第31話「おもちゃ」

 四時間目が終了した喜手門高校では昼休みが始まった。

 友達と集まって弁当を食べる者、学食に行く者。

 みんな思い思いの場所で昼食を摂り始めていた。


 炎怒は倉庫裏に来ていた。

 正確には連れて来られていた。

 朝、申し渡された通り、四時間目終了と同時に中岡と細川に連行されてきたのだ。


 制裁といえば体育館の裏が定番だ。

 しかし残念ながら職員室からよく見える位置なので、誰も利用しない。

 その代わり、職員室からも校舎からも死角になっている倉庫裏が利用されていた。


 ここは体育や運動部の用具を収納しておく倉庫。

 五時間目が近付くまで誰もやってこない。


 授業終了後、すぐに連れて来られたので、中岡達も昼食はまだだった。

 さっさと片付けて食べに行くつもりなのだろう。

 晴翔を挟むように、前に中岡、後ろに細川、横に少し離れて太田という配置で、すぐに朝の続きが始まった。


「弘原海〜 太田が腕振り回して一人で階段から落ちたとか、信じられるわけねーだろ?」

「ここでボコられてるのは、いつもてめぇの態度が悪いから躾けてやってんだろ?」


 中岡と細川が口々に喚く。

 その話に傾聴するほどの内容はない。

 とにかく気に入らない、ということしか伝わってこなかった。


 おそらくこの子供達は呼吸し、生きているだけで不満が貯まっていくのだろう。

 増大していく不満を何かにぶつけなければ、頭がどうにかなってしまう。


 だから〈おもちゃ〉を探す。

 楽しく遊んでストレスを発散する。

 遊びすぎて、壊れても構わない。


 相手はおもちゃ。人間ではない。

 遊びのつもりだった。いじめではない。


 彼らのしていることはそういうことなのだ。


 まったくの八つ当たり——

 しかしいじめというのは本来、そういうものなのかもしれない。


【弘原海の臀部中央に右前蹴り】


 後方から細川の心が聞こえてきた。

 長い口上が終わり、いよいよ始まるらしい。


「態度でけーんだよ! 土下座しろ!」


 と背中から罵声が飛んできたのに合わせ、地面の影を見ながら炎怒は左にズレた。

 直後に、弘原海の臀部があった空間を、細川の前蹴りが空を切る。


 横で見ている太田と違い、二人は初めて見る体捌きに驚いた。


 今日まで弘原海に対して攻撃が外れたことはない。

 現れただけで竦み上がり、始まればすぐに蹲って、一切避けようとしない。

 思う存分、攻撃を命中させてきた。


 それがいま躱された。

 正直、驚いたが、すぐに怒りが取って代わった。


【弘原海の左目に右拳】

「何避けてんだ、この野郎っ!!!」


 次は中岡だ。

 右拳を振りかぶりながら距離を詰めてくる。

 恐ろしい形相だが、予備動作を見せながら近付いたら、晴翔のように避ける気がない者にしか当たらない。


 さらに、読心によって攻撃を事前に知られている。

 太田の二の舞は必定だった。


 炎怒は後ろに下がり、細川の次の攻撃を誘った。

 二人の攻撃が命中する寸前で避け、同士討ちを狙う。


【弘原海の後頭部に右拳】


 細川が炎怒の策に乗ってきた。

 後ろから靴底で砂利を踏み締める音がする。

 力一杯殴りつける気なのだろう。


 二人は炎怒を間に挟んで勢いを増す。

 それぞれ間合いに入ると、前後で右拳を打ち出す体勢になった。


 十分に引きつけて……


 いまだ!


 タイミングを測っていた炎怒が二本の腕を避けようとする。

 まさにそのとき——


「一年一組、中岡——すぐに職員室へ来なさい」


 倉庫の近くに設置されている校内スピーカーが中岡を呼び出した。

 どことなく怒りがこもっている気がする。


 思いがけない横槍に、殴りかかろうとしていた二人の動きが止まった。


「ちっ……何なんだよ」


 これから痛めつけようと思った矢先、思わず舌打ちする。


 だが行かないわけにはいかない。

 中岡に心当たりはなかったが、出向くまでスピーカーで全校に名前を連呼されるだろう。

 それは恥ずかしい。


 振り上げた拳だったが、ポケットにしまい、弘原海を睨みつけた。

 細川もそれに倣う。


「命拾いしたな。だけど、終わりじゃないからな?」


 捨て台詞を残して三人は職員室の方向へ歩み去っていった。


 一人取り残された炎怒は少し離れた地面にしゃがみ込む。

 常人には見えないだろうが、そこに晴翔が体操座りの姿勢で蹲っていた。


「もう大丈夫だぞ。いなくなった」

「うん」


 怯えてはいるが、制裁の最中、炎怒が身体に重さを感じることはなかった。

 確かな進歩だった。


「よく平常心を保てたな。おかげで動きやすかったよ」


 褒める炎怒に晴翔は笑みを返した。

 怖かったので言葉がうまく出て来ないのだ。


「さあ、立て。俺たちも早く昼飯を食わないと」


 コクンと頷くと、震える膝を押さえながら頑張って立ち上がる。

 炎怒は見ているだけで手を貸すことはない。


 意地悪や厳しさからではない。

 晴翔は霊体、炎怒は人体に憑依中なので、両者が物理的に触れ合うことはできない。

 晴翔が一人で立ち上がるしかないのだ。


 傍目には倉庫裏で壁に向かってしゃがみこんでいる変人に見えるだろう。

 だが、時は昼休み。

 食事と何の関係もないこんな場所に好き好んで来る変わり者はいない。

 誰にも見られずに済んだ。


 炎怒はスッと立ち上がり、その場を立ち去る。


 あいつら、まだ諦めていないようだった。

 午後も面倒そうだ……


 きちんと食事を摂って午後に備えよう、と学食に向かうのだった。

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