第22話「あっちとこっち」
炎怒と晴翔は三人を残して自室に戻ってきた。
下から悲鳴や怒号が聞こえてくる。
いまリビングは修羅場だ。
渡が首を縦に振った後——
初恵が更にゴミ袋から英単語カードを拾ってきて出題するが、何も答えられなかった。
当然だ。用途が違う。
渡にとって英単語カードとは、テスト本番までに反復学習するものではなく、本番で使うもの。
続いて俊道が一階奥の収納部屋に駆け込んでいった。
しばらく騒々しくしていたかと思うと手に数冊の本を持って帰ってきた。
小学校高学年で使っていた教科書や参考書だった。
これらも悲惨だった。
良くて六割。
算数は四割を切っていた。
渡は小学五年生の頃からカンニングをしていた……
その辺りで炎怒達はリビングから去った。
後は弘原海家の問題。部外者が立ち入ることではない。
自室に戻るとネタノートをしまう必要がなくなったリュックを背負い、すぐに出発した。
余計な時間を取られてしまったが、時刻はまだ八時二〇分。
調査する時間は十分ある。
自転車で街へ漕ぎ出した。
残暑が終わった一〇月の風。
自転車の後ろに跨る晴翔は霊体の身だったが、その風の心地よさは感じられた。
炎怒はさっそく霊査に取り掛かっているようだった。
何か見えるのか、時々立ち止まってはジーッと動かなくなり、また漕ぎ出すということを繰り返している。
悪魔を探しているのだろうか。
邪魔しちゃいけないとわかっているのだが、それでも晴翔は尋ねたいことがあった。
「ねえ、炎怒」
「なんだ?」
「渡は……どうなっちゃうのかな?」
すぐには答えない。また立ち止まって遠くを観察する。
再び漕ぎ出したとき、ペダルに体重をかけながら答えた。
「さあ?」
「えぇっ!?」
炎怒はとぼけているのではなく、本当に何も考えていないので、答えられないのだ。
ただ、晴翔に対する両親の干渉を排除したいと考えていた。
何かネタはないかと探していたときに、のこのこと渡が絡んできてくれたのだ。
当分、酷い目に遭うだろうが、せいぜい頑張って両親の注目を引き受けてもらいたい。
「…………」
晴翔は言葉が出ない。
半鬼というものはみんなこうなのか、それともこいつが特におかしいのか。
淡々と考えを述べている炎怒が恐ろしい……
渡も気の毒に……
そう思ったときだった。思っていることが伝わっているのか、返答するように炎怒が言う。
「本当にな。おまえらが悪いせいで、あんな大事に」
そういえばリビングに下りていく前に炎怒は「悪行」と言っていた。
誰も渡にカンニングをやれなどと奨励していない。
一体どんな悪行だというのか。
炎怒は語った。
やった渡が一番悪いと前置きした上で、
「おまえたちの悪行は『環境』を作ったことだ」
成績が下がったら晴翔と同じ目に遭わせる、と脅迫していた俊道。
宿題の代行を叱るどころか、そのほうが成績向上の役に立つと晴翔を説得していた初恵。
そして——
「小道具」の作成まで知りながら弟を放置した晴翔。
自分から悪行について尋ねたのだが、やはり他人から指摘されると穏やかな気持ちではいられない。
晴翔は口を尖らせて反論した。
「炎怒は昨日来たばかりだから、わからないんだよ」
成績が低い者はあの家では身分が低い。
正直に報せたところで、落ちこぼれの僻みで片付けられてしまう。
隠蔽に協力したかったわけじゃない。
それでも立場の弱い者は波風を立てないようにしているしかなかったのだ。
あの家での苦しい立場だった。
弘原海家に来たばかりの炎怒は、晴翔の語る家庭の不条理に黙って耳を傾けていた。
最後まで聞き終えると、生じていた疑問を尋ねた。
「おまえの言い分が通ったから、いまあの弟は怒られてるんじゃないのか?」
何を言い出すのかと思ったら……
晴翔は苦笑した。
「違うよ。炎怒だったから言い分が通ったんだよ」
炎怒は首を傾げる。
だが、もう黙ってしまった晴翔に、それ以上尋ねて明らかにしようとは思わない。
ここ、人間界は天界と魔界の中立地帯。
それを魔界側が侵したから狩りにきた。
ここは戦場だ。
ホームステイ先ではない。
だから任務に不要な現地人との交流などする気はない。
それは憑代に対しても同じだ。
若い憑代が見つかったことは良かったが、こうしている間にも衰弱していく。
時間をかけ過ぎれば、次の憑代を探さなければならなくなるだろう。
一分、一秒、無駄にはできない。
炎怒は霊査を再開した。
***
午前九時——
炎怒と晴翔は立ヶ原駅前商店街にいた。
普段なら自転車で一〇分位の距離なのだが、霊査して何か見つける度に止まるので倍以上の時間がかかった。
日曜日ということもあり、普段のこの時間に比べれば人通りはまだ少なかった。並び立つ商店も開店が一時間ずつ遅いところが多く、開店準備中が多かった。
自転車を駐輪場に停め、徒歩で商店街を歩く。
昨夜、この通りは落ち武者達で物々しかったことだろう。
いまは姿も気配もない。
人間界に実在する者たちではないし、神や魔王のような巨大な霊の力を借りなければ顕在化することもできないだろう。
そんなことは最終戦争にでもならなければ起こらない。
甲冑の音など微塵もしない商店街は平和そうだった。
では、そんな平和な商店街に何の用が?
一度にあれほど大量の霊が集まって騒ぎ、そこに悪魔も現れた。
昨夜、霊界でこの〈場〉は荒れたのだ。
人間界のこの〈場〉でも何かあったはず。
炎怒はそれを見にきたのだった。
「そういうものなのか?」
霊になった途端、霊界についての知識が自動的に備わるわけではない。
しかも完全に死んでいるわけではない、中途半端な霊。
まだ霊になりたての晴翔には未知の世界の話だった。
「人間界と霊界は別の世界だが、無関係ではない。互いに関連しあっている世界だ」
人間界で騒ぎが起これば、気づいた悪霊が集まってきて霊界が荒れる。
霊界が荒れると、影響を受けた人間がおかしくなって騒ぎを起こす……
炎怒は霊査を続けながら、そんな悪循環が続くようになるのだ、と説明した。
理解した晴翔もそれならばと、何か異変を見つけて炎怒に知らせようと一緒にキョロキョロし始めた。
「……気持ちはありがたいが、挙動不審だぞ」
「——っ! なんでだよ、一緒に探してあげてるんじゃないか!」
そんな喧嘩とも戯れとも見えるやり取りをしていたときだった。
「あれ?」
晴翔が前方に何かあるのを見つけた。
やはり炎怒の読み通りだった。
昨夜の「あっち」での騒ぎは、「こっち」にも異変をもたらしていたのだった。
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