ふつうは質蔵なら年二分(年利50%)以上は取ります。貸し倒れの危険もあるのですから、利が安すぎれば逆に赤字となってしまいますよ」


「大丈夫。今は百姓の物成も上がっているし、生活に困る程の質草を取らなければ、少なくとも翌年に回収する原資は作れると思う。

 いや、私が尻を叩いて作らせてみせる!」


「はぁ… まあ、若旦那様があのご様子ですから、口は出されないと思いますが…

 本当に大丈夫でしょうか?」

「大丈夫!まっかせて!」


 春は力強く請け負った




 宗兵衛の息子である現当主則兵衛は、元々商いに興味もなければやる気もない男だった

 春が店の経営をすると言ったら、これ幸いと全て任せて自分は遊芸にますます没頭した


 店に居ることも稀だったが、その後もきっちり子供は授かっていた


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