第29話「同級生の礼儀」

「ご乗車ありがとうございました。車内に落し物、お忘れ物ございませんようご注意ください」

 車内アナウンスの後、電車のドアが開く。


 晴翔の学校の最寄駅、喜手門高校前駅だ。

 駅名になるくらいなので、ここから徒歩一〇分程で着く。

 今日からその道を炎怒が歩く。


 改札を抜けると立ヶ原の商店街ほどではないが、駅前ということで商店が立ち並んでいた。

 炎怒は初めて降り立つその街並みを通り抜け、高校を目指した。


 結局、電車はそれほど停止しなかったので、急がなくても遅刻せずに済みそうだった。


 同じ制服姿の学生に混じって歩く炎怒は晴翔の様子を伺う。


(具合はどうだ?)

(もう大丈夫)


 満員電車は様々な人間の霊気で溢れ返っていた。

 そこから解放されたことで持ち直したようだ。

 さっきまでと違い、声も元気になっている。


(人間のときから満員電車は苦手だったけど、霊になっても苦手だよ)

(そうだな。あれは人間にとっても、霊にとっても良いことはないな)


 まだ朝が始まったばかりなのに、少し衰弱しているようだった。

 身体が少しだるい……

 伝わってくる晴翔の疲労だ。


 満員電車ほどではないが、学校に着いたらまた沢山の霊気に晒される。

 心配だが、なんとか慣れてもらうしかない。


 風化は防ぎようがないが、他人の霊気の影響は防ぎようがある。

 無心になるか、自分の世界に没頭して遮断してしまえばよい。

 任務のためと言ったが、晴翔のためでもあったのだ。


 とは言ったものの、現時点でできないものは仕方がない。

 炎怒は晴翔を少しでも回復させるため、歩く速度を少し落とした。



 ***



 喜手門高校正門——


 ゆっくり歩いて晴翔を落ち着かせながら、高校の正門に辿り着いた。

 見ると、先生が数人立ち、登校してくる生徒達に朝の挨拶をかけている。


 ここは喜手門市の市立高校。

 晴翔はその一年生だった。

 炎怒は今日からその晴翔の振りをしていくことになる。


 喜手門高校は市内だけでなく、市外からも生徒が通う大きな学校なので、集まってくるのは善良な子供ばかりではない。

 どんなに攻撃的な性格であろうと、目に見える素行として現れない以上、「善良」と見なして入学させるしかない。


 だからどうしても太田のような生徒が混じってしまうのだ。


 晴翔の記憶によれば太田はいじめグループの一員。

 他のメンバーと主犯格の生徒が別にいるのだ。


 ——人気の少ないところには行かないように気をつけなければ……


 晴翔の身体は平均的な体格だ。

 油断して突っかかってくるいじめっこを撃退することは十分可能だ。


 だが、それでは晴翔らしくない。

 すでに「らしくない」ところを太田に見られているのだ。

 これ以上目立つのはまずい。


 炎怒は用心しながら正門を通った。


 一年生のクラスが入っている校舎に向かう炎怒と晴翔。

 さっきまで談笑していた晴翔の口数が徐々に減っていき、昇降口が見えてくると完全に無言になってしまった。


 頭と足が重い……


 炎怒は何も言わず、一旦立ち止まった。

 そのまま何かを待つ。

 昨日までのように晴翔を宥めたりしない。


 山で語っていたようにこの建物の中に味方はいない。

 これから向かう先は炎怒にとっても、晴翔にとっても敵陣だ。

 そこでいちいち、何かを見るたびに固まったり、いまのように重くなられては困る。


 無心になれない。

 自分の身体がどうしても気になるというなら、覚悟を決めてもらわなければならない。


 何を見ようと、されていようと、動じない覚悟を。


 その覚悟が決まるのを静かに待っていた。

 一分程経ったとき、フッと重さが消え、炎怒の頭の中に響いてきた。


(何回もごめん。よろしく頼むね)


 よろしく頼む——

 身体と自らの境遇をよろしく頼む、と。


(承知した)


 ようやくわかってくれた。

 炎怒はそう胸を撫で下ろし、昇降口に入っていった。


(さて——)


 晴翔は一年一組。

 その下駄箱に向かう。

 後ろから付いていく晴翔だったが、ある事を思い出して急いで知らせようとする。


(炎怒、あのさ……)

(知ってる)


 気まずそうに申し出た晴翔の言葉を即、遮った。

 炎怒は自分の上履きの前を通過すると下駄箱の上に手を伸ばして何かを拾った。


 見ると、それは片方だけの上履き。

「弘原海」と書いてある。


 それを持って自分の下駄箱の前に戻り、もう片方の上履きを取り出す。

 これで揃った。

 靴を履き替えると、何事もなかったように教室に向かった。


 毎日ではないが、割と頻繁に上履き隠しをやられていた。

 下駄箱にしまっておくしかないし、お手軽にできてしまうので、防ぎようがなかった。


 それにしても炎怒はすごい、と晴翔は思った。

 迷わず下駄箱の上に手を伸ばして見つけ出した。

 一昨日から見ているが、読心といい、いまの探知能力といい、やっぱり僕とは違う、と興奮を覚えていた。


(晴翔、また興奮)

(あ、ごめん。でも、よく隠してあるところがわかったね。読心?)

(いや、読心じゃない)


 物は使っているうちに持ち主の念が宿っていくもの。

 上履き隠しのことは知っていたし、下駄箱の上から晴翔の念が漂っていた。

 それだけだ、と炎怒は簡単に語った。


 驚く晴翔を連れて階段を上っていく。

 一段上がる毎に興奮が冷めていき、一組がある階に着いたときには黙り込んでしまっていた。


 静かなのは良いが、これはこれで心配だな——

 教室に入る前、炎怒はもう一度だけ念を押した。


(何を言われようと、されようと、おまえがやられているわけじゃない)

(うん)

(無心も逃避もできないなら、他人事になれ)

(うん……努力する)


 できないときは——

 左手をギュッと握ってみせる。

 それを見た晴翔は黙って頷いた。


 ……できないときは金縛りだ。


 心の準備が整ったところで、引き戸を開けて教室に入った。


 先に登校してきたクラスメイトたちは、誰が来たのかと注目する。

 それが弘原海だとわかり、また会話に戻る。

「おはよう」と挨拶などしない。してくる者もいない。


 しかし遅れて入ってきた他の者には仲良したちが挨拶をかける……


 これが晴翔の置かれている境遇だった。

 教室に彼の机と椅子は置いてあるが、クラスに彼の居場所はなかった。


(言い得て妙だな。確かに居場所がないという表現がぴったりだ)


 褒めたのだが、晴翔から反応はない。

 そんな褒められ方は嬉しくないだろう。

 沈み込んでいた。


 ただ、沈んではいるが、身体に重さは感じない。

 うまく平常心を保っているようだ。


 安心しながら机の間を通り、窓際にある自分の席に着いた。

 記憶によればこの席順も一悶着あったようだ。


 四月初めのある日、主犯格のいじめっこが窓際の席をよこせ、と因縁をつけてきたことがあった。

 逆らえるはずもなく、そのときは席を取られてしまった。


 しかし、時期は一年生の四月初旬。

 先生たちも席順表を見ながらだったので、混乱が生じてしまった。

 結局、勝手に席を変わった理由を説明できず、元に戻されたのだった。


 無理もない。

 主犯格の苗字は中岡なので教室中央の先頭。

 弘原海は窓際の最後尾。

 視力が良い弘原海君が黒板の字を読めないだろうから、などという言い訳は通らない。


 鞄から教科書を出して黙々と机にしまっていると、炎怒の前に人影が三つ。

 いじめグループだ。

 一人寂しい弘原海君のために、朝のご挨拶に集まってきたのだった。


 真ん中に主犯格の中岡。

 炎怒から見て右に一人。

 こいつは確か、細川という奴だ。晴翔の記憶にあった。

 左に太田。鼻に大きなガーゼが貼り付けてある。


「おはよう〜 弘原海君!」

「おはよう」


 中岡は怪我をして現れた太田から、弘原海が調子に乗っていると聞いた。

 確かに意気がっている。

 どうやら挨拶の仕方まで忘れたらしい。

 弘原海が普通の挨拶を返してきやがった!


 怒りのあまり、声が震える。


「あれ? どうしちゃったの、弘原海君。挨拶の仕方、忘れちゃったの?」


 挨拶の仕方——

 おはようと人間同士で声を掛け合う行為のはずだが……


 間違いと指摘されたので炎怒は記憶を探る。


(…………)


 あった。

 中岡の指す、挨拶の仕方という馬鹿馬鹿しい礼儀作法が。


 普通は炎怒のやり方で良いらしいが、晴翔と中岡たちの間では別のやり方があった。


 間違いの一つ目——

 まず、晴翔のほうから出向かなくてはならないらしい。

 中岡から順に一人一人。


 中岡が最初というのは固定だとして、問題は後の二人。

 どちらから先に挨拶するか。

 後にされた方は、なめられたと怒り、殴るのだ。


 どちらを先にしても毎日、太田か細川から必ず殴られる仕組みだ。


 間違いの二つ目——

 席を立ち、最敬礼で「おはようございます。中岡さん」とやらなければならなかったらしい。

 名前のところを太田と細川に変えて合計三回も。


 おはようと挨拶を返したら、こいつらが怒り出した理由はわかった。

 わかったが、それを大真面目で怒っている二人を見ていたら微笑ましくなって、炎怒はついクスッとしてしまった。


 見逃すはずがない中岡と細川。

 中岡の手が伸び、炎怒の胸ぐらを掴む。

 読心で知っていたが、あえて避けなかった。


「本当にどうしちゃったの〜弘原海君? どこか調子悪いか〜?」


 ホームルーム前の和やかな語らいがシーンと静まり、視線が集まる。

 誰も何も語らない。

 語っているのは中岡と細川の心だけ。


【胸ぐらを引っ張りながら鼻に頭突き】

【腹に右足で前蹴り】


(あれ? 太田の声がしないな)


 炎怒は不思議がるのだった。

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