第2話「会談の間」

 弘原海晴翔の担任が親を呼び出していた頃——

 あの世では重要な会談が行われようとしていた。


 あの世——生を終えた人間が行く霊達の世界であり、この世とは仕組みが違う。

 その違いが最も色濃く現れているのが世界という言葉の意味合いだ。


 この世の世界は一つだが、あの世はそうではない。いくつもの世界が寄り集まって霊界という世界を構成している。霊の数だけ世界があるといっても過言ではない。

 そのいくつもある世界の中で大きく有名なものが天界と魔界である。


 天界と魔界は難しい戦いを繰り広げてきた。

 光と闇の調和のため、勝ちすぎて相手を滅ぼしてはいけない戦い。

 闇を滅ぼして光だけになれば、無限に向上し続け、最後は皆力尽きるだろう。

 闇も必要なのだ。


 光を司る神と闇を司る魔王——

 両者が譲り合うのは難しい。

 互いに信頼していないので相手の本拠地に行くこともない。

 なので調和の話し合いをするために天界と魔界の境に集う。


 その境には〈はざま〉という空間があり、二人はそこで会うことになっていた。

 対等な立場で話すためには中間地点で会うのが良いというのもあったが、横から口出しされずに話し合うためには、好きなように作れる〈間〉という空間が最適だったからだ。


〈間〉は世界と世界の間、この世とあの世の間、心と心の間、如何なるところにも作れる。

 複数人でも単独でも作ることができ、条件も好きに設定できる空間。


 神と魔王が誰にも邪魔されずに話し合うのに良い仕組みだった。


 遥か昔、神と魔王は共同で二つの世界の境に両者以外は誰も立ち入れない〈間〉を設置し、どちらからともなく〈会談かいだんはざま〉と名付けた。


 好きに作った結果、白一色で中央には真っ白な丸いテーブルと白と黒の椅子が設置されているだけのがらんとした空間になった。

 まるで互いの立場をはっきりさせ、結論が出たら後は相手に用はないという意思を象徴するような……


 今日、神と魔王はそこに向かってそれぞれの世界から歩いてくる。

 その距離、約二〇メートルずつ。


 神と魔王に空間的な距離は意味がない。だから本当は突然席に着いているところから始めることもできる。


 だが、二人は相手と話し合うために歩いていくという過程を大切にしていた。

 相手を否定はしているが憎んで戦っているわけではない。

 可能ならば話し合いによる解決を目指す、という姿勢を捨ててはならないという思いから両者は徒歩で行くことを選んでいた。


 それもたった二〇メートルの距離なので、すぐ空間中央にたどり着き、神は白い椅子に、魔王は黒い椅子にそれぞれ着席する。


「…………」

「…………」


 他には誰もいないだだっ広い空間で睨み合う二人。

 静寂が支配していたその空間で最初に言葉を発したのは神だった。


「一人、派遣していたね」


 恋人同士ではないのだから見つめ合っていても仕方がない。

 それに先手を取られている天界側はこれから忙しくなるので時が惜しい。


「住人に望まれたら行かないわけには……」


 本意ではないが止むを得ずと言わんばかりに魔王は嘯く。

 そのふざけた態度に神は不快になる。


 本来ここはどちらかがこの世に干渉する前に集まって取り決める場だった。

 いつ、どこで、誰に、どんな干渉をするのか、天使と悪魔を何人ずつ出すのかを。

 その上で人間は善と悪の板挟みに葛藤するかもしれないが、自由意志に基づいてどちらが良いか選んでもらおう——

 そういう趣旨で始まったはずだった。


 しかし魔界側が約束を守ったことはない。

 今日も天使達が発見しなければ密かに魔界化を進めてこの世を切り取るつもりだったのだろう。


 天の住人たる天使達は様々な役目に就いているがその一つに〈観測かんそく〉という役目がある。

 その〈観測〉からついさっき、天界に一つの報告が入ったのだ。


「東京、喜手門市に悪魔の反応がある」と。


 いつからいたのかは不明だが、影響を受けた霊達が霊障を起こし、同じく影響を受けた人間による犯罪などが増加しているために反応を発見できた。

 霊障や犯罪の分布とその現場に残る悪魔の反応から〈観測〉は遣わされた悪魔を一人と推定。


 その報告を受けて会談が開かれることになったのだ。


 神は後手に回らされたことと頬杖をついてため息をつく魔王の態度に苛立ちを覚える。

 が、それでも静かに続けた。


「望むように仕向けていたじゃないか。ずっと聞こえていたよ」

「おやおや、神なのにすごい地獄耳だね」


 魔王はひとしきりせせら笑うと真顔に戻って、手は出していないし声を掛けるのはお互い問題ないはず、と反論した。


 導きであれ、唆しであれ、声掛けだけなら文句は言わない。

 だが魔界側がやっているのは声掛けではなく介入だ。神としてこれを座して見ているわけにはいかない。


「直ちに派遣した悪魔の引き上げを要求する」

「わからん奴だな。住人の希望だと何度言えば……」

「それはすべてをちゃんと理解した上での希望かな?」


 突っ撥ねようとしていた魔王が眉を顰める。

 いくら魔王でもこの場で自由意志に基づく希望だった、と嘘をつくことはできない。

〈会談の間〉に嘘を禁じる魔法の制約が働いているとか、実は正直者の魔王だったなどという微笑ましい理由ではない。


 神と魔王、この場所ではたとえ含みがあったとしてもお互い発する言葉は真正であれと決めたのだ。

 それを住人にすべて理解させた上での希望だったと嘘をついたら何が起こるか?


 まずは確かに理解しているという証拠を求められ、応じなければ天界側がその住人を尋問し、確実に嘘がばれる。

 そうなれば二度と会談は開かれず、天界も魔界もどんどん天使や悪魔を送り出して、この世を戦場とする総力戦になるだろう。

 光と闇の総力戦、最終戦争に……


 そうなったとき不利なのは魔界側だ。

 一人一人の悪魔は強力だが数が少ない。

 対して天界側は数が多いし、人間も天界側につく者が多い。

 多勢に無勢なのだ。


 怯んだ魔王に神は畳み掛ける。

 魔界側の話には悲惨な運命しか待っていない。

 どんな甘い話を聞かせたのか知らないが、そこを伏せたまま賛同だけを引き出そうとする卑劣を許すわけにはいかない。


「住人の真意だったとは認められない」

「…………」


 魔王は丸め込むことに失敗した。

 だが別に悔しいとも残念とも思わない。もし逆なら同じように問い詰めただろう。

 絶対に認められない話だ。

 いつから始まったか忘れてしまったこの戦い、どうせ交渉で済むはずはないし、済ませるつもりもない。

 天の使いが来るなら派遣している悪魔に命じて叩き潰すまで。


 これから双方忙しくなる。

 天界側は〈使い〉を選定し、速やかに派遣しなければならないが、魔界側もどんな〈使い〉が来るのか予測し、それに対しての迎撃準備を整えなければならない。

 いつまでも話し合っている暇はない。


 二人とも会談はこれにて終了と、同時に席を立った。


「魔界化を断固阻止する。引き上げないなら追い祓うまでだ」


 と宣言する神に対して魔王は微笑みながら「ご武運を」と皮肉を返す。


 会談は決裂した。そのままお互い振り返らない。

 来た時のように二〇メートルほどだが自らの足でこの空間を後にする。


 やはり光と闇が歩み寄ることはないのだ、と一歩一歩確かめるように遠ざかっていった……

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