少年と半鬼 〜ある日、山に登ったら半鬼に出会った〜

中村仁人

第1話「少年と半鬼」

 僕は今日も生きている。


 明日も今日と同じ悲惨が待っていると悟ったあの日、僕は死のうとしていた。


 その時、どこからともなく彼は現れ、僕の人生を代わりに生き始めた。


 彼は霊体だからこの世で任務を遂行するために、誰かの身体を憑代よりしろに借りる必要があると言った。

 偶然そこにいたから僕にしておいただけだ、とも言われた。


 でも本当にそれだけだったのだろうか?


 本人が無価値だから捨てると決めた命……

 彼の任務のためだけに自由に使い捨てても良かったのだ。

 僕として生きる必要はなかったはず。


 あの日、早まろうとしていた僕を引き止め、どうすれば良かったのか、そしてこれからどうやっていけば良いのか。

 道を示す為に来てくれたのではないか。


 教えてもらったその道を——僕は明日も生きていく。



 ***



 暑さがようやく和らいだ一〇月——


 東京都喜手門きでかど市西部にある兜置山とうきさんは標高がそれほど高くなく、昼間はハイキングコースとして地元の人たちに親しまれていた。

 いま夜が更けて無人となったその山で、弘原海わだつみ晴翔はるとはその一五年の生涯を閉じようとしていた。


 彼は同市立高校に通う一年生。

 行動半径が中学生の頃より広がり、楽しい学生生活の最中になぜ命を絶とうとしているのか。


 それはこの世のどこにも居場所がなくなったからだ。

 この世のあらゆる場所、あらゆる人達から邪魔と言われた。


 どういうことなのか?


 例えば店には閉店時間がある。

 また二十四時間営業だったとして夜遅くなれば店内の未成年者に帰るよう声を掛けるのは仕方ないこと。


 しかし心身共に疲れ切った人間には「邪魔」という意味にしか聞こえなかった。

 だから邪魔者がこの世から出て行くために兜置山にやってきたのだ。


 方法は木にロープをかけて首吊りに決めたのだがその準備は難航した。

 決してやる気が起きる作業ではないから段取りが悪く、手間取ってしまう。

 それに問題も見つかった。

 一番肝心なロープの結び方がわからない。


 やるなら確実に一回で終わりたい。

 映画などで罪人を絞首刑にするシーンに出てくるような結び方にしたかった。

 あれなら頑丈そうだから途中でもがいても解けないだろう。


 彼はスマホで調べようとするが結び方の名前を知らないので検索できない。

 あれこれと単語を変えて試みる気力もない。

 結局何重にも固く結んで自分なりの結び方で妥協した。


 やっと準備が整い、ロープの輪を両手で持つ。

 後は首にその輪をかけて足場から飛び降りれば終われる。


 しかしその一歩を踏み出すことができない。

 まだまだ続くはずだった若い命。

 心は死のうとするが、頭と身体がなんとか延命の道を探す。


(死ぬ必要はないんじゃないか?)

(……もういいよ。面倒臭い)


 それらがぐるぐると周回し続ける。五分、いや一〇分位そうしていただろうか。

 輪を掴んだまま繰り返しているうちに

(どうしてこうなっちゃったんだろう……)

 と過去を振り返り始めた。そうしている間はまだ生きていられるから……


 晴翔は高校でクラスメイト三人からいじめを受けていた。

 皆気づいてはいるのかもしれないが助けてくれる人はいなかった。


 いじめっこ達には標的本人にだけ悪意が伝わるようなやり方をし、外部には〈冗談〉に見せる巧さがあった。

 また袋叩きにする際は用心深く誰にも目撃されない場所を選ぶ狡猾さもあった。


 だからいじめられているようには〈見えない〉のである。


 担任に何度か相談したが、内容を話すより先回りされて「考えすぎ、気のせい」と片付けられた。

 他のクラスメイト達も巻き込まれたくないだろうし、助けようにもいじめとみなして良いのか迷うところだったのだろう。


 孤立無援……学校に彼の居場所はなかった。


 そんな心許せない環境で成績が下がっていくのに時間はかからなかった。


 担任はすぐに親を呼び出し、家庭問題に悩んで成績が下がっていると懸念を伝えた。

 学校側に問題があるはずはない。

 だから自動的に家庭問題が原因という理屈だ。


 帰宅すると先に学校から帰ってきていた母親から叱られ、後から合流した厳格な父親から滅多打ちにされた。


 ようやく制裁が終わって部屋に戻ろうとしたとき成績優秀な弟から

「落ちこぼれ。」

 と嘲られ喧嘩になった。


 弟には勝ったがすぐに両親が駆けつけ、父親から返り討ちにされた挙句、

「成績で弟に勝てないからと暴力に訴える卑怯者は出て行け」

 と玄関から外に引き摺り出された。


 こうして家も彼の居場所ではなくなった。


 身体中ズキズキと痛みながら当てもなく駅前の商店街にやってきたが、夜遅くなってくると店もお巡りさんも「早く家に帰りなさい」と言う。

 裏返せば「街の中にいるんじゃない」ということだ。


 クラスではいじめられ、疎外される。

 担任は厄介者扱い。

 家は「出て行け」と言う。

 世の中は「街にいるんじゃない。早く家に帰りなさい」……


(そんなに邪魔だというなら出て行くよ……)


 この世に自分がいてよい場所はないのだと悟り、商店街からまっすぐ山にやってきた。

 夜の山なら無人で誰も出て行けと言ってこないだろうから。


 まだまだ寿命のある彼の命は懸命に死ななくても良い理由を探したがダメだった。


 ……明日も生きていく理由がどうしても見つからない……


 ついにロープの輪を顎下まで通した。固く何重にも結んでおいたから後はそこに体重がかかれば締まっていくはずだ。


 目をギュッと瞑る。

 視界が閉ざされた分、鋭敏になった鼓膜の奥でドクン、ドクン、と生命の音がする。

 それももうすぐ鳴り止む。


(……さよなら)


 足場から一歩踏み出そうと足に力を入れた。

 その時だった。


「その命、もういらないのか?」


 不意に声を掛けられて反射的に目を開くと、再びこの世の光景が視界に飛び込んでくる。

 するとほんの数秒前まで誰も居なかったはずの目の前に一人の男が立っていた。

 いや、人ではないのかもしれない。その男の額、左の生え際にだけ角が生えていた。


 鬼だ。

 正確には半鬼はんきという。


 人気の無くなった夜の山は人外の世界。

 鬼がいて当たり前。

 夜更けの兜置山、この世とあの世の曖昧な境で少年と半鬼は出会った。

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