第58話「通勤快速、天界行き」

 三人は湯野木駅に到着した。

 炎怒は道中、考え込んでいた。

 二人から説明してもらった晴翔もその難しさを理解していた。


 ——まるでなぞなぞだ。


 晴翔は真面目にコツコツだけが取り柄なので、名探偵のような閃きはなかった。

 昔からなぞなぞは苦手で、残念ながら炎怒たちに協力できることはなさそうだった。

 せいぜい、考え事の邪魔にならないよう、静かにしているだけ。


 そう、静かにしていたのだ。

 異変に気がつくまでは……


 いまホームで電車を待っているが、上り下り共に誰もいない。

 湯野木駅は無人駅ではない。

 ホームに全く人がいないことなどあり得ない。


 そしてずっと電車が来ない。

 今は夕方。普段なら上り下り共に混雑している時間だ。

 本数が減る午後でも一〇分に一本は電車が到着する。

 まして夕方以降は本数が増える。

 もし遅延発生なら、スピーカーからそのアナウンスがあるはずなのに、それもない。


 とうとう我慢できず、晴翔は考え中の炎怒に声をかけてしまった。


「ねぇ、おかしくないか?」

「わかってる」


 炎怒は既に異変を察知していた。

 晴翔は気づかなかったかもしれないが、改札を通ったとき空気が変わった。

 普段通りの景色だが、ここはすでに〈間〉だ。


〈間〉は何もないガランとした暗闇とは決まっていない。

 日常の光景のほうが話しやすければそのようになる。


「午前中は俺だけだったが、今度はお前にも用があるらしい。」


 事も無げに言ってくれるが、当の晴翔は狼狽えた。

 ——なぜ僕が?


 読心など使わなくても晴翔の動揺は明らかだった。

 ただ、これは〈間〉というチャットルームに呼び出されたようなものだ。

 気が乗らないなら招待を断ればよいのだ。

 学校での中岡たちの呼び出しと同じだ。


「断ってもいいがどうする?」


 炎怒の提案は意外だったようだ。

 目を丸くして断ってもいいのか、と返してきた。


 晴翔に断るという発想はなかった。

 呼ばれたら行かなければならないのかと。


「…………」


 正直、怖いので逃げたい。

 その一方、見てみたい気もする。


 元々、そんなに霊の存在を信じていなかった。

 それが兜置山で炎怒と出会い、初めて見た鬼に驚いた。

 見るだけでなく一緒に行動している現在、霊など気のせいだと打ち消すことはできなくなった。

 ……自分もいまは霊になっているし……


 鬼がいたのだから悪魔もいるのだろう。

 いるなら見てみたい気もしてきた。

 悪魔が人間の自分にどんな話があるのか興味が湧いてきたのだ。


 それでも一応、念のために確認する。


「危険はないよね?」

「基本的に話をするための空間だから、殴られることはたぶんないはず」


 そうか、と頷き、少し考える。

 次に顔を上げたときには心が決まったようだった。


「僕にどんな用か聞いてみる」


 その返事を待っていたのか、ホームのスピーカーがまもなく列車が到着すると告げてきた。


 ——!


 やはりここは僕の知っている湯野木駅じゃない!

 炎怒は面倒臭そうに溜息を吐くだけだったが、晴翔はその内容を聞いてそう確信した。


 スピーカーがホームの晴翔たちに告げた内容、それは——


「まもなく二番線ホームに天界行き、上り列車が参ります。黄色い線の……」


 湯野木から立ヶ原へは下り列車だ。上りじゃない。

 あと、天界行き?


 理解が追いつかない晴翔に炎怒が解釈を伝えた。


「天界に上っていく電車に乗ってそのまま帰れ。もう手を引けっていうことなんじゃないか?」


 困惑する晴翔の片頬を突風が気味悪く舐めていく。

 見慣れた喜手門線の車両が線路を軋ませ、綺麗に停車位置で止まった。


 ——なんだいつも通りの喜手門線じゃないか。


 と、安心しかけた晴翔は、確かにここが現世ではないことを認めざるを得ない、その証拠を見つけてしまう。

 車両はいつも通りだが行き先表示にはこう書かれていた。


〈通勤快速、天界〉


 各駅停車などとかったるいことを言ってないで、通勤快速でとっとと帰れ、という意味か。


 自分で何の用か聞いてみると言っておきながら、こうして見せつけられた晴翔は今更ながら怖気付いてきた。


 落ち着かせるために、久路乃がこの〈間列車〉での注意点を伝える。


「晴翔君。相手は悪魔だ。魅了して丸め込もうとしてくる。とにかく同感や共感など、相手の言うことに合わせちゃダメだよ」

「……わかった」

「ここは炎怒に任せて、君は無言でいたほうがいい」

「うん、そうする」


 本当は人間の霊を悪魔と直に合わせないほうがいい。

 訓練を積んだ意思の強い人間でも、悪魔と相対するのは消耗する。

 まして、晴翔では……


 だが、向こうから接触しにきたのだ。

 手がかりを掴むチャンスでもある。

 虎の穴に入らなければ虎の子は手に入らないというやつだ。


 ブザー音と共にドアが開く。

 喜手門線をよく再現していた。


 乗り込むと車内には誰もいない。

 先頭車両に向かって視線を走らせても、人影一つ見つからなかった。

 最後尾の車両も同様。


 必ずこの列車のどこかに、こちらを呼び出した悪魔がいるはずなのだが。

 どこにいるのか。


 しかし探し人はすぐ近くに現れた。


「こっち、こっち」


 不意にすぐ近くから呼びかけられ、振り向いた。

 さっきそこには誰もいないことを確認している。

 だが今は誰かがその席に座っていて、こちらを待っていた。


 それは意外にも、見ず知らずの人間ではなかった。


「光原?」

「やあ、弘原海君」


 なぜここに?

 いや、さっきあいつの家で別れたのに、どうやって先回りを?

 でも、すでに乗っていたということは、一つ前の駅から乗ったのか?

 しかし、それでは時間が合わない。

 どういうことなのか?


 理解が追いつかない晴翔に対し、光原は何がそんなに嬉しいのか満面の笑みだった。


「ここに座ってよ」


 少しはしゃぎ気味に、自分の座っているすぐ横を右手でポンポンと叩いた。


 どうしようと晴翔が悩んでいると、炎怒は機嫌が悪そうに反対側へ座り、正面から光原を睨みつけた。

 晴翔も悩んだ末、炎怒に続いて隣に座った。


 改めて正面から見る暖かなお日様のような笑顔。

 この光原の笑顔は、見てるだけで心が癒される。


 しかし晴翔はそれ以上惹き込まれはしない。

 久路乃の注意を思い出し、気持ちを強く持ち直した。


 確かに久路乃の言う通り、さっきまで一緒にいた光原ではない。

 第一、こいつは僕のことを「弘原海『君』」と呼んだ。

 お互い『君』付けは省略したはずだ。


「ほら、やっぱり弘原海君だったじゃないか」


 光原らしきものは炎怒の方を見ながら、晴翔を指差した。

 炎怒はそれには答えない。


「その姿は何の真似だ?」


 なぜこの悪魔は光原の姿をしているのか——


 悪魔の姿を想像すると、黒山羊の頭に蝙蝠の羽を生やした怪物のような姿を思い浮かべるが、必ずしもそう決まっているわけではない。

 怖がらせたほうがよい相手には恐ろしい姿になるし、懐柔したほうがよいと思えば相手の好む姿になる。


 光原は弘原海晴翔の友人。

 その姿で来たということは、友好的な話がしたいということ。

 午前中、炎怒と交渉決裂してしまったので、今度は晴翔を口説き落とすつもりなのだろう。


「あれ、いやだった? なら、他の姿でも構わないよ」


 そう言うなり、中岡や学級委員長、桜井や校長先生、家族や近所の人、晴翔が知るあらゆる人物に次々と変化していき、最後は光原に戻った。


「アニメや特撮のキャラクターにもなれるよ」

「……おまえの顔など誰でもいい。それより要件は?」


 光原の姿をしている悪魔は姿勢を正し、咳払いを一つすると喉の調子を整えた。

 そして——


「君の主たる憑代が弘原海君だと断定した。手を引いてもらいたい」


 炎怒は憮然としたまま何も言わない。

 心配そうにこちらを見る晴翔の顔が、横目に入ってきて鬱陶しい。

 晴翔の態度を見て、確証を与えてしまったかもしれない。


 悪魔は知っている。

 こういうとき、人も鬼も嘘をついてとぼけるのだ。

 こんな奴は知らない、憑代ではない、と。


 無駄な抵抗を封じるべく、断定した根拠を示していった。


 あの日、君の降下を商店街で待ち構えていたとき、弘原海君が商店街から兜置山の方に向かうのを見かけた。

 死の波動を撒き散らしながら歩いていたから、何しに行く気かはすぐにわかった。


 でもボンクラ弘原海君より、降下中の〈使い〉を迎撃することの方が大事。

 彼の命に興味はなかった。


 ところが予測していた軌道は大きく外れ、兜置山の方角だった。

 商店街の落ち武者たちをけしかけて追撃させたかったが、あいつら、言うことを聞かない。

 仕方なく一人で兜置山に向かうと、使いは見当たらず、弘原海君が下山しているところだった。


 翌日から弘原海君は変わった。

 目の前にいる彼は以前の通りだが、学校で見かける彼は堂々とした雰囲気になった。

 中岡たちのいじめに対処し、クラスのみんなとも打ち解けてきた。

 今日は写真部の友達もできた。


「山で自殺しにきた弘原海君と〈使い〉が入れ替わったと考えるほうが自然でしょ?」

「ちゃんと話聞いてたか? 憑代なら誰でもいいわけじゃない。この少年では能力が足りない、と……」


 悪魔は炎怒に最後まで反論させずに遮った。


「ボンクラと言っておきながら覆すけど、こうして改めて見ると有能な憑代では?」

 ——え?

 と反応を示した。

 炎怒ではなく晴翔が。


 その様子を、まるでかわいい小動物でも愛でるような目で見ながら、有能だと思う根拠も示していく。


 弘原海君は自分から呼び出し場所に向かっていく愚かさはあったが、常に誰かに脅かされて暮らしていたから、危険を察知する能力は高い。

 それに、毎日のように袋叩きに遭っていたのに、痕が残るほどの怪我はない。

 意外と動体視力が良くて上手い受け方をしていたのかもしれない。


 彼は〈目〉が良いのだ。

 私たちを見つけ出して退治するという目的には充分な能力。


「…………」


 炎怒に異議はなかった。


 憑代の身体に憑依すると、そいつの能力の制限を受けるので、読心の範囲がどうしても狭まってしまう。

 だが晴翔の場合は違った。

 危険察知能力の高さが影響し、制限どころか却って能力が増幅していた。


 ここまですべて正解だ。

 だが、諦めるわけにはいかない。

 何か言い返さなければ……


「この年頃の少年の成長は予想を超えるものだ。ぼんやりしていた奴が何かのきっかけで急変することがある」


 ——予想通り。

 悪魔はほくそ笑んだ。

 きっとそう言い返してくると思っていた。


 だが、怪しいのは弘原海君だけではない。

 この使い自身、怪しまれても仕方がない失態を犯しているのだ。

 それもついさっき。


 その失態を攻める。


「一昨日のゲーム店はすごかったね。さすがは天の使いだと思ったよ」


 なぜ急に一昨日の話を?

 炎怒は真意を掴めずに内心、困惑した。


「いや〜 本当にすごかったよ。あのカ・タ・ナ」

「——!」


 悪魔が言いたいことがわかった。

 炎怒の血の気が一気に引く。


「同じ霊刀をさっき光原君の部屋で見たよ」


 そう言うと、晴翔の方を向いて続ける。


「あれって、弘原海君の刀なのかい? だったらいま出して見せてくれないか? 別に触らせろとは言わないからさ」


 炎怒の霊刀なのだから、晴翔に出せるわけがない。

 困惑するが、炎怒に助けを求めるような視線を送りはしなかった。

 そんなことをしても炎怒を追い詰めるだけだ、ということを理解していたからだ。

 下を向き、目をギュッと瞑って耐える。


 晴翔は見てはいないが、悪魔はニコッと微笑んだ。


「ごめんね。弘原海君に出せるわけがないよね」


 その笑顔のまま、炎怒のほうに向き直る。


「使いの霊刀が弘原海君から飛び出して、竹光を受け止めた」


 これ以上の証拠は不要。

 何も言い返せない炎怒に悪魔がとどめを突き付けた。


「弘原海君だ。間違い無い」

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