第44話「平和の敵」
生活指導室に行くのは二度目。
しかも二日連続というのは珍しい。
階段を下りながら炎怒はスマホをいじっていたが、小都梨は前を歩いているので気づかない。
別に非行を働いたことで連行されているわけではないが、もし見つかればそのことで指導されてしまうかもしれない。
冷や冷やしながら晴翔は見ていた。
ただでさえ、こちらを悪者にしたがっている担任なのだ。
見つかればその口実を与えてしまう。
——いまは今日の無料ガチャをやっている場合じゃない。一体何を考えているんだ。
見兼ねて注意しようと覗き込むと、ちょうど終わったらしい。
素早く制服の胸ポケットにしまった。
生活指導室まであと三メートルのところだった。
入室すると、昨日と同じ配置で席に着いた。
小都梨は昨日の学年主任同様、窓を背に着席した。
手紙もそうだが、コミュニケーションをとるとき、まずは相手の調子を伺うものだ。
「ご健勝」、「お変わりありませんか」などの言葉で表される。
対面して話すときもそれは同じだ。
まして、相手が怪我をしていたらまずは「大丈夫か?」と気遣うものである。
ところが小都梨は違った。
席に着いて開口一番、
「どうして問題ばかり起すんだ!」
これはさすがに驚いた。
我が身が可愛くて仕方がない、という男ではあったがここまで正直者だと思わなかった。
炎怒は赤く染まっているティッシュを鼻から離し、あてていた面をよく見せた。
「僕は被害者ですが?」
「そんなことを言ってるんじゃない!」
そこからまるで常日頃から溜まっていたものが噴出するように説教が始まった。
いや、説教というより小都梨個人の持論に基づく非難だった。
自称被害者は相手が一方的に危害を加えてくる、といつも言う。
だが、何も悪くないのに攻撃されることなんてあり得ない。
「原因は相手にではなく、おまえにある」
相手を貶めても何も解決しない。
自分自身が変わるしかないんだ。
それをおまえが相手の嫌がる態度を改めないから、相手は改めてくれるようにと合図を送り続けることになる。
その合図をおまえたち自称被害者とやらがいじめとでっち上げているんだ。
「これが、おまえたちが主張するいじめの正体だ!」
驚くべき持論だった。
加害者本位にも程がある。
この持論に従うならば、桜井の父親に殴られたのは、小都梨に事なかれ主義を改めてほしいという合図だったことになるのだが……
なぜ自分自身が変わらず、父親を警察沙汰にして貶めようとしたのだろう?
その矛盾に気づかぬまま、持論が続く。
「先生はいつも言っただろう——」
お前の勘違いじゃないのか?
考えすぎなんじゃないのか?
遠回しな表現だったのは自分で間違いに気づいてほしかったから。
だが、ここまで性根が腐っているなら、断固たる態度で臨まなければならない。
そこまで話すとガタガタと音を立てながら、パイプ椅子から立ち上がった。
前に座る弘原海を見下ろしながら、重罪人に有罪判決を申し渡す裁判官のように厳しく睨みつけた。
「先生はもうお前の正体に気が付いた」
そう高らかに宣言した。
今後、何を言ってこようと信じない。
中岡たちを陥れようとしているおまえこそがいじめっこだ。
もう無駄な企み事はやめて和解しろ。
お母さんに心配をかけないよう、下がった成績も戻せ。
「これ以上周りに迷惑をかけるな。わかったな」
これにて一件落着、と言わんばかりに彼は持論を結んだ。
炎怒は不満だった。
内容についての不満ではない。
勝手に話を終えられては、確認できないからだ。
(どうしたものか……)
他に怪しい奴はいなかった。きっとこいつだ。
いきなり小都梨から引き摺り出すか?
でも、実は悪魔の憑代は他の奴で、いまも遠くからこのやり取りを見ていたら?
弘原海晴翔が天界側の憑代でした、と明かすようなものだ。
空振り覚悟で一か八かの賭けはできない。
やはり確認が先だ。
だが、どうやって接触すればいい?
このままでは話が終わって、教室に帰されてしまう。
こいつは最後に仲直りの握手をする熱血教師でもない。
どうするか悩んでいると目の端に晴翔の姿が入った。
恩師と仰がねばならない担任の持論があまりに酷く、唖然としていた。
——こいつも唖然としていないで、何か反論する気骨がないから……
弱虫と舐められるのだ。
と、ここまで思った炎怒は何かに気がついた。
(ん? 弱虫?)
いまのいじめについての持論、校長室で同じことは言えまい。
晴翔だから言えるのだ。
弱虫だから。
(そうだ、弱虫なのだから——)
炎怒は思いついたことをさっそく実行する。
「先生、よくわかりました」
思いがけない弘原海の反応に小都梨の表情が綻んだ。
非難や反論が返ってくると思っていた。
胸襟を開けば相手もわかってくれる。
何でも言ってみるものだな、と微笑んだ。
「そうか、わかってくれればいいんだ。先生もきつく言ってすまなかったな」
「いえ、先生のお考えをいままで理解できていませんでした」
「そんなに畏まらなくてもいい」
さっきまでと一転、弘原海を労わり、声のトーンも高くなった。
しかし次の炎怒の台詞でさっきより低くなる。
「殴られたくなければ加害者の要望通りにしろ、というお考えがよくわかりました」
小都梨から笑みが消え、裁判官どころか閻魔大王のような恐ろしい顔になった。
「そんな捻じ曲がった解釈しか出来ないから、いじめられるんだ!」
……この先生、でっち上げと主張していたのに、とうとういじめを認めてしまった。
炎怒は胸ポケットからスマホを出して操作し始めた。
閻魔大王の顔がみるみる紅潮していく。
「何をしている? いま生活指導の最中だぞ!?」
「一言一句正しく伝えるために録音してました。帰宅したら親に聞かせます」
操作を完了させていつも通り、ズボンのポケットにしまった。
目上の人間に向かって!
……いじめられているような弱虫の分際で!
そんな様々な思いが去来した後、目の前にいる教え子を平和の敵と認識した。
「こっちに渡せ!」
もう担任とか大人とか、そんなことは関係ない。
弱虫に舐められてたまるか、大人を舐めるとどうなるかわからせてやる!
そんな剣幕で座っていた炎怒に掴みかかった。
興奮して突っ込んで行ったので勢いが止まらない。
ガタガタッ! ガッ!
と激しい音を立てながら、二人はもつれるように倒れ込んだ。
床で揉み合いになった結果、体格で優る小都梨が馬乗りになった。
【弘原海の鼻から上唇周辺に右拳を打ち下ろす】
「クソガキがっ! 大人しくよこせ!」
読み通り、右拳が顔面目掛けて降ってくる。
炎怒は首を右へ傾げるように曲げて回避する。
ゴツッ!
と耳の横で鈍器が床のタイルに落ちるような音がした。
苦痛に顔が歪み、一瞬動きが止まる。
それを見逃さず、右腕を掴んで第二撃を防ぐ。
「離せ! ぶっ殺すぞ!」
左拳が天高く上がる。
馬乗りになられているので、胴体を捻ることができない。
右拳を耳のすぐ横で捕まえているので、そっちに顔を逸らすことはできない。
避けるための可動域が狭すぎる……
さすがの炎怒も避けるのは無理か?
何もできず、見ていることしかできない晴翔がそう思ったときだった。
生活指導室のドアが勢いよく開いて、誰かが飛び込んできた。
教頭先生と学年主任だった。
「小都梨先生! 何してるんですか!?」
まさに天の助け。
二人は連行した中岡の事がとりあえず片付いたので、職員室に戻る途中だった。
その途中、生活指導室の前を通っていたとき、大きな物音の後に「ぶっ殺すぞ」という怒鳴り声が聞こえたのだった。
およそ生活指導室で聞くことはないはずの物騒な台詞。
一体何事かと踊り込んだのだ。
室内は修羅場の真っ最中。
教師が教え子に馬乗りになり、左拳を生徒の顔面目掛けて打ち下ろそうと狙っているところだった。
見られた小都梨は真っ青になり、二人を振り返ったまま固まった。
その隙を見逃さず、主任が素早く駆け寄り、左拳を掴んで後ろに引っ張った。
「いつまで生徒に乗っかってんだ! 離れろ」
強引に引っ張られた小都梨は抵抗できず、仰向けに倒される。
教頭は馬乗りから解放された炎怒を助け起こした。
「大丈夫かい?」
「はい」
炎怒の前に教頭が立って庇い、さらに小都梨の前に主任が立ち塞がった。
「どういうことですか?」
教頭が口調厳しく尋ねる。
「その、事情を……その、聞いていたらスマホを、弄り始めたので、取り上げようとしていたら、えっと、あの、こいつが抵抗するので……」
教頭の質問に狼狽しながら、しどろもどろと言い訳を並べようとするが、主任が厳しい口調で遮った。
「抵抗したからって馬乗りになってぶっ殺すんですか? 拳で殴ろうとしていましたよね!?」
「いや、それは……」
「先生のクラスで起きた騒ぎですよ?」
「……はい」
閻魔大王のようだったさっきまでの剣幕は消え去った。
まるで悪さを働いたことがバレて怒られている少年のよう。
俯き、消え入りそうな声で辛うじて返事をしていた。
教頭がさらに責める。
「みんなで対応している最中に、被害者の生徒を生活指導室でぶっ殺すってどういうことですか!?」
「いえ、違います……違うんです……」
「先日、あんなことがあったばかりなのに……」
桜井の父親と揉めたことだ。
教頭も解決の場にいたのだろう。
「場所を変えて詳しく事情を聞かせてもらいます」
小都梨は教頭に一緒に来るよう促された。
後ろに主任が立ち、挟まれる形になった。
三人がドアまで来たとき、連行される担任の足が止まった。
「ちょっと待って下さい」
教頭と主任に軽く頭を下げると、最後のチャンスに賭けるように炎怒に向かって手を差し出した。
「先生が預かるから渡しなさい」
脅すような、縋るような、何とも言えない表情だが、炎怒には関係ない。
「お断りします」
「言うことを聞けっ!」
再び摑みかかろうとするが、主任が早かった。
後ろから羽交い締めにして取り押さえる。
教頭も参加して二人がかりで、生徒を襲おうとする担任を阻止する。
「弘原海、おまえは教室に戻れ!」
羽交い締めにしながら主任は、立ち竦んでいる(ようにみえる)炎怒に指示した。
「はい」
知りたいことを知ることもできたし、もうここに用はなかった。
指示に従って、炎怒は退室した。
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