第20話「おいた」

 一階へ降りていくことにした炎怒と晴翔。

 廊下を進み、階段を下りていくが、一段下りる毎に身体が重くなっていき、三段目で足が止まってしまった。


 晴翔が降りていくことを拒んでいた。


 霊と身体の関係について説明はした。理解もできただろう。

 だからといって急に恐怖を克服できるわけではない。

 無心になったり、物語の世界に逃げ込めるようになれるものじゃない。


 恐怖や怨念といった根源的なものは強烈だ。

 中途半端な無心や逃避など、容易く破って晴翔を引き戻す。


 自分で言っておいてなんだが、無理な注文だったかもしれない。

 炎怒はそう考えを改めていた。


 そこで方針を変える。

 無心にも物語へ逃避もできないなら無理にやれとは言わない。

 リビングには入らず、入り口で見ていればいい、と。


 気が楽になったのか、身体の強張りがとれた。


「ごめん、炎怒。また邪魔を……」

「気にするな。確かにおっかない親父だからな」


 炎怒のフォローに晴翔の硬い表情が少し綻びた。


 これでいい。

 後は三人の敵意と晴翔が正対しないように、炎怒自身が立ち位置を調整すれば硬直しないはずだ。


 足は再び動き出し、トントンと下りていった。


 一階につき、リビングの入り口手前で晴翔と別れた。


(それじゃ、行ってくる)

(うん……)


 廊下で見送られた炎怒は一人リビングに入っていく。


 そこはさながら法廷のようだった。

 俊道が裁判長で、渡が原告か。

 初恵は……傍聴人か? すくなくとも弁護士役ではなさそうだ。

「そこに座れ!」


 さっき朝食をとったテーブルの空いている席を示された。

 どうやら炎怒は被告人役らしい。


 俊道と渡が隣り合い、初恵は夫と向き合うように着席している。

 初恵の隣が被告人席のようなので指示通りにする。


 原告と被告を向き合うように座らせて、対決させる気なのか。


「いいか、言い訳はいらん。聞かれたことにだけ答えろ!」

「なんでもとはいかないが、当たり障りのない範囲で答えてやろう」


 こんな物言いでは当然俊道が熱り立つので、裁判開始早々、論点がズレていった。


 俊道が激昂して「口答えするな!」と怒鳴れば、炎怒は仰せの通りにシカトを決め込む。

 そんな揚げ足を取ってくる炎怒に我慢ならず、また俊道が暴力に訴える。

 しかし炎怒は読心により……と話が始まらない。


 とうとう初恵がテーブルをバンッと叩いて場を鎮めた。


「いまはそんなことをしている場合じゃないでしょう!」


 乱闘していた裁判長と被告人が席に戻る。

 以後、裁判長は初恵に変更となった。


 俊道は席に着いた後も炎怒に突っかかり、本題が始まらない。

 突っかかってくる内容は晴翔を出せという要求だった。

 初恵も家族の話し合いだからと、そこだけは俊道に賛同する。


 対する炎怒は要求を突っぱねた。

 晴翔を守るという理由だけではない。


 まず事情を知らない渡にもわかるように説明した。

 その上で任務に必要と感じなければ、晴翔を前面に出す気はないと断った。


 急には信じられない告白に渡は困った。

 荒唐無稽な話だが、至近距離のビンタを躱された後なので、馬鹿馬鹿しいと一笑に付すことができない。


 どう判断したものかと悩む渡の思考を遮るように、俊道が怒鳴り出す。


「何が任務だ! うちには関係ないだろ! 晴翔に話があるんだから晴翔を出せ!」


 俊道が一人で怒鳴り散らしているが、話している内容は家族の総意。


 であるならば答えないわけにはいかないか、と炎怒は判断した。

 死者と生者が直接話すことはできない、と前置きした上で晴翔を出さない代わりに一つの提案をする。


「滞在中、晴翔に伝えたいことがあるなら俺が引き受けよう」


 任務中、世話になる礼としてそれ位は良いと思っていた。


 だが、俊道は納得しない。


「晴翔じゃないなら、他人だ! おまえのような化け物は出て行けぇっ!」


 これも剣幕は物凄いが、家族の総意だった。


「いいのか? すぐに補導されて、あんたの虐待がバレるが?」

「自分が悪いくせに何が虐待だ!」

「虐待か躾か、判断するのは警察だな」

「親を警察に突き出す気か!?」

「俺は他人だろ? 家族じゃないなら隠してやる義理はないな」


 再び席を立とうとする俊道。

 また運動するのか、と読心で備えようとしたときだった。


「じゃあ、もう炎怒さんでいい! いまはノートの話です!」


 初恵だった。

 この大人気ない喧嘩を強引に終わらせた。


 立ち上がった俊道は我に帰り、そのまま腰を下ろした。


「渡から聞いたぞ。またあのノートを作っているそうだな?」


 ドンッ!! と左拳をテーブルに叩きつけて声を荒げる。


「あの日、勉強に邁進すると誓って自分で破り捨てたよな? どうして二冊目があるんだ!?」

「叩きのめした上で誓いねぇ……普通に犯罪だと思うが」

「なにっ!!」


 また始まりそうになるので掌を向けて制する。

 こんなことにいつまでも付き合っていられない。

 初恵を見習い、炎怒も強引に本題を切り出した。


「俺は可能な限り、あんた達と穏便にやっていきたいと思っている。だから揉めるくらいなら——」


 ビッ! ビイィィィッ!!


 と、三人の見ている前で日々書き溜めていた晴翔の夢、その二冊目をビリビリに引き裂いた。

 一瞬、手に重さを感じた炎怒だったが、構わず裂き続けた。


 三人は唖然とする。


 もちろん最後はそうさせるつもりだった。

 だが、物事には順番がある。

 まずはこちらの言い分をすべて主張し、全面的に認めさせる。

 その上で罰を執行するつもりだったのだ。


 見守る三人。


 渡はその途中で飽き始めた。

 罰が先に来てしまい、裁判ができなかったことが少々物足りなかった。

 それでもノートの暴露と破壊という制裁目的は果たせたので、もうこの話し合いに用はなかったからだ。


 一方、俊道と初恵は違和感を抱いていた。

 その光景の異様さに、さすがの俊道も興奮が冷めていた。


 初代ネタノートを破棄させるとき、夫婦が立ち会った。

 いつも怯えていて何でもすぐ謝り従う子が、胸に抱き抱えて蹲り、激しく抵抗し続けていた。


 いまは様子が違う。

 まるで不要になった書類を捨てるかのように無表情で。


 まだ破いている最中、堪らず初恵が声をかけた。


「……晴翔。それ、大切なものだったんじゃないの?」

「任務の邪魔になるくらいなら、晴翔の夢だろうと排除するまでだ。第一、物書きを目指していたのは晴翔だ。俺じゃない」


 夫婦としてもそれで文句はない。

 ないのだが……


 昨夜見た鬼の顔と、いま目の前で息子の夢を淡々と破り捨てている光景。


(こいつは晴翔じゃない。何か得体の知れないものと本当に入れ替わったのだ)


 夫婦は申し合わせもなく、同時にそう確信したのだった。


 化け物でも見るように二人が注視している中、渡は事情がいまひとつ理解できない。

 だから作業が終わったとき、皮肉を込めて気軽な声をかけた。


「よっ、ごくろうさん! どんな気分? ねぇ、どんな気分? 本当は平気じゃないんだろ? そういう設定?」


 テーブルに頬をくっつけ、兄の顔を覗き込みながら挑発する。


「渡、やめなさい」

「おまえは黙ってろ」


 これも夫婦同時だった。渡を見ず、晴翔から視線を逸らさないまま。


 その只事ではない雰囲気を感じ取った渡は口を尖らせながらも従った。

 頬を付けていた姿勢を直し、つまらなそうにため息を一つ吐く。


 炎怒が続ける。


「後は勉強に邁進するという話だが、晴翔はもう約束を果たせない。俺は任務があるから勉強している暇はない。ただ——」


 一度、言葉を切り、異論ないか様子を見る。

 二人とも唖然としているのだけなのだが、そこまでについて反対はないと認める。


「晴翔は生前、サボる人間ではなかったようなので、俺も宿題はやろうと思っている。それで良いか?」


 昨夜、俊道が悪魔憑きでないことを確認できた。

 その点は後の二人も心配ないだろう。

 初恵は争いを止める人間。

 渡は自分から手を出してくる愚か者。

 どちらも悪魔憑きらしくない。


 喜手門に来ている悪魔の影響はあるのだろうが、単に荒れている家庭というだけ。

 そういう家庭なら心配ない。


 お互いの事情を理解して干渉しない、良好な関係を構築しておきたい。

 それが炎怒の本心だった。


 夫婦は働かない頭でなんとか理解して首を縦に振ってくれた。


 後、残るは渡だ。

 自分で設けた場だろうに、思い通りの大事に発展しなかったことで興醒めしていた。

 さっきからそっぽを向いたまま、ため息が止まらない。


(こいつは見逃せん)


 炎怒の目の奥が淡く赤熱する。

 いつまでもこうしていられるわけではない。自分も晴翔もあまり時間がないのだ。


 時計を見ると八時を少し越えていた。


 生きている人間にとっては僅かな時間——

 だが、その僅かな時間も晴翔は急速に命を磨り減らしているのだ。

 何かに憑依されるというのはそういうことだ。


 確か自室を出るときに見た時計は「〇七:四〇」位だった。

 つまりこの弟は兄から少なくとも二〇分以上の時間、その時間を生きるための命を奪ったことになる。


 自分の宿題を押し付け、それに従わなかったことへの制裁。

 そんな下らないことのために……


 炎怒がこれから何をしようとしているか、久路乃にはお見通しのはず。

 それが何も言ってこない。

「やれ」ということなのだろう。


 半鬼は地獄の獄卒。

 天使が救済担当なら、半鬼は天罰担当。

 その半鬼に向かって未熟な人間の子供如きが制裁を加える……


 渡は、おいたが過ぎたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る