第76話「真相」

 火球攻撃を凌がれてしまい、戦いに小休止が訪れた。

 惣太郎の竹光から枝葉が落ちて元に戻り、炎怒は静かに幽切を鞘に戻す。


 火球が通じないからといって、炎怒の炎が完封されたわけではない。

 たとえば極寒地獄から神殿へ連行される途中、炎怒を嗤う天界の村人に炎の制裁を加えた。

 火球をぶつけるのではなく、あのように対象を発火させることもできるのだ。


 なぜやらないのか?


 便利な能力だが欠点があり、発火させる箇所に念を集中させなければならなかった。

 数秒でいい。

 じっとしていてもらわなければならない。


 だが惣太郎の動きは俊敏だ。

 念が集中しているのを感じとったら、その隙を突いて斬りかかってくるだろう。

 発火は無理だ。


 火球も発火も通じない。

 炎怒の能力はそれだけではないが、遠距離からの攻撃はやめることにした。

 諦めたわけではない。


 火球を撃っている最中、惣太郎の〈心〉が断片的に見えた。

 それらを繋ぎ合わせていくことで見えてきた悪魔堕ちの経緯。

 惣太郎という悪魔の成り立ちを知ったとき、どう退治するべきかがわかったのだ。


 そして思った。

 ——やはり幽切で退治するしかない。


 この霊刀は持ち主の状況を理解して変化する。

 いま頃、鞘の中で惣太郎に対抗できる形に変わっていることだろう。

 炎怒は呼吸を整え、惣太郎退治の幽切を鞘から抜き放った。



 ***



 炎怒が見た惣太郎の歴史、それは江戸時代に遡る。


 惣太郎は下級武士の家に生まれたが父は浪人だった。

 毎日酒に溺れ、己の不運を嘆いて暮らしていた。


 母は武家の妻らしく気丈で、内職などで家計を支えていたが、生活苦から常に機嫌が悪かった。


 少年が物心ついた頃、家はすでに荒れていた。

 妻は夫に見切りをつけ、家の再興を息子に期待した。

 惣太郎は幼い頃から完璧を求められた。


 剣術や学問、能力を高めていくこと以外全て許されない。

 年相応の子供であることを許されない。

 苦手が見つかれば母から容赦なく責められた。


 父は庇わない。

 むしろ妻の矛先が自分から逸れたことに安堵する有様。

 常に気が立っている母は近所でもあまり評判が良くなく、惣太郎を庇おうとする近所の者はいなかった。


 庇うどころか周囲は惣太郎を嗤った。

 志は立派だが、身なりがそれに伴っていなかったからだ。

 武士らしく帯刀しているが、貧しいので竹光だった。


 近所では見下され、道場でもいじめられていた。


 ——竹光がいくら努力しても真剣になれはしない。


 自分はこの竹光と同じだ。

 いくら励んでも母上は納得しない。

 周囲が認める立派な武士になれはしない。


 惣太郎は過酷すぎた己の境遇に疲れ果て、兜置山で首を吊った。

 享年九歳。

 まだ人生の楽しみを何も知らないまま迎えた幼すぎる死だった。


 苦しみの果て、ついに意識を失った惣太郎。

 次に意識を取り戻したとき、眼前に広がっていた景色は兜置山のままだった。


 ——死に損なった。


 しかしそうではなかったのだ。

 命の限り生きられたからもう十分と納得した死ではなかった。

 短くとも自分の生はこのためにあったと達成感のあとにやってきた死でもない。

 身体は生存不能になれば死ぬが、霊体は違う。


 それでは死なない。

 死ねない。


 だから死んだと自覚するまで天に帰ろうとは考えない。

 意識があったことで、死に損なったと誤信している惣太郎にその自覚はない。

 明日やり直すことにし、一旦帰宅することにした。

 自分の遺体を振り返ることなく……


 ところが、彼が帰宅することはできなかった。

 見知った道、見慣れた風景。

 間違えるはずがない道を、どう歩いても自宅に辿り着くことができない。


 やがて気がついた。

 家がない、と。


 死後の惣太郎が立つ場所は霊界の弓ノ木。

 現実の弓ノ木ではなかった。

 大体同じだが、寸分違わず同一な世界ではないのだ。


 霊界の弓ノ木に惣太郎の家はなかった。

 生い茂る雑草が、ずっと前からここに家など建っていなかったと主張する。

 それも当然だった。

 家族の誰もが眼中になかったのだから。


 霊界に存在するものはすべて霊。

 人の霊、刀の霊、そして家の霊。

 家はそこで暮らす住人が大切にするから霊が宿り、霊界にも現れる。


 自らの不運を嘆き暮らす父。

 周囲から蔑まれた恥を雪ごうと、息子を鍛え上げることに取り憑かれている母。

 母の怒り、周囲のいじめ、身の安全のことで頭がいっぱいの惣太郎。

 誰も家の方を向いている者はいなかった。


 惣太郎は雑草が生い茂る空き地で呆然と立ち尽くした。

 何日も、何年も……


 そんな彼に声をかけたのが悪魔レットウだった。

 自らを神様の使いと名乗り、惣太郎を天晴れだったと褒めそやした。

 そして本題を切り出す。


 おまえを認めず、虐げる奴らは人の皮を被った鬼だから退治しよう。

 言う通りに励めば、その竹光は真剣以上の業物になる。

 だから手を組もう、と。


 それから月日が流れて現代——

 惣太郎は小学生時代の中岡を発見したのだった。


 工場をリストラされて腐る父とそのことが原因で荒れる母。

 同じ境遇の少年を見捨てることはできない。

 レットウの指導の下、惣太郎も竹光も〈鬼退治〉を通して鍛え抜かれた。

 かつての無力な子供ではない。


 惣太郎は中岡少年に救いの手を差し伸べ、少年もその手を掴んでしまった。


 これらが断片的に炎怒に伝わってきた惣太郎悪魔化と中岡の霊気が消えた原因だった。



 ***



 炎怒はずっと間違っていた。


 この世はすべてが風化していく世界。

 物体にも霊体にも平等に風化が襲いかかる。

 生物のように新陳代謝できない霊は蒸発し、あの世に送り返される。

 故に炎怒やレットウのような霊は、この世に留まるために憑代が必要だったのだ。


 憑代は必ずしも人間である必要はない。

 要は蒸発が防げればよいのだ。

 道具でも動物でも、風化に耐えて形を保てるものならば何でもよい。


 もっともそれらは憑依しやすい代わりに制約がある。

 道具は動けない。

 動物は動けるが本能が強く、制御しにくい。

 なので、なるべく操りやすい人間が望ましかった。


 だから生ある人間の中から悪魔の主たる憑代を探した。

 それが間違いだった。


 炎怒は失念していた。

 風化に耐えて形を保てるもの。

 それが物体とは限らないことを。


 どれほど月日が流れても褪せず、減らず、変わらないもの。


 ——それは怨念。


 怨念を抱く霊体ならば風化しない。


 いくら生きている人間の中から探しても見つかるはずがないのだ。

 レットウの主たる憑代は数百年前に怨念を抱きながら死んだ惣太郎だったのだから。


 光原は主たる憑代ではない。

 悪魔とは直接契約していない。

 していないが、中岡からみんなの様子を教えて欲しいという頼みを引き受けてしまった。


 そのときから自覚はなくとも、主たる憑代の協力者になったのだ。

 主たる憑代のために情報を集めてきて提供する係だ。

 あの黒靄はその協力の証だ。


 中岡も主たる憑代ではない。

 彼は目立ち過ぎて、人間を唆すという悪魔の目的に適さない。

 彼では魔界側の任務は確実に失敗する。


 主たる憑代を中岡だと決めつけて退治に行ったら、返り討ちに遭うところだった……


 あの日、晴翔が語っていたドローンで撮影していた会社の話。

 最上位の上司は社長だろう。

 主任とは呼ばないはずだ。


 ということは現場には出てこない〈社長〉がどこかにいることを意味する。


 光原がドローンで中岡は操縦者。

 操縦者に指示を出す主任は惣太郎。

 惣太郎主任を従えている社長こそがレットウ。


 ようやく真相が明らかになった。

 確かに中岡は悪魔の主たる憑代ではあったのだ。

 ただし、レットウではなく惣太郎の。


 惣太郎は悪魔に近い霊質に変わったものの、未だ人間だった頃の気分が抜けない少年の霊——

 誘導してやらせるより、乗っ取った身体を操って自ら手を下そうとする。


 結果、悪魔憑きの特徴通りに霊気は消えるが、目立ちすぎて悪魔の憑代らしくないという矛盾した外見になってしまったのだ。

 引き摺り出してみれば簡単にわかることだが、確信がないまま実行することは出来なかった。


 悪魔は目立つことを嫌い、自分の手を汚さないという炎怒たちの決めつけが生み出した謎だった。


 そもそも魔界から派遣された悪魔は間違いなく一人だったのだ。

 魔界側は協定を破ってはいなかった。

 ただこの世の住人が一名、レットウに唆されて悪魔に変化したのだ。

 その結果、派遣された悪魔は一人だが、反応が複数という現象が起きた。


 炎怒たちが悩まされるはずなのだ。

 実質二対一だったのだから。

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