第77話「武士の魂」
人の劣等感に付け込む悪魔レットウ。
喜手門市魔界化という使命を帯びてやってきたが、天の使いによって憑代を特定され、その使命は阻止された。
炎怒は見事、任務最大の目標であった魔界化の阻止を達成したのだった。
にも関わらず、その弟子ともいうべき惣太郎と戦闘中だ。
魔界化阻止という任務ではレットウに勝った。
だが、取り逃がしてしまったのだから、悪魔を狩るという勝負では炎怒の負けと言わざるを得ない。
〈間列車〉の取引に応じていた場合、レットウの代わりに戦果として引き渡される予定だったのはおそらくこの惣太郎。
そのような〈代わり〉に勝っても全く嬉しくない。
久路乃は怒るかもしれないが、師匠の後を追って逃げるなら、見逃しても良かった。
惣太郎に勝利したいという意欲がないのだから。
ところが逃げるどころか鬼退治を挑んでくる。
それなら逆にこちらが逃げようかとも思ったが、晴翔を連れてきていることを思い出した。
……捕まるだろうな。
世話になった弘原海家の人たちから、晴翔のことを頼まれている。
またその晴翔と任務が終わったら天国に連れて行く、と約束している。
自覚はなくとも歴とした悪魔の心界に置き去りにして、炎怒だけ退散するわけにはいかなかった。
諦めて戦う決意をした炎怒。
相手側が終わりにしてくれないなら、退治して任務を完了するしかない。
持ち主が戦う決心を固めたなら幽切はその気持ちに応える。
敵を退治するのに最も適した形へと変貌した。
ついに抜き放たれた惣太郎退治の幽切——それは……
「鬼……おぬし、ふざけておるのか?」
「そっちが鬼退治なら、こっちは捕り物だよ」
幽切の鍔から先が十手に変化していた。
戸惑っている子侍に右の袖を捲る仕草をしながら、
「御用だ!」
と岡っ引きの真似をする。
隙のない正眼の構えを取る惣太郎だったが、炎怒が構える十手に言い表せない不安を感じていた。
——長剣を掻い潜り、接近戦を仕掛けたいならば脇差でよいはずだ……
こちらには何の不利もない。
にも関わらず、冷たいものが子侍の額から顎を伝う。
耳の奥で警鐘が鳴り続けている。
あの十手は危険だ、と。
鬼退治の長い歴史の中、様々な武器や戦術に出会った。
苦戦することもあったが、悉く撃破してきた。
いまその経験と知識を総動員して検索しているが、長剣相手に十手が有利になる戦術が見当たらない。
——防御に徹するつもりなのか?
と思うが、すぐにその考えを打ち消す。
途中までは子供と侮っていたようだが、いまは狩ると決めたようだ。
防御していては狩れない。
……何かある!
惣太郎はそう断定し、鬼の僅かな兆候も見逃すまい、と集中を高めた。
長剣と十手。
普通に考えて長剣が先手になる。
それを凌いでから何かを仕掛けるつもりなのだろう。
そもそも先制攻撃には向かない得物だ。
長剣相手には尚の事。
惣太郎の方針が決まった。
こちらからは仕掛けない。
苦手な先制攻撃をやってもらう。
賢明だった。
ただし、これが技を競い合う試合ならばだが。
炎怒が目指すのは試合の勝利ではなく、任務の完了。
後の先を取られようが、試合結果が反則負けだろうが、瑣末なことだ。
必要なことを粛々とやって、終わりさえすれば良いのだ。
如何なる兆候も見逃すまいと見張っていた惣太郎は異変に気付く。
十手を握る炎怒の右手、その周囲の空気がユラユラと歪む。
——高熱?
手に続き、構えている十手も赤熱し出す。
火傷を負わせようというつもりなのかもしれないが、届かなければ意味がない。そのことは鬼も承知しているはず。
——虚仮威し?
いや、この期に及んでそんな下らないことをする鬼ではない。
ならば一体……
惣太郎の考えが纏まらない。
こちらからは接近しない。
それに変更はない。
問題は突っ込んできたあと、どう迎撃するかだ。
直進してくるものは横に薙ぎ払って、元の場所へ撥ね返したい。
だが薙ぎ払いを何度も見せてしまった。
長剣の間合いは把握されている。
それなら突くか?
長い突きでは避けられるから短い連続突きで。
だが、企みがわからないまま接近させたくない……
どうする?
どうする?
どう……
その迷いを炎怒は見逃さなかった。
まだ間合いの遠い惣太郎目掛けて、突撃を開始する。
この戦いにおいて初めての炎怒からの先手。
思惑通りに鬼から先制攻撃を仕掛けにきてくれた。
ところが、肝心の惣太郎の中ではどう迎撃するか決まっていなかった。
そんな相手の事情など御構い無しに炎怒が急速に迫る。
時間にして二秒程。
炎怒が長剣の切っ先まであと一歩のところに迫ったところで、頭の中が真っ白になっていた惣太郎の思考が戻った。
——来たっ!
決断しなければならない。
いや、決断するだけでは遅い。
直ちに動かなければならない。
いまから上段や脇構えに直す時間はない。
斬るのはもう間に合わないから突きしかない。
長い一突きに賭けるのか、それとも危険だが短い連続突きか?
鬼退治は原則こちらから仕掛けていくものだった。
それがいま初めて相手から襲撃を受けた。
初めて危機を体験する子供が、咄嗟に判断するのは無理だった。
だが鬼退治で鍛えてきた技は伊達ではない。
頭が動かずとも染み付いた技が体を動かした。
咄嗟に繰り出せる最も信頼できる技……
それは剣道の面打ちのような踏み込みながらの真っ向斬りだった。
詰められたとはいえ、まだ遠い間合いからの振り下ろし。
見事な長剣の斬撃だが、もう目が慣れてしまった鬼に有効とは思えない。
案の定、楽々と突破されてしまう。
万事休す!
そう思われた時——
竹光が脇差より短く、小柄程に縮んでしまった。
まるで勢いよく飛び出そうと、ばねが反発力を溜めているかのように。
次の瞬間、手元を動かさないまま伸びる長剣突きが炎怒の眉間目掛けて飛び出した。
溜めた反発力をすべて解放した最速の突き。
数百年、鬼退治にすべてを込めた剣士の意地が炎怒の顔面を——
…………
貫通しなかった。
炎怒は待っていたのだ。
途中で何をしてこようと、最後は喉か目を狙ってくる。
あの伸びる突きがくる、と。
そして読み通りの突きが伸びてきたところを横に払い、そのまま十手の鉤に引っ掛けて捕った。
言葉にするとたったこれだけだが、簡単ではなかった。
まさかあれほど速いとは思わず、読んでいながら危うく串刺しになるところだった。
技と軌道を予測していたから辛うじて成功したにすぎない。
二度は捕れないだろう。
絶対に逃がさん! と十手を握る右手首を僅かに捻り、棒身と鉤で竹光を固定した。
炎怒はずっと伸縮自在の竹光に苦しめられてきた。
霊だから信じたことはその通りになってしまう。
竹は伸びると心の底から信じた成果があの竹光だ。
竹ゆえの強みといえる。
だが、竹ゆえの弱みもある。
竹と信じている以上、植物の宿命を否定できまい。
植物の宿命は、熱し続けたら燃えて炭になるということ。
赤熱を続ける十手が竹光を無慈悲に焼き始め、すぐに触れている箇所から細い煙が立ち上り始めた。
「なっ!?」
得物に起きる初めての異変。
驚いた惣太郎は必死に振り払おうとするが、固定されていて逃れることが出来ない。
煙は段々太く濃くなり、焦げ臭さが漂い始めた。
「離せっ! 離れろ!」
上下左右に振りほどこうと踠くが、溶接してあるかのように十手が刀身から離れない。
もはや言葉になっていない何かを叫びながら、炎怒の束縛から必死に逃れようとする。
しかし能わず。
惣太郎の霊刀はついに発火した。
長剣を縮めようとするが、燃焼している箇所はもう伸縮不能のようだ。
ずっと竹だから伸びると信じてきたのだ。
炭が伸びると信じることはできないし、いまさら、燃えない竹と念じるのは無理だろう。
最初に燃え始まった箇所は竹炭になってしまった。
「やめてくれぇぇぇっ!」
泣きじゃくりながら、まだ燃えてない部分を縮めようとする。
対する炎怒は相手が後ろに下がろうと横に逃げようと、ぴったりついていきながら熱を伝え続けた。
霊といえども、激しく踠き続けると疲労するのか。
あるいは彼自身ともいうべき竹光の状態が反映しているのか?
惣太郎の足が徐々に鈍っていく。
炎怒は足が止まるタイミングを見逃さなかった。
鉤が外れないよう注意しながら鍔元に向かって十手を滑らせていく。
惣太郎は諦めず、へたり込みたい己を奮い立たせて抵抗を続けた。
しかし抵抗は報われず、引火した竹光自体の熱も手伝って刀身全体にパチパチと燃え広がっていった。
柄を握りしめる幼い指の間から白煙が上った。
おそらく柄の内側は焼けた炭のように熱せられているだろう。
竹光自身が、焼かれていく苦しみを主人に伝え始めた。
「うぅっ……」
それでも手放そうとはしない。
手放したら、武士になる道を諦めることになる……
師と信じたものからは使い捨てられ、愛刀は焼滅の危機。
それでも譲れない惣太郎の武士の意地だった。
炎怒にとってはその意地こそが狙いだ。
炭に変えれば竹の強みが失われる。
確かにそうなのだが、一瞬で引火するわけではない。
熱を伝えるのに時間がかかるのだ。
それも同じ箇所に伝え続けなければならない。
たとえ十手でうまく竹光を捕れても、柄を放されたら鉤から落ちてしまう。
それを拾ってから、改めて高速突きなどやられてはたまらない。
この厄介な竹光を炭に変えている間、炎怒と一緒に握っていてもらわなければならなかった。
問題は惣太郎が付き合ってくれるか、という点だった。
しかし惣太郎は竹光以外使わず、炎怒のみを相手にしてきた。
一度も晴翔に攻撃をしかける素振りを見せなかった。
悪魔になってはいたが、いまも内心は武士なのだ。
武士に拘っているのだ。
その姿勢から、惣太郎はどれほど不利になっても竹光を手放さないと確信した。
そしてそれは正しかった。
おかげで厄介な竹光を焼滅させる時間を確保することができたのだった。
もはやいくら踠いても逃げられない。
今にも焼け落ちそうな心の拠り所を必死に手放すまいと、子侍は耐えるだけで精一杯。
あれほど俊敏だった動きも、ついに止まった。
惣太郎が火傷の苦痛に顔を顰めながら炎怒を見上げると、相手も見下ろしていた。
二人の視線が竹炭を挟んで交差する。
惣太郎の目に映る炎怒の目。
それは獲物の弱り具合を確認し、とどめの刺し時を見計らう狩人の目だった。
一方、炎怒も惣太郎の目を見て確信した。
ついに〈折る〉ときが来たと。
炎怒は十手に込める火力を更に強める。
途端、ゴオオオォォォッと竹炭から豪炎が吹き上がり、惣太郎の上半身を舐め上げた。
「わあああぁぁぁっ!」
炎に巻かれた恐怖で我を失った。
刹那の時、武士の意地より炎から遠ざかりたい衝動が勝ってしまった。
惣太郎は〈武士の魂〉を手放した。
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