第33話「無謀」

 炎怒は六時間目の途中で教室に帰ってきた。

 教壇に向かって一礼し、窓際の席に戻る。

 その道すがら、誰もどんな話だったか、と尋ねない。


 尋ねてみるまでもないからだ。

 聴取された生徒ならわかるが、そうではない生徒も?


 みんな、炎怒と同じように考えていたのだ。

 いじめていた本人と取り巻き、あとはせいぜい学級委員長で済む話だと。


 それが、委員長の後も聴取が続き、最後は弘原海。

 途中から中岡たちの余罪の話が追加されたことは明白だった。


 口には出さなかったが、みんな知っていたのだ。

 弘原海が中岡たちからいじめられている、と。


 だが、担任が事なかれ主義なので、問題提起することができない。

 下手をすれば仲間を陥れようとしている、と取られかねない。


 中岡たちも告げ口したことを黙っていないだろう。

 新たにいじめのターゲットにされてしまう……

 身の安全を守るので精一杯だったのだ。


 良くないと内心で思っていても、生徒一人の力はあまりにも弱すぎる。

 できることは何もなかった。


 そこへ、一組とは別件ではあるが、中岡のいじめについての聴取。


 いじめを野放しにしている担任は信用できないが、学年主任なら。

 悪事が露見したいまなら……


 聴取された生徒も、教室に残った生徒も思いは同じだった。

 もし秘密厳守で告発する機会が与えられたら——


 事前にみんなで申し合わせていたわけではない。

 しかし、生活指導室から帰ってきた委員長を見て、なんとなく「明かしてきた」とわかった。


 あとはそれに続いていったのだ。

 そして最後は弘原海——

 どんな話だったか、と尋ねてみるまでもなかった。


 結局、中岡は六時間目が終わっても帰ってこなかった。

 そのまま帰りのホームルームになり、一日が終わった。


 部活へ行く者、帰る者、みんな教室から出て行くが、炎怒たちは残っていた。

 晴翔たちの班が今週の掃除当番だからだ。


 それぞれの中学校でもやっていた作業なのでみんな手際が良かった。

 手分けして作業を行なっていく。


 炎怒は机を動かす係。

 ガタガタと音を立てながら机を動かしていた。


 そこへ上から久路乃の知らせが——

(敵反応。数一つ。距離約五〇メートル)


 ここから職員室までが五〇メートル位。


 確か中岡が職員室で聴取されていたはず。

 やっと解放されて、ムシャクシャするから弘原海を殴ろうといったところか。


(中岡か?)

(ん〜 たぶんね。敵意があるのは間違いないんだけど……)


 久路乃の歯切れが悪い。

 どうしたのか。


(どんな波動か、よく見えない——あ、いま三〇メートルまで接近)


 人間界の気は一定ではない。澄んでいるときもあれば淀んでいるときもある。

 天気と似ている。曇りの日は星がよく見えないのと一緒だ。


 こればかりは久路乃を責めることはできない。

 とりあえず敵意の反応を捕捉できただけでもよしとする。


 三〇メートルなど、あっという間の距離だ。

 教室の入り口を注目していると、そこに現れたのはやはり中岡だった。

 すこぶる機嫌が悪い。


 掃除のために残っていた班の連中が見ている中、一直線に炎怒を目指し、胸ぐらを掴んだ。

 もちろん読心で知っていたが、人目があるので避けなかった。

 あまり鮮やかに避けると晴翔らしくない。


 みんなの掃除の手が止まり、注目が集まる。


「やっと解放されたよ。昼休みの話がまだ途中だったよな?」


 炎怒は不覚にもすっかり忘れていた。

 だから怒らせるつもりはないが、ついうっかり首を傾げてしまった。


「てめぇが太田に復讐した話だろがぁっ!」


 そこまで言われてようやく思い出した。

 空腹だったのと、ぐちぐち長い話だったのでよく覚えていなかったのだ。


「あー、さっきの言い掛かりか」


 また、うっかりと……


 班員たちはハラハラし、中岡はいまにも殴りかかりそうな剣幕だ。

 誰もいなければそうなったのだろうが、人目を気にしてなんとか思い止まった。


「掃除終わったら倉庫裏に来いよ。そこまでほざいたんだ。逃げんじゃねーぞ」


 そう吐き捨てると掴んでいた胸ぐらを離し、自分の鞄を持って教室を出た。


 残された掃除班の面々は無言のまま。

 心配に思うが、何かできるわけでもない……

 どう声をかけてよいかわからず、ただ固まっていた。


 ガタガタッ!


 炎怒はみんなを促すように、途中だった机を移動させた。


「早く終わらせよう」


 それを合図にとりあえず、各自の作業を再開した。


 終わった後、弘原海君は……

 みんなの心配をよそに、作業はてきぱきと進んだ。

 途中邪魔が入ったものの、いつもと同じ位の時間に終えることができた。


 クラスのみんなに遅れて、掃除班もこれから下校したり、部活に向かう。

 ただ、これから弘原海君に待っていることを思うと……


 気を揉んでいる班員たちと対照的に、炎怒は淡々と帰り支度をしていた。

 あまりに平然としているので、居ても立っても居られなくなった班員の一人が尋ねる。


「弘原海君、まっすぐ帰ったら?」

「? もちろんそうするぞ」


 答えを聞いた班員たちは安堵した。


「うん。それがいいよ」

「弘原海君、呼び出されると行くみたいだから心配になって」


 他の班員たちも賛同する。


「あんな物騒な奴が待っている倉庫なんて、行かないぞ」


 不安が解消した教室に笑いが起こる。

 中岡の状態を表す、物騒という表現があまりにも的確だったのだ。

 下手に笑いを狙うよりも、真面目な言葉のほうが笑いのツボにはまることがあるのだ。


 一頻り笑いあった後、班員たちと別れて下校した。

 宣言通り倉庫裏には行かず、まっすぐ高校前駅に向かう。


 道中、晴翔の不満が止まらなかった。

 さっきもみんなで和やかに笑い合っていたときも、晴翔だけは明らかに不服そうにしていた。


 晴翔は倉庫裏に行きたかったのだ。

 別に炎怒を当てにしてのことではない。

 もちろん勝ち目がないことはわかっている。


 なぜそんな無謀な意地を張るのか。


 原因を考えるとき、また弘原海家の家長、俊道が関係してくる。


 彼曰く——

 男たるもの、負けてはならない。

 勝てなくとも、逃げてはならない。

 敵前逃亡は断じて許さず。男にあらず。


 時代錯誤も甚だしい彼が掲げた無理難題……いや、家訓だった。


 それ以前もここまでではないにせよ、男は強くなければならない、と育てられてきていた。

 どこの家庭でも男の子に一度は言う叱咤激励かもしれない。

 だが、あの夫婦の言葉は晴翔には強すぎるのだ。


 その結果、両親の言葉は息子の中で呪縛となった。


 逃げれば自らを弱いと認めることになる。

 弱い男は弘原海家では人間として無価値なのだ。

 いやなら、逃げずに受けて立ち続けるしかない。


 だから晴翔は逃げられないのだ。

 痛い目に遭う状況へ自ら飛び込んで行かなければならない。


 いまも涙目になりながら珍しく激昂している。

 ここで逃げたら今まで耐えてきたことが無駄になる、と。


 言い分を聞いているうち、炎怒は中岡の気持ちがわからんでもないと思うようになっていた。

 ちょっと挑発すれば簡単に受けて立ってくれて、決して逃げずに気が済むまで殴らせてくれる。

 いじめる方にしてみれば、こんなに楽しいおもちゃはないだろう。


 駅に向かう足が重たくなってきた。

 学校に戻ろうとすると軽くなる。


 せっかく身体への影響を抑えるコツが掴めてきていたのに……


 炎怒は溜め息を一つ吐くと、駅途上にある住宅街の公園に入っていく。


「どこに行くんだ、炎怒! 学校はそっちじゃな……っぐっ!?」


 金縛りをかけた。

 重い足と晴翔を引きずりながら、炎怒はベンチに腰掛けた。


「……汚いぞ……いくら強いからって、いつもそうやって力ずくでっ!」


 晴翔は懸命に声を絞り出して、炎怒を非難する。


 非難されている当人は興味なさそうに涼しい顔。

 借りている身体の右膝に右肘をつき、頬杖をつきながら目の前で幼い子供たちが遊んでいるのを眺めている。


「なんで黙ってるんだ! そんなに馬鹿馬鹿しいか!?」


 晴翔は金縛りになったまま、ずっと非難していた。

 途中、久路乃が割って入ろうとしたが、止まらない。


 炎怒は晴翔の方を見ない。

 子供たちに視線を向けたまま、シカトし続けている。


 しばらく続いた……


 あのカンニング小僧と違い、晴翔は物書きを目指していた人間。

 俊道のノルマには足りなかったかもしれないが、いじめられる前はよく勉強していたことが窺える。

 罵る言葉も単調ではなく、いろいろと出てきた。


 しかし、それも無限に言っていられるわけではない。

 言い尽くすと、弾が切れた機関銃のように沈黙してしまった。


 静かに聞いていた炎怒は頬杖をやめ、手を膝に置く。


「……なあ、晴翔。結局おまえはどうしたいんだ?」

「学校に戻りたいって、さっきから言ってるじゃないか!」

「倉庫裏に行って、おまえはどうする気なんだ?」

「どうにもできないけど、それでも行かないと! 腰抜け呼ばわりだけは阻止してきたんだ」


 炎怒はようやく晴翔の方を向いた。

 反論されると予測した晴翔は、何を言われようと全部言い返してやる、と構える。


「晴翔——」


 その後に続いた言葉は意外なものだった。


「おまえはいじめられっこなんかじゃない」

「だったら僕は何なんだ!?」


 昨日の太田、今日の学校……

 置かれている境遇がわかったはずだ。

 文字通り、身をもって。


 読心で避けられたが、もしその能力がなかったらいま頃、全身痣だらけになっていただろう。

 天の使いだというなら、どれほど怖くて惨めか想像できるだろうに。

 それをいじめられっこではない、というならば一体何なのか?


 人は死後、生前の有様を評価されて裁きを受けるという。

 天より降りてきてからこの三日間、弘原海晴翔という境遇を見てきた。

 炎怒は裁きの神ではないが、客観的に見てきたその評価を冷徹に申し渡した。


「おまえは、嘘つきだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る