第30話「いじめと担任と『さ行』」

 中岡は炎怒の胸ぐらを掴んで揺さぶる。


「弘原海く〜ん 昨日は太田君にひどいことをしたんだってね? いくら悔しいからって後ろから突き落としちゃダメだろ〜?」


 あれ? そうだっけ? と確認するように太田の方を見る炎怒。

 太田は一瞬目が合ってしまうと、ばつが悪そうに視線を逸らし、合わせようとしない。


 自分のほうが絶対に強い、と確信できる弱者に挑むような連中だ。

 そんな奴らの語る礼儀作法や正々堂々など、所詮この程度のものだ。

 こいつらの面子に付き合っている暇はない。


「腕を振り回した挙句、一人で落ちたようだったが?」

「あぁっ!?」


【頭突き中止。弘原海の左目に右拳を打ち込む】


 中岡が右手を握りしめて振りかぶる!


 キーンコーンカーンコーン——


 炎怒が殴られる寸前、朝のホームルームを知らせるチャイムがスピーカーから流れて動きが止まった。

 興が削がれた中岡は左手で掴んでいた胸ぐらを捨てるように離した。


「てめぇ、今日は絶対に許さねーからな。昼休み、倉庫裏に来い!」


 そう吐き捨てて解散。それぞれの席に戻っていった。


(今日っていうか、許したことあるのか?)


 吐き捨てられた炎怒は疑問が浮かんだが、口にはしなかった。

 喧嘩を売りにきたわけではない。


 何も言い返さなかったので、すぐに何事もなかったようにいつものクラスに戻った。

 ついさっきまで荒れていた様子など微塵も残っていない。

 そのことをわざわざ先生に報告する生徒もいないだろう。


(確かに、先生がクラスの実態を掴むのは難しいだろうな)


 社会から切り離され、何が起きようと、どうなろうとすべて自己責任の世界。

 そこは隠滅できない証拠が残らない限り、何もなかったことにできる、力ある者たちの楽園。


 ここにいる間だけは強い者が人間本来の姿に戻れる。

 太古の祖先達とやり方は異なるが、現代のやり方で獲物を追い込んで仕留める喜びを味わえる。


 この学校という場所は建学の精神がどうあれ、いまはそういう側面がある。


 人間自らの意思で人間性を捨てさせ、本能に忠実な獣に戻すこと。

 それが悪魔の目的だ。

 奴らの目的とこの場所の有様は相性が良い。


 喜手門高校は周辺で最も大きな高校。

 こういう場所を奴らが見逃すとは思えない。


 おそらくここにいる。

 生徒か? あるいは先生か?


 何事もなかったように装うクラスメイトたちを見ながら、そんなことを考えていると朝のホームルームのために先生が教壇にやってきた。


(あれ?)


 とその先生を見た晴翔が不思議そうにする。

 他のクラスメイトたちも同様だった。

 一人だけ取り残されている炎怒は記憶を見た。


 いま教壇に立っている人は学年主任の先生だ。

 このクラスの担任は小都梨先生という男性教諭だ。

 一体どうしたのか。


「本日、小都梨先生は体調が優れないので、お休みになりました」


 それだけ告げると後は通常のホームルームになった。

 質問を挟む余地もないほど強引に……


 先生だって人間だから風邪を引くことがあるだろう。怪我もするだろう。

 欠勤自体は不思議なことではない。


 それをなぜ原因を明かさず、質問もさせず、強引に打ち切るのか。

 まるで、この話はこれで終わりだから、ゴチャゴチャ面倒臭いことを言ってくるんじゃない、と言わんばかりに。


 高校生がそれで納得するはずはなく、逆に、何かあったのかと訝しんでいた。


 担任の体調不良の原因——

 それは一時間目終了後の休み時間に判明することになる。

 ある一組の女子生徒の父親から殴られたのだという。

 殴られた理由、それは女子の間で起きたいじめだった。


 一組の担任である小都梨先生は晴翔のいじめを「気のせい」で済ませてきたことからもわかるように、事なかれ主義者だった。

 だからクラスで問題が起きたとき、その解決法は普通ではない。


 例えばいじめ——

 いじめをなくす、といったら普通はいじめっこにやめさせようとする。

 しかし彼は違う。


 いじめは「する側」が「いじめてやった」と主張することはない。

 弱い「された側」が「いじめられた」と主張することでいじめが「あった」と発覚する。


 そこで事なかれ主義者は考える。

 要はいじめが「無」くなればよいのだ、と。


 する側は自覚がなかったり、自覚した上で実行する攻撃的な人間だったりする。

 認めさせるのは大変だし、やめさせるのはもっと大変。


 ならば、弱い「された側」に勘違いや被害妄想だった、と認めさせればよい。

 そうすればいじめを「無」くすことができる。


 それが彼の考える、いじめがない平和なクラスだった。


 彼のクラスでは問題が発生しえないのだから、全員仲良し同士。

 そんな大切な仲間を加害者呼ばわりする者は平和の敵。

 当然、晴翔の訴えが聞き入れられるはずはなかったのだ。


 担任がこんな姿勢なので、いじめが本当の意味でなくならない。

 そのようないじめが晴翔だけでなく、女子の間でも起きていた。


 同じ一組の女子が、いじめられていた女子生徒と近所の友達だった。

 その女子から担任の欠勤理由がクラスに明かされたのだった。


 いじめられていた彼女が担任に訴えたかは不明だが、両親には相談したらしい。

 相談を受けた父親が土曜日に校門で待ち伏せて、退勤してきた小都梨に直談判。

 しかし、被害妄想と一蹴され、逆上した父親は担任をその場で殴ってしまったらしい。


 これが小都梨の体調不良の真相だった。

 学年主任が明言しなかったのは、いじめが絡んでいたからだ。

 当該女子生徒も今日は欠席している。


 友人だという女子生徒の話は炎怒のところにまで聞こえてきていた。

 声が大きいので聞き耳を立てなくても届いてくる。


(久路乃——)

(うん。確認するべきだと思う)


 久路乃と炎怒が確認すること。

 それは悪魔憑きの可能性についてだ。


 担任といじめられていた女子生徒、その二人が疑わしい。


 小都梨は一組の今の状況を作り出している。

 その女子生徒は父親が凶行に及ぶきっかけを与えている。


 どちらも自分は動かず、人間自ら理性を失わせ、本能に従うよう助長している。


 晴翔は黙っていようと思っていたのだが、念話のやり取りで気がついたことがあった。


(小都梨は単純に事なかれの人間、彼女は本当にただのいじめられっこの可能性も……)


 晴翔の言う通りだった。

 だから確認するのだ。

 ただの事なかれといじめなのか、悪魔なのかを。


 久路乃は確認の方法を少し考え、炎怒に——

(先生は怪我したらしいから、お見舞いに行く?)

(いや、見殺しにされた晴翔が単独で行くのは不自然だろう)


 今回同様、晴翔も担任から被害妄想と突っぱねられていた。

 以来、両者の間にはくっきりと溝ができていた。

 今後も和解することはないであろう二人。

 相手の怪我を心配してお見舞いに行くというのは不自然だった。


 どうしたものか、と思案する三人。

 そこへ朗報が飛び込んできた。


 まだ続いていた友人と他のクラスメイトたちの話から——

「どのくらいの怪我だったの? 全治一ヶ月? 一年くらい?」


 全治一年の怪我って……

 炎怒たち三人は思わず心の中で突っ込んでしまった。


「いやいや、派手に鼻血が出たのと痣だけらしいから、すぐ復帰してくるんじゃない? 明日とか?」


 友人の話にクラス全体から落胆の溜め息が漏れ出す。

 小都梨先生は晴翔だけでなく、〈みんな仲良し、大切な仲間達〉からも人望がなかったようだ。


 みんなには悪い知らせかもしれないが、炎怒にとっては良い知らせ。

 先生は早ければ明日、遅くとも数日以内に学校に来るらしい。

 彼のことはそのときに調べれば良い。


 後は、その女子生徒の方だ。

 どうやって確認しようか。

 炎怒は悩む。


 確認には太田のときのように接触が必要だ。

 時間はかからない。一瞬でいい。


 先生に接触するのは簡単だ。

 いじめ相談の記憶を見ると、この先生は生徒を説得する際、両肩を掴む癖があるようだ。

 もう一度いじめの相談に行けば、向こうから接触してくれるだろう。


 だが、女子生徒の方はそうはいかない。

 こちらから接触しに行くしかないが、どうすればよいのか。


 先生のように向こうから来てくれることは期待できない。

 そもそも女子が男子の両肩を掴む状況など普通はないだろう。


 何か小さい物の受け渡しをする状況でも作るか?


 しかし——

 チラッと本日欠席の女子生徒の席を見る炎怒。

 かなり遠い……


 席がかなり離れているので班も違う。

 入学から今日まで彼女とは何も接点がないのだ。


 消しゴムの貸し借りも距離的におかしい。


 どうしたものか、と思案していると一つ忘れていたことに気づく。

 まだ彼女の名前を知らなかった。


(あの列は『さ行』か?)


 席の位置から、さ行の苗字と推測して記憶から探る。

 すぐに一組の名簿が見つかったので順に見ていく。


 記憶の名簿は便利なものだ。

 名前と顔とそいつの情報が一括表示されている。


(あれ?)


 その女子生徒の情報がない。

 見落としたかと再度見直すも、やはりない。


 そんなはずはない、と今度は霊力を高めて見ると、掲載してあるはずの場所に浮かび上がってきた。

 しかし、内容を見ることができない。

 両手で隠してあるからだ。


 晴翔の手だった。


 それと同時に身体に異変を感じ始めた。

 首から上が発熱している。

 軽度だが、頭がぼーっとしている。

 まるで風邪のような症状。


 ——知られたくない相手?


(晴翔?)


 ——!!!


 訝しむ炎怒の問いかけに驚いて、晴翔は手を離してしまった。

 情報が明らかになる。

 晴翔が隠したい情報とは……一体?


(桜井優里——)


 炎怒が名前を読み上げたら、慌てふためいて隠してきたが、もう遅い。

 写真を見てしまった。


 派手ではないが明るそうな雰囲気で、晴翔が好みそうな可愛い女子生徒だった。


(晴翔君……)


 一緒に上から見ていた久路乃。

 その声のトーンは明らかに面白がっているものだった。


(君、その優里ちゃんのことが……)

(違うよ! そんなんじゃない!)


 コクコクと頷いている光景が地上の二人に伝わってくる。


(わかってるよ。そんなんじゃないんだよね〜 でもね、晴翔君)


 言葉を切り、真顔になるので晴翔も真面目な話かと身構える。

 目の奥が笑っているのを見抜いているのは炎怒だけだった。


(接点がないとか言ってグズグズしてると、他の男の子に先を越されちゃうよ?)


 そして言葉に詰まっている晴翔をケラケラと笑った。

 面白がっている最中に真顔になって我慢した分、笑いが激しい。

 今頃、周りの後見達も境守も引いていることだろう。


(だ、だから! 違うんだって!)

(だめだよ〜 晴翔君。そんな可愛いコは自分から行かないと!)


 取り残された炎怒。ずっと頬が熱い。


(うるせーな、こいつら)


 防戦一方の晴翔にボソッと呟く。


(覚悟しろよ、晴翔。そうなったときの久路乃はしつこいぞ)


 だが天使に絡まれて忙しい晴翔に、その助言は届かなかった。


 仕方ないので放っておくことにし、桜井優里を確認する方法を一人で考えるのだった。

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