第17話「親と子」
土曜日もあと五分で日付が変わろうという頃——
何の因果か、他家の親子喧嘩に巻き込まれた炎怒。
散乱したガラスの片付けを終えて、二階への階段を上がっていた。
夜更けの弘原海家。
トントンとリズミカルな音が響くのみだったが、無言で階段を上り続ける炎怒にはずっと晴翔の非難が聞こえている。
二階に辿り着くと迷わず晴翔の自室に入っていく。
記憶を見て確認しているので、うっかり弟の部屋に入ったりしない。
炎怒は扉を閉めると、部屋の真ん中にどっかと胡座をかいた。
向き合うように晴翔も座って睨み合う。
現実的にはこの家の長男が自室で一人、壁を睨んでいるようにしか見えないだろうが……
初手は晴翔。
「家を荒らすな!」
「俺は荒らしてないだろ。『ただいま』と挨拶しただけだ」
久路乃までが、
「いや、炎怒……あれは」
と晴翔に同調する。
「手荒なことは何もしてないだろ。挨拶したらあの親父が勝手に自爆したんだ」
「食器棚に移動していたじゃないか。あれはダメだよ。突っ込ませる気だった」
なんだ、この説教会は……?
晴翔はずっと睨んだままだし、久路乃は晴翔の味方。
避けただけなのに、この言われよう。
不服な炎怒は二人に言い聞かせる。
しばらくこの家を拠点にさせてもらうことになるが、あの調子で干渉されたら任務に障る。
晴翔は普段通りであると調子を合わせてもらわなければならない。
そのために、あの親父の高圧的な態度は改めてもらう必要があった。
そこまで聞いていた晴翔がそこで口を挟む。
「でも、殺そうとする必要はなかったんじゃないか?」
もっともな抗議だったが、どう答えて良いか悩む。
炎怒はちらっと天井に視線を送る。
——どうする? 教えるか? と。
「晴翔君」
「えっと、久路乃さん?」
姿は見えないが、晴翔の中に少女の声が直接響いてくる。
確かに炎怒のやり方は乱暴だったかもしれないが、と前置きした上でその行動の意味を説明し始めた。
霊は憑代が攻撃されると一緒に傷つく。
絶命するほどのダメージを受けた場合、一気に蒸発してしまう恐れがある。
だから憑代が死にそうになったら、そのダメージが伝わる前に離脱する。
「それはわかったけど、なんでうちのお父さんに?」
「確認しなければならなかったから」
——確認? 何を?
炎怒は黙して語らない。
久路乃が続ける。
「俊道さんが悪魔憑きかどうかを」
晴翔の目が驚きで丸くなる。
以前は穏やかだった人が、急に乱暴に……
悪魔憑きの容疑がある。
疑いがある以上、憑代を追い詰めてみて、悪魔が離脱してくるか確認する必要があった。
ハッタリだと悟られないよう、本当の殺気を込めて……
それと炎怒の言うことにも一理ある。あの調子でこちらが何かしようとする度に干渉されては困る。
せめて任務の間だけでも改めてもらわないと。
「もし改めてくれなかったら?」
久路乃が何か言うより早く、炎怒が答えた。
「改めたくなるまで自滅してもらう」
「やめてくれ!」
「なぜだ?」
自分の親を酷い目に遭わせると言われたら拒否するのは当然のこと。
まさか尋ねられると思わず、言葉に詰まった。
答えが出てこないので炎怒は続ける。
さっきのあれは、子を心配する親心でもなんでもない純粋な敵意。
我が子のすぐ後ろに食器棚があるのに、身体ごとぶつけるように殴り込んできた。
避けられずに直撃していたら、その勢いのまま、息子の後頭部をガラス戸に突っ込ませていただろう。
「おまえよく今日まで殺されなかったな」
「…………」
返す言葉がなかった。
確かに近頃の父は頭に血が上ると、一頻り暴れないと火照りが治らないようだった。
最近は命の危険を感じることも。
……でも、
「なぜも何もない! 自分の家族を痛めつけるって言われて黙っていられるわけないだろ!」
「いや、痛めつけるとは言ってないだろ。自滅……」
「同じだよ! とにかくあんなことはしないでくれ!」
金縛りの間も身体と線でつながっていることに変わりはないので、炎怒の状況が伝わってきていた。
晴翔にはわかる。
あの読心を普通の人間が破るのは不可能だ。
炎怒がその気になれば、父など簡単に事故死させることができるだろう。
余計なことを思うな、と注意されているが、そんなことを容認するわけにはいかない。
そんな晴翔を久路乃は良い子だと感心する。
その点は炎怒も同様だ。
しかしそれでは任務に障る。
何かある度に、これは認められる、認められないと判断して腕を掴んでこられては、これから先、不覚を取るかもしれない。
酷いようだが、事実を伝えて注意を厳守させなければならない。
……身体を共有していたのだから、知った上で目を背けているのかもしれないが……
「……知ってるんだろ?」
「——っ!」
何を?
だが晴翔にはそれだけで十分だった。
身体を通して読心の情報を共有していた。
父から見たら晴翔にしか見えなかった炎怒を、どんな気持ちで殴ろうとしていたのか。
晴翔は俊道の心の声を知っている。
俯いたまま黙ってしまった。
まだ一五歳、大人と子供の中間のような存在。
どんなに酷くても、根っこの部分では家族なんだと信じていたかっただろう。
だが、もう諦めてもらわなければならない。
「おまえのような奴が息子で不本意だ——」
バッと音が聞こえてきそうな勢いで耳を塞ぐ晴翔。
残念ながら無駄な行為だった。
霊同士の会話は口を開いて話の形をとるが、そのほうがイメージしやすいからそうしているだけだ。
念話で意思疎通をするので本当は口を開かなくても会話できる。
第一、霊には声帯も鼓膜もないのだから人間のような話し方はできない。
現在の晴翔も霊。
耳を塞いで人間のように音を遮断することはできない。
炎怒は晴翔の霊体に直接念話を送っているのだから。
どうしても聞きたくなかったら、無心になるか、あるいは言われた通り、物語作りに逃げ込むしかない。
どちらもしない晴翔に炎怒の容赦ない言葉が降り注いだ。
「読心で聞くまで親父の気持ちに気づかなかったなどと、言い訳はするなよ?」
晴翔は耳を塞ぐだけでなく目もギュッと瞑って耐える。
……それも無駄な抵抗だが。
「おまえは既に知っていた。知らなかった者がどうして今日俺に、家族の一員として居場所がない、と語れたんだ?」
言葉を一旦切るとすすり泣きが聞こえる。
子供に向かって残酷な話だが、続きを話さなければならない。
「居場所がないと思い知ったからおまえは山に登り、そこで俺たちは約束を交わした。こちらは必ず約束を守る。だから——」
涙を拭う晴翔。
その続きを聞くために目を開き、耳を塞ぐ手を下げた。
「おまえも約束を守ってくれ。任務への干渉は今日を限りにやめてくれ」
目を伏せて少し考えた後、コクンと首を縦に振った。
その様子を見て久路乃と炎怒は安堵する。
心を抉るようなことを言いたくなかったが、これからも今日のように俊道が襲いかかってくることはあり得る。
そのときに後ろから炎怒を止めようと縋りつかれては、憑代を破壊されてしまう。
炎怒にも晴翔にも良くない。
気の毒だが、もう死んでいるはずの時間なのだ、ということを真に理解してもらう必要があった。
話し合いが終わると時計は「〇〇:一〇」を差し、日曜日になっていた。
炎怒は身体をベッドに潜り込ませたところで晴翔と交代した。
なぜ身体を返したのか、困惑する晴翔。
再び細い白煙を立ち上らせながら炎怒は疑問に答えた。
いくら身体に寄り添っていようと霊体がずっと外に出ている状態は良くない。
夜は身体も霊体も休むべきだと。
聞き終えると納得したのか、疲労の限界だったのか、すぐに寝息を立て始めた。
炎怒は傍で胡座をかいて静かに窓の外に広がる星空を眺める。
時々、自分の霊体から上昇していく白煙が、ゆらゆらとその眺めを遮る。
晴翔と違い自分の身体ではないから、外に出ればすぐに少しずつ蒸発が始まってしまう。
だが身体に入っている間に命を補給させてもらったので、朝まで待つことは問題ない。
(人の命を吸って永らえている時点で悪魔と変わらんな)
と半鬼が独り言ちながら、長い土曜日は終わった。
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