第3話「後見」

 神と魔王の会談は決裂した。

 天界に激震が走り、天使達が騒然——とはならなかった。


 話し合いだけで事が済むことなど一万年に一回あるかどうかだ。

 天界側はこの世に対して、介入どころか基本的に声掛けもしない。

 ほぼ常に魔界側の介入が原因だ。

 一応会談が行われるが決裂するのでこちらも使いを送る。

 もはや一連の流れと化していた。


 会談から戻った神は上位天使達と誰を派遣するか、その選定を始めた。

 重要な会議だが、参加するのは上位天使達だけなので中位以下の天使達はいつも通りの一日を過ごしていた。

 そんな天使達の一人、下位天使の久路乃くろのは神殿に急いでいた。


 久路乃は中学生位の少女の姿をしているが、天使の見た目はあまり意味がない。

 なぜなら好きでその形をとっているだけだから。

 神殿に向かっているのは選定会議に参加するためではない。彼女が就いている〈後見こうけん〉という役目のためであった。


「良かった。間に合った——」

「来たか、久路乃。そんなに慌てて来なくても大丈夫だったようだぞ。今回は時間が掛かっている」


 到着するとすでに後見達が集まっていて、そのうちの一人が気づいて声を掛けてきた。

 まだ誰も呼び出されていなかったらしく、神殿の入り口前に集まっている後見達でざわざわと賑わっていた。


 後見は半鬼などが悪さをしないよう監視し、任務のときには天界から指示を出す役目だ。

 上位天使から半鬼に直接命令を下すことはなく、後見に伝達されるので皆ここに集まっている。


 半鬼は鬼になりかけた人間の成れの果て。

 人間の心と鬼の力が同居する中途半端な存在。

 左右一方だけに生える片角がその存在の曖昧さを表している。

 とはいえ歴とした鬼の一種。放っておけば悪さを始める……

 そこで後見という監視役を置き、その力を利用することにしたのである。


「誰のところにくるかな」

「うちの奴は行かせたくないな〜。この間だって……」

「あいつにもそろそろ経験を積ませてやらないと」

「任務中に人霊じんれい喰うなって何回注意しても……」

「おまえのところの奴、あれからどうなった?」

「なんとか捕まえたよ。何回も脱走しやがって……」

 と、様々に入り乱れる声から半鬼達の評判は良くなかった。


 彼女が担当する半鬼の名は炎怒えんどというが、そういう手間は掛からない奴だった。

 半鬼の中でも個体差があって、炎怒が人間寄りだったせいか、勇猛を誇ることもなく、指示には従ってくれる。

 問題児のような彼らの中では優等生の方と言える。


「それにしても長いな」

「ああ」

「別に半鬼を降ろして狩らせるだけだろう?」


 久路乃の後にも遅れて到着する者もいたが、別に全員集合してからでなければ伝えられないわけではない。

 ただ、どうせ呼び出されて神殿内で命令を受けることになるのだから能率を考えて先に集まっているにすぎなかった。

 普段は今日ほど集まっていない段階で呼び出しがかかる。


 歓談していた後見達から様子がおかしいと不穏な声がポツポツと上がり始めた頃、ようやく奥から中位天使が一人出てきた。

 場が一斉に静まり、これからその天使が発する言葉に集中する。

 呼び出しに出てきた天使は集まっている後見達に視線をぐるっと一周させると、その中から久路乃を見つける。


「久路乃、中へ」

「はい」


 指名は久路乃・炎怒コンビだった。

 自分達ではないとわかったので集まりはお開きとなり、指名された久路乃は他の後見達に励まされた。


「おまえたちになったか」

「がんばれよ」


 久路乃はこれから任務だが、彼らは日常生活に戻る。

 厄介な半鬼を抱えている者は安堵しながら、コンビとして連携がうまく行き始めていた者は少し残念そうに、それぞれ帰っていった。


 彼らと別れた久路乃は呼び出しにきた中位天使に先導されて神殿内を進む。

 炎怒と任務に着くのは初めてではないが、それでも毎回呼び出される度に緊張する。

 暴れず、指示に従い、任務に真面目に取り組む。

 そういう半鬼を送らなければならないような事態に陥っていることを意味しているからだ。


 入り口から長い廊下を進んだ先、謁見の間に通された久路乃。

 シーンと静まり返った中、片膝をついて任務を伝えにくる上位天使を待っていた。


(相変わらず冷たい床だな。ここ……)


 誰もいない空間に一人で控えているとその冷たさが余計気になる。


 ここは儀礼以外は単に決定した結果を伝えたり、命令を申し渡す場なので、久路乃以外に誰もいないのは変わったことではない。

 命令も神様から直接受けることはなく上位天使から受けるのが通例。


 今日もそのうちの誰かが会議の結果を伝えにくる。


 やがてそれまで何もなかった玉座と自分との間に気配が——

 上位天使が現れた。


「久路乃」

「はい」


 若い男性の姿で現れたその上位天使は「炎怒を遣わすことに決まった」と簡潔に結論を述べた。

 毎回、どういう悪魔かわからないまま、相手の人数だけ伝えられて任務に着く。

 上位天使達が勿体振っているのではなく、現状、魔界側から派遣されている悪魔が一人なのだということしか判明していないからだ。

 逆に炎怒や久路乃がこれから手に入れる新しい情報を待っている状態だ。


「今回も奴らは既に魔界化を始めている。急いでくれ」

「はい」


 毎回この「急いでくれ」が締めの言葉になっていた。

 なので任務の伝達が終わったと判断して片膝をついた状態から立ち上がる。

 すると今回は違い、言葉が続いた。


「ただ……」

「は?」


 まだ続きがあったのだと知り、再び片膝をつこうとする久路乃にそのままで良いと制する上位天使。

 二人とも立ったまま話が続く。


「観測から悪魔憑きと思われる反応が複数あるとの報告を受けている」

「では今回は炎怒の他にも?」


 他にも半鬼を送るのか?

 複数人送る任務ならその後見も一緒に呼ばれるはず。

 しかし、ここに呼ばれた後見は自分一人。

 どういうことなのかわからずにいる久路乃に対して上位天使は首を横に振った。


「魔界側が送った悪魔は一人だけだ」


 悪魔憑きと思われる反応が複数なのに一人だけというのはどういうことなのか?


 一人の悪魔が転々と乗り移っているのか?

 それなら悪魔が離脱していった人間に残っている反応は薄まっていく。

 その濃度差を見逃して複数などと報告する愚か者は観測になれない。

 濃度が一定だったのだろう。

 だから複数という観測の報告は信用していい。


 実は魔界側が一人だけと嘘をついているのでは?

 先述の通り、会談の間で嘘の言葉を述べることは最終戦争の宣戦布告を意味する。

 可能性はゼロではないが、直に会談した神が真正であるという感触を得たのだろう。

「一人だけ」という言葉はとりあえず信じていい。


「どういうことですか?」


 当然の質問だったが、返ってきたものは苦笑いだった。

 下位天使は自分たちにそう質問すればよいが、自分達上位天使は誰に質問すればよいのか……

 しかしそれを口にすることはなく、代わりに出たのは締めの言葉だった。


「まずはそれを明らかにするところから始めてくれ。君達の速やかな報告を待っている」


 かくして喜手門市の魔界化を阻止する任務は久路乃と炎怒に下令された。

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