第24話「疲労困憊」

 空き地と表の通りを繋ぐ通路は、直線ではなく緩やかにカーブを描いている。

 炎怒の立つ場所から商店街の様子は何も見えない。


 そんな炎怒に、上から見ている久路乃は接近を報せ続けた。


「会敵まで、あと一五メートル」


 これは一緒にいる晴翔にも当然伝わっている。

 大丈夫だろうかと案じていると、やはり身体が重くなってきた。


 ついさっき、敵は件の悪魔かもしれないと教えた。

 臆病者だと知っているが、いきなりショックを受けないように、心の準備をしてもらうためだ。


 しかしダメだったようだ。

 無理もない。

 悪魔がやってくるのに平然としていられるわけがない。

 晴翔じゃなくても無理だろう。


「あと一〇メートル」


 炎怒は手足に力が入らない。

 肩越しに後ろの晴翔を振り返ると目が合った。


 ハッとする晴翔。


「ごめん。僕また……」

「安心しろ。悪魔の狙いは俺だ。おまえじゃない」

「うん」

「もし——」


 その言葉の後に続くのは悪いパターンの話だ。

 何が出てくるのか、緊張して待つ。


「俺がやられたら、久路乃がおまえを回収するから、約束のことは心配するな」

「うん。それは安心して。晴翔君」


 久路乃は炎怒に賛同し、晴翔の緊張を和らげようと努める。

 その甲斐あって、手足に少しずつ力が戻ってきた。

 でもまだ固い。


 もう少し静かに待っていれば完全に落ち着くだろう。


 しかし、それができないのが炎怒だ。


「そうだぞ、晴翔。安心しろ。あんなもんでも一応、天使だからな……」

「い・ち・お・う!?」


 もう敵がすぐそこまで来ているのに、また喧嘩が始まる。

 心を落ち着かせている暇もない……

 怯えている最中なのにも関わらず、晴翔がまた仲裁に入らざるを得なくなった。


 頭に血が上って炎怒に言い返している久路乃に晴翔は、


「ねぇ! 敵は?」

「——!!」


 指摘されたことで役目を思い出し、急いで確認する久路乃。


「空き地まであと七メートル。そろそろ姿が見えるよ」

「七メートルって、もう通路に入ってるじゃないか。また余所見か、後見様?」

「もうやめなよ、炎怒!」


 とうとう晴翔が炎怒を窘めるようになってしまった。

 二人のせいで緊張している場合ではなくなった。


 確かに晴翔の言う通り、喧嘩している場合ではない。

 もうあと数秒程で姿を表す敵に備える炎怒。

 手足に力が戻っていた。


「あと五メートル」


 敵はカーブを抜けて姿を現した。

 そいつは——

 晴翔のよく知る人物だった。


「太田……っ! ……君……」


 晴翔はそいつを見て呻いた。


 空き地は静かなので思ったより声が響いて、自分の声の大きさに驚く。

 距離が近いのでこの太田という少年にも聞こえてしまっただろう。


 いまの晴翔は霊体。

 普通の人間にその声は聞こえない。

 もし反応したらこいつは……


「あれ〜 弘原海君じゃないの。奇遇だねぇ〜」


 どっちだ? どっちを見ている?


「…………」


 残念ながら炎怒と目が合ってしまった。

 ハズレか……

 そうわかった途端、緊張が解けそうになったが、思い直して警戒を続けた。


 聞こえていない振りをしているだけなのかもしれない。

 まだ悪魔憑きではないと確証が得られたわけではない。

 それに悪魔憑きじゃなかったとしても、こちらに敵意を持って近づいてきたことに違いはない。


 炎怒は用心しながら、初めて会うこの太田少年について記憶を探る。


 太田隆行。

 晴翔のクラスメイトというだけで、さっきの晴翔の呼び方からも親しい間柄ではない。

 親しくないどころか、大嫌いだが、「君」を付けて友好的な呼び方をしなければならない人物。

 晴翔をいじめるグループの一人。


(いじめ……)


 適当にあしらって立ち去ろうと思っていたが、そういう訳にはいかなくなった。

 見逃すわけにはいかない。


 といっても、いじめは許さないという正義感からではない。


 己の欲求のために弱い個体を追い詰めて滅ぼす——

 いじめは人間が本来持っている狩猟本能に根差している行為。

 本能を制御できる人間は少ない。

 いやなら逃げるしかない。


 悪事ではあるが、そんなきりがないことを咎めるつもりはない。


 それがなぜ立ち去るのをやめて返り討ちに変更したのか。

 理由は太田がいじめをやっているからだ。


 いじめを楽しむ精神、それは人というより悪魔に近い。

 おそらくいじめをやっているという自覚もないだろう。

 そういう浅はかさも悪魔にとって都合が良い。

 よく考えずに身体を貸してしまいそうだ。

 あまり頭が悪すぎると悪魔の目的を果たせないが、どうしても憑代が見つからなければ我慢して乗っ取ることもあり得る。


 俊道同様、確認する必要がある。


 そんなことを考えている炎怒だったのだが、太田から見ると、自分たちが現れただけで竦み上がっている、いつもの弘原海晴翔に思えた。


 特に用がなかった日曜日、暇つぶしに商店街に来たら弘原海が路地に入っていくのが見えた。

 馬鹿な奴だ。あの先はビルに囲まれて逃げ場がない。

 これで楽しくストレス発散ができる!


 そんな悪意を久路乃が発見したのだった。


「どうしたの? こんな人気のないところに来ちゃって」


 嬉しそうに弘原海に尋ねる太田。


「気にするな。おまえには関係ない。それじゃあな」


 と素っ気なく答えて横を通り過ぎようとするが、腕を掴まれる。


「おい、待てよ。『おまえ』だぁ〜?」

「何か気に障ったか? 太田」


 と、答え終わるや否や、両襟を掴み上げられた。

 体格差があるので踵が少し浮き上がる。


「おいおい、今日はどうしちゃったんだよ〜 太田じゃねーだろ? 太田『さん』だろぉっ!?」


(おいおい、『君』どころか『さん』付けかよ)


 ついうっかり苦笑いをしてしまった。


 それを太田は見逃さない。

 どう殴る蹴るに結びつけていこうかと考えていたら、獲物のほうから口実を作ってくれた。


「やらかしちゃったな〜弘原海く〜ん。いくらやさしい俺でも今のは頭にきちゃったよ」


「人の胸倉を掴むような奴はやさしくないだろ」

「ああぁっ!? なめてんのか、この野郎っ!」


 炎怒に突っ込まれて激昂した太田は、力一杯突き飛ばした。

 体格差には勝てず、空き地に倒される。

 そこへ顔を紅潮させながら、追撃してきた。


【左足で顔面を踏みつけてやる】


 宣言通りに頭の横に駆け寄ると左足が持ち上がった。

 膝まで上がった左足は一気に顔目掛けて急降下——


 しかし炎怒には当たらない。

 転がって避けながら立ち上がる。


【左手で弘原海の右襟を掴もう】


 右襟目掛けて伸ばした左手は屈んで回避される。


「避けんじゃねーよ!」


【下がっている頭に右膝蹴り】


 屈んでいた上体を起こして回避。どこにも当たらない。


 その後も怒鳴り散らしながら懸命に腕を振り回すが、擦りもしない。

 並みの人間が読心を破るのは無理だった。


 二分経過——

 太田の攻撃が止んだ。

 疲労と呼吸の苦しさで顔が歪む。


 座り込みたい衝動に襲われるが、強者の自負が拒否する。

 獲物が涼しい顔でこちらを眺めているのに、へたばるわけにはいかない。


(な、なんなんだ、こいつ……)


 それ以上、疲労で考えられない。

 しかし、炎怒は太田を休ませはしない。


 辛うじて立っているだけの太田を挑発するように背を向け、雑居ビルの非常階段の方に小走りで行く。

 逃げる速さではない。明らかに追ってこいと言わんばかりの走り方だった。


 太田のプライドを刺激するために途中で立ち止まり、肩越しにちらっと一瞥した。


「……くそ……待ちやがれ」


 くたくたで階段なんて登りたくない。

 だが、散々空振りさせられた挙句、逃げられるなど、プライドが許さない。


 それに非常階段は空き地と違って狭いし、逃げ場もない。

 狭い所へ追い込めば一発当てることができる!


 太田はその一念で、疲れきった自らの身体に気合いを入れ、弘原海を追いかけた。

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