第8話「地上へ」
隕石のように大量の雲を引いていた炎怒だったが、人間界の空気に慣れてきた。
全く風化しないわけではないので白煙を吹き出しているが、徐々に細くなり、本数も減っていった。
援護している久路乃は炎怒の様子に合わせて、ダミー達の白煙を調節する。
発射地点を見逃さないよう地上に目を光らせつつ、炎怒に合わせてダミー達を操るという器用な作業を続けていた。
見ると高度は依然として高く、この複雑な作業もまだまだ続く。
最初の矢で仕留めることができていれば、炎怒の安全確保はもちろん、この任務も達成できたことになる。
後は地上に降り立った炎怒が退治できていることを確認して終了になる。
しかしそう上手くいった事例は一件もない。
悪魔は未だ健在と思って、次の矢を用意しておく。
気を抜くことはできない厳しい時間が続く。
……
…………
「来た!」
その時、地上で何かが光った。
二本目の悪魔の矢だ。
やはりさっきの矢は外れていたようだ。
任務は続く。
如何なる変化も見逃すまいと監視していた久路乃も直ちに二本目の矢を放つ。
矢が大穴を垂直に降っていくのを見送ると、彼女は静かに目を瞑った。
瞼の裏にトンネルのようなところをまっすぐ猛スピードで走っている光景が広がっている。
いま彼女が射たばかりの矢の視点だ。
そのトンネル、大穴を抜けると人間界に出た。
下方に炎怒とダミーが見える。更にその下方、悪魔の矢が迫っていた。
(どれに向かって行く?)
どんどん距離が縮まっていく中、僅かな動きを見逃すまいと相手の鏃に集中する。
炎怒か? ダミーか?
悪魔も迷っているのか、なかなか動かない。
もしこのままどこにも向かわないなら、そのまま撃ち落とせる。
そんなことを考えていると、悪魔の鏃がほんの少しだけダミーの方に傾いた。
久路乃と違って悪魔側に本数の制限はない。一か八か当ててみればよいのだ。
もっとも、残念だが悪魔はまたダミーに引っかかったようだ。
ダミーは更に一つ潰されるが、射出後の矢を操れるならばそのまま空中待機させておいて温存すればよい。
ところが久路乃の矢はその悪魔の矢に向かっていき、鏃と鏃が正面衝突して両方とも消滅した。
狙いを分散させるためのダミーを貴重な矢を一本消費してまでも守った。
これは本物の炎怒を守ったと見せかけるための久路乃のフェイントだった。
彼女の役割は地上までの時間を稼ぐこと。
発射地点に撃ち返すとは限らないのだ。
これで次の矢も本物と勘違いしてダミーに向かうだろう。
しかしその楽観的な考えは、直後に起きた予想外の出来事に打ち砕かれた。
守ったダミー目指して地上から沢山の矢が上昇すると、次々と突き刺さり、二個目のダミーはハリネズミのようになって潰されてしまった。
大穴から目を凝らしてみると地上に落ち武者達の姿が見える。
悪魔の配下なのか、単に縄張りへ近づく余所者を排除しようとしているだけなのかは不明だが、大勢集まって空を睨んでいる。
霊石は残り一個、矢は三本。
今の攻防で地上までの距離を稼ぐことができたのだが、まだまだ安心することは許されなかった。
一難去ってまた一難といわんばかりに新たな悩みが発生する。
(これでは無理だ……どうしよう……)
連中は悪魔が一本撃ち込んだ標的を狙って一斉射撃するようだ。
数えてはいないが、一度に一〇〇本以上は確実に飛んでくる。
即ち商店街は落ち武者達で溢れかえっていて、どこに降下しても見つかるということを示していた。
このままでは商店街に降下できない。
どうするか迷っている間にも高度はどんどん下がっていく。
すぐに降下地点を変更させなければならないが、どこにするのか当てはない。
時間と地上までの距離を急速に失っていく久路乃達に「さあ、どうするつもりなのか」と返答を迫るような三本目の矢が放たれた。
三本目はまっすぐ炎怒に向かう。
ダミーの振りを続けながら、彼も困惑していた。
このまま地上に降り立ったらどうなるか、上から見ていて気付いているはずだ。
それが何も言ってこないというのは、どうすれば良いか必死に考えている最中なのだろう。
だから「どうする?」などと余計なことを言うつもりはない。
言うつもりはないが、矢がこちらに向かってくる以上、なんとか対処しなければならない。
彼女にではなく自身に向けて問う。
どうするか?
ダミーは一個しかないのだから、バレても気にせず回避行動を取るか?
迫りつつある矢を避けようと決断したが、それより早く、後方から飛んできた久路乃の矢がさっきのように撃ち落とした。
(終わった……)
この後、落ち武者達の矢がこちらに飛んでくる。
たとえ自由に飛び回ったとしてもあれほど広範囲にばら撒かれる斉射を避けきるのは無理だ。
粉々に砕かれ、蒸発させられて大穴に逆戻り。
境の小神殿で元の姿には戻れるが、任務は失敗になる。
炎怒は諦めた。
今回の悪魔は相当用心深い奴だったんだな、と冷静な感想まで浮かんできた。
その間も久路乃からの変更指示はない。
そして——
ビンッ!
バッ!
ビィンッ!
と、思い思いの弾き方で空に向かって、任務の終わりを告げる音曲が奏でられる。
しかし弦から放たれたのは音符ではなく鋭い矢。
ザーッという音と共に上昇していく。
(地上に降りられないことには……)
一秒か二秒後にハリネズミのようになる自身の運命を覚悟して炎怒は目を瞑った。
が、風を切り裂く音が横を抜けていっただけで何の痛みもない。
三秒経過した後、恐る恐る目を開けると隣のダミーがハリネズミになって蒸発していた。
こちらが本物だったのに、さっきのフェイントが効いていたのだ。
またダミーを庇ったと思って、庇わなかった方を本物と断定したのだった。
助かったがこれでダミーは全滅した。
もう誤魔化せない。
地上では落ち武者達がもう次の矢を番えて、最早間違えようがない本物に向かい、ギリギリと弓を引き絞る。
対して、偽装する必要がなくなった炎怒は空気抵抗を利用して、前後左右に移動して的を絞らせない。
大穴で弓を構えている久路乃は次の矢を矢筒から取ると、何かを念じてから番えた。
四射目——
もう必要ないので悪魔の様子見の一射はない。いきなり炎怒へとどめの一斉射が放たれた。
遅れず久路乃も放ち、矢の大群に向かって飛んでいく。
大群は炎怒を目指しているが、久路乃の矢はどこを目指しているのか?
その目的地が不明なまま両者はすれ違い、それぞれの目標に向かって飛んでいくと思われた時、久路乃の矢が爆発した。
中心で起きた爆発に堪らず、すべて撃ち落とされるか、四散してしまった。
だが、落ち武者達がめげることはなく、すぐに次の用意を始める。
悪魔は知っているのだ。
援護は無限ではなく、いずれ尽きる。
だからただ続けていればよい。その時まで——
一方、久路乃はそれに付き合っているわけにはいかない。
必死に考える。
が、何も浮かばない……
炎怒は動けるようになったが、降下中なので地上のように機敏に動けるわけではない。
次の一斉射は弾き飛ばせるがそれで最後。
その後は打つ手がない。
敗北——
その二文字が久路乃の心にシミのように広がっていく。
ふと下を見ると、炎怒はまだ諦めていなかった。
必死に次の的を散らそうと不規則に移動していた。
(炎怒……)
半鬼が諦めていないのに後見が挫けている場合じゃない!
と、奮い立たせて次の一斉射に備えた。
最後の矢に爆発するよう念じて番える。
いつ飛んでくるかと睨んでいたその時だった。
(————?)
商店街から離れ、住宅街の外れにある兜置山。
山というより高めの丘といったところだが、その山から生物が死ぬ前に発する強烈な命の波動が発せられた。
おそらく若い人間が自殺しようとしている。
悪魔も落ち武者達も空に集中しているから気がついていないようだ。
上から見ていた久路乃だけが気付いた。
その瞬間、
(……そうだ!)
と、一石二鳥の妙案が浮かんだ。
番えた矢に爆発ではなく、別のことを念じ直し、弓を引き絞る。
(炎怒! 今からあんたに向かって射るから矢に掴まって!)
(は!?)
(説明している暇はないから言う通りにして!)
了解を待たずに久路乃は最後の矢を射出した。
続いて地上からも矢が上がり、両者、炎怒を目指す。
さっきまで不規則な動きを続けていた炎怒だったが、久路乃の矢に掴まらなければならないので定位していた。
もし落ち武者達の方が先に届いたら、大人しく全身に矢を受けるしかない。
だが、どうせできることはもうないのだ。
(何をする気か知らないが、任せよう)
久路乃の方が先に届くと信じ、ひたすら上空を注視する。
上に向かっていく矢と下に落ちていく矢の競争。
勝ったのは後者だった。
僅差で先に届いた久路乃の矢。
伸ばされた手に近づくと水平飛行になり、そのままの速度で彼の手に飛び込んだ。
常人には無理な離れ業だったが、しっかりとその矢を掴むことに成功。
矢は炎怒を連れてその空間を飛び去る。
寸での差で落ち武者達の矢が到達したが、既に標的が去った後。
何に刺さることもなく虚空に消えていった。
苦し紛れに追い打ちの矢を射掛けるが、先程までと違い、矢の速度で離脱するその背中には届かない。
炎怒達は商店街上空を切り抜けることに成功した。
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