第67話「湯野木」

 夜が明け、炎怒が弘原海家に来て七日目の朝がやってきた。

 リビングではいつものように四人で朝食を囲んでいる。


 夫婦と渡は憑き物が落ちたように穏やかだ。

 一言、二言と言葉を交わしながら朝食をとっている。

 三人にとっては久しぶりの普通の朝食の光景。


 しかし晴翔と渡は会話がない。

 昨夜、渡は晴翔に謝ろうと思ったが、いざとなるとやはり気まずい。

 結局、兄の部屋を訪ねることなく、就寝したのだった。


 炎怒も任務の妨害をされなければ、渡に用はないので話かけない。

 その結果、三人の和やかな朝食の横で、一人黙々と食べることに。


 咀嚼し、飲み込むことだけに専念していたので一足先に朝食が終わった。


「ごちそうさま」

「あ、炎怒」


 立ち上がり、登校しようとした炎怒を俊道が呼び止めた。

 何か、と振り返る炎怒に彼は礼を述べた。


「久しぶりに朝食がおいしい。あんたのおかげだ」


 俺たちでも任務に協力できることがあったら、遠慮なく言ってくれと申し出た。

 炎怒は軽く会釈しながら「ありがとう」と返し、玄関に消えていった。


「あ……」


 渡は父に続いて詫びようとしたのだが、炎怒が立ち去るのが早すぎてタイミングを逸してしまった。


 そんな息子に両親は、

「帰ってきてからだな」

 と、優しくフォローした。


 詫びる機会はこれからいくらでもある。

 晴翔と違い、三人にとって時間とは、有限だがまだまだたくさん残っているものだと認識していたから……


 自転車を漕いで商店街に着いた炎怒と晴翔。

 街は異変に包まれていた。

〈間列車〉で決裂後、レットウが喜手門制圧の速度を早めたようだ。

 影響が増大していた。


 自動車の運転手が一瞬見えた霊を人影と間違えて、急ブレーキをかけたり、駐輪場から駅に歩いている途中、すれ違う人が顔を見て怯えたり——

 きっと炎怒の半鬼の顔が見えたのだろう。


 いまのところ、すべて一瞬の出来事なので、気のせいと自分を納得させているようだ。

 そのうち、一日中見えるようになっていくかもしれないが……


 学校に着いても同様だった。

 昨日まで弘原海晴翔に対して友好的になりつつあった教室が一変していた。

 クラスメイトたちも挨拶すると普通に返してくれるのだが、一瞬炎怒が見えるのか、どことなくぎこちない


 中岡は謹慎二日目でクラスにいない。

 本来は平和で和やかになるはずなのだが、不穏な空気が漂う。


 一時間目、二時間目、と時が進むにつれ、体調不良を訴えて早退する生徒達が学年、クラス問わず数名ずつ出た。

 元々、霊感が強い子たちだったのだろう。影響を受けやすいのだ。


 この調子では魔女狩りが始まるのに時間はかからないだろう。

 まだ少ないが、なんとなく晴翔を遠巻きに眺める者がいる。


 また、いまのところ安定しているが、この悪い〈気〉は晴翔の悪霊化も促進するだろう。

 晴翔にも炎怒にも、残されている時間は少なかった。


「弘原海君」


 そんな中、桜井が何も気にせず声をかけてきた。


「なんだか学校全体がピリピリしてるね」


 と不安気に漏らす。


「うん……なんだろうね?」


 どう考えても晴翔が昨日〈間列車〉で悪魔を吹っ飛ばしたのが原因なのだが、とぼけて相槌を打った。


「ところで——」


 桜井が本題を切り出す。


「来週の土曜日、空いてる?」


 炎怒は心臓の動悸がおかしくなるのを感じ、晴翔を窘めながら、彼女に空いてる、と返した。


「良かった。今度、湯野木でお祭りがあるから一緒に行かない?」


(そ、そ、それって、デー……)

(黙れ)


 炎怒は仕方なく晴翔に金縛りをかけた。


「いいね。行きたい」

「じゃあ、当日は湯野木駅に迎えに行くね」


 お祭りは来週とのこと。

 当日夕方、駅改札で待ち合わせと決まった。


 学校に漂う不穏な空気は終日消えなかったが、ここ数日の騒動が嘘のように何も起こらず、一日を終えることができた。


 帰り道、正門で光原と会い、また一緒に下校することになった。


「カメラはこれから修理に?」

「いや、考えたんだけどね……」


 カメラは光原にしかわからない僅かな不調があるが、修理代も安くないので我慢して使うことにしたらしい。

 自然と中岡に対する不満の話になってしまう。


 その話の中にレットウの憑代と特定できる情報は含まれていないようだった。

 炎怒は相槌を打って聞き流していた。


「そうだ、中岡といえばさ——」


 話の流れが変わった。


 小学生の頃、中岡一家が住んでいた家の近くに惣太郎塚という石碑がある。

 来週そこで祭りがあるから来ないか、という誘いだった。


「惣太郎塚?」


 晴翔もよく知らなかったようなので尋ねたが、どうやら光原も詳しくは知らないらしい。

 知っていることは、昔から毎年近くの寺が供養しているということ。

 その供養として祭りが行われるのだ。


 たくさんの夜店も出て、結構規模の大きな祭りらしい。

 昨年はこんな夜店が出ていて面白かったと光原の話は続いた。

 晴翔は楽しそうに後ろから相槌を打って聞いていたが、炎怒は話に相槌を返しながら何か考え込んでいるようだった。


(塚……供養……)


 光原による祭りの魅力紹介の最後に、すまないと謝りつつ、既に先約がいるからと断った。

 すると、一組の男子生徒と勘違いしたようで、そいつも一緒に三人で行こうと提案してきた。


(…………)


 晴翔が渋っている。

 気持ちを察した炎怒がやんわりと拒み続けると、光原の目が獲物を見つけた肉食獣のように光った。


「彼女か?」


 言い当てられた身体が僅かに強張る。

 ぎこちなくなる弘原海を見て図星だったか、と光原はいたずらっぽく笑う。


「彼女さんいたのか〜 そうとは知らずにごめんね。邪魔しないから彼女さんと楽しんでよ〜」


 ——おまえは久路乃か。


 光原を鬱陶しく思った炎怒は心の中でそう毒突いた。


「お祭りの日は特ダネが撮れそうだな〜」


 光原が空いている手でカメラを構える仕草を取って冷やかしてくる。


「おい、違うぞ」

「うんうん 違うんだよね〜 わかってるよ〜」


 完全に何かのスイッチが入ってしまった光原には何を言っても無駄だった。

 光原からは冷やかされ、晴翔は気を抜くとすぐに硬直しそうになる。


 しかしこの状況を打開するために(おい、久路乃)とは言わなかった。

 鬱陶しい人数が二人から三人に増えるだけだ。

 炎怒は鬱陶しい帰り道を耐えるのだった。


 帰りの喜手門線——

 さすがに列車内では静かになったので安心した。

 光原は寄り道せず、まっすぐ湯野木に帰るという。

 列車はすぐに立ヶ原駅に着き、炎怒はそこで降りて、光原と別れた。


 冷やかされてる間からずっと無言だったが、改札に向かう途中で立ち止まって考え込んでしまった。

 身体が立ち止まっているから後ろの晴翔も一緒に止まる。


 ——どうしたのか?


 後ろからではわからないので回り込んで顔を覗き込もうとすると、炎怒は回れ右してホームに戻っていった。


「急にどうしたんだ?」


 晴翔はホームで追いつき、次の列車を待つ間に尋ねた。


「いまから塚を調べに行く」

「塚って……お祭りの?」


 塚を造って祀るほどの何かを為した者なのだろうが、惣太郎という名前を天界で聞いたことがない。

 にも関わらず、それを毎年供養するという。

 そういう扱いを受ける者は功績があった偉人か、もしくは付近に災いを齎す者なので、それを鎮めるためだ。


 その近くに中岡が住んでいた。

 だから調べに行くのだ。


 次の列車はすぐにやってきた。

 再び乗り直し、一人で湯野木駅に向かう。


 同じ喜手門市内なのだが、特に用事がない駅だったので晴翔に土地勘はない。

 湯野木駅に着くと、地図を見ながら惣太郎塚を目指した。


 駅から兜置山方面に少し歩く。

 あと少しで山の麓というその場所に塚はあった。


(炎怒、周囲に敵反応はないけど、気をつけて)

(ああ、行ってくる)


 炎怒の腰に幽切が現れた。

 それを見た晴翔は、


 ——またゲーム店のようになるのか?


 と少し離れて付いていきながら緊張していく。

 炎怒も緊張しているはずだが、固まったり、ぎこちなくなったりしない。

 読心を発動して周辺を警戒しながら進む。


 上から久路乃の監視、地上では炎怒の読心、幽切をいつでも抜けるように身構え、先日のような急な敵に備えながら塚に近づいていく。

 そこにはどんな心界があるのか。


 炎怒と晴翔はついに塚の前に立った。

 それほど大きくない石碑で、「惣太郎」と名が刻んであった。


 ……ただそれだけ。


 何らかの抵抗があると警戒していたのだが。

 炎怒も拍子抜けだった。

 あまりに何もなさすぎて不安になった炎怒が石碑に触れて確認したが、やはりただの石だった。


 晴翔は緊張が切れて、大きな溜息を吐く。

 上から久路乃の溜息も聞こえてきた。


「一応、心霊スポットのはずなんだけどね、ここ」


 列車に乗り直してから、車内でスマホを使って惣太郎塚について調べていた。

 ここは女子供に落ち武者、軍人の霊と一通りのものが出るスポットらしい。

 その悪霊達が向かってくるかもしれない、と幽切まで用意していたのだが、杞憂だった。


 晴翔は「まあ、噂だからね」と苦笑いした。


「肝心の惣太郎の霊すらいなかった」


 それが見えない人間達は今後もずっと供養していくのだろうが、この石碑はただの石だ。

 ここの悪霊が中岡に取り憑いたのではとも思ったが、何の痕跡もない。


 無駄足だった。

 だが、確認してみなければわからないままだ。


「無関係だと確認できて良かったと考えよう」


 炎怒の言う通りだった。

 物事は前向きに捉えなければ。

 確認が済んだこの場所にもう用はない。

 二人は立ヶ原に帰ることにした。


 晴翔は初めてここに来た。

 子供のときから喜手門市に暮らしているが、大きな市なので全ての場所を知っているわけではない。

 身近なのでかえって興味が湧かず、郷土史もまったく関心がなかった。


 今後も祭りに誘われたりしない限り、わざわざ来ることはないだろう。

 地元の人たちが供養しているというだけあって、塚は綺麗に整備されていた。


(小学生の中岡もここに来て遊んだりしていたのだろうか)


 立ち去りながらそんなことを考えていたときだった。

 前方を歩いていた身体が突然立ち止まった。


 来るときには緊張感で気づかなかったが、石碑の隣に掲示板があった。

 炎怒はその前で立ち止まっている。

 じっと凝視したまま動かない。


 熱心に見ているので何かと晴翔も覗き込むと、惣太郎塚についての説明とゴミを捨てるなという注意書きだった。


 大まかな内容は、江戸時代、弓ノ木(現、湯野木)に住んでいた惣太郎という下級武士の子が兜置山で幼くして命を落とした。

 その子を弔うためにこの塚は造られたということだった。

 あとはゴミを捨てたり、無許可の集会は条例違反なので処罰する、というよく見かける文面だ。


 塚の由来を知らなかった晴翔は、初めて惣太郎という子供のことを知った。

 幼い頃に死んだのはかわいそうだったが、毎年供養してもらってるみたいだし、きっと成仏したのだ。

 だから石碑にもいなかったんだろう。


 炎怒はなぜそんなに熱心に見ているのか?

 炎怒も悪魔も強力だが、性質的には霊。

 だからこの世で活動するために憑代、つまり自分たちが入る〈器〉が必要。

 いまその器になっている憑代を探していたはず。


 江戸時代に死んだ子供が現代の喜手門市に現れた悪魔の憑代にはなれないのではないか?

 素人の浅知恵かもしれないが、江戸時代の死人を気にしている場合ではないと思うのだが。


 言おうか、言うまいか、どうしようかと悩んでいる晴翔だったが、逆に炎怒が掲示板の内容について質問してきた。


「晴翔」

「なに?」

「湯野木は旧名を弓ノ木というのか?」


 ——そっちだったか。


 炎怒は惣太郎ではなく、地名に引っ掛かっていたのだ。

 見当違いな指摘をしなくて良かった、と晴翔は胸を撫で下ろした。


「うん。今の地名は明治時代に変更されたか、合併で変更になった名前だよ」

「変更……」


 炎怒は少し考えると、塚に背を向けて歩き出した。

 急いで立ヶ原に戻り、図書館へ行く。

 この辺の土地の旧名を調べるのだ。


 兜置山付近でおかしくなる人々、地名に残る武具の字……


「この地には住人達も忘れている過去があるんじゃないのか?」

「う〜ん、聞いたことないな。普通の住宅街だと思うけどな」

「現在はな」


 晴翔はこんなことになるなら、もっと郷土史に関心を持つべきだったと反省を述べたが、それは無理だろう。


 炎怒は湯野木駅へと急いだ。

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