第5話「景品」

 炎怒は二〇代後半位の男性の姿をしており、半鬼なので左額の生え際から白い片角が伸びている。長さは大人の人差し指ほどか。

 肩まで伸びている髪は真っ白で、毎日風雪に晒されてバサバサだった。

 肌も真っ白だ。色白なのではない。本当に雪のように白色なのだ。

 そんな首から上に対して、着ている膝までのコート、手袋とブーツ、それらすべてが黒なのでまるでモノクロ映画の登場人物のようだ。

 白と黒で構成されている彼の姿の中で、唯一、目の虹彩だけが名に因んで炎のように赤かった。


 彼は任務がないとき、極寒地獄の獄卒を務めている。


 獄卒の仕事は地獄で荒れ出した悪人を鎮めること。

 鎮め方は説得……で済むことは少なく、悪人も獄卒も基本的に手荒いのでどうしてもそういうやり方になってしまう。

 ……実力行使とか。


 しかしここの獄卒の仕事は他所とは異なる。

 この地獄で荒れる悪人はいない。だから他所のように鎮圧する作業はない。

 正確には荒れるほどの猶予がないというのが正しい。

 何しろ入ってきたらすぐに冷凍されてしまうので……


 ただ銀世界とはいえ、そこに住む者にしかわからない通り道がある。

 そこで氷像になられると邪魔なので、氷精がいなくなった後、往来の邪魔にならない場所へ退かしていた。


 だからここの獄卒の仕事は見回りと運搬が主だった。


 炎怒は普段、吹雪の岩山の洞穴に住んでいるが、風に乗って悲鳴や墜落する音が聞こえてくる。

 そうすると務めを果たすため、洞穴から出発する。

 走らず、散歩でもするような足取りで向かえば、到着する頃には氷精達も解散している。

 後は氷像が通り道にあれば退かし、そうでなければそのままにして洞穴に帰る。

 それが日課だった。


 今日も墜落音が聞こえてから洞穴を出発した。

 直前に聞き覚えのある悲鳴も聞こえたような気がするが、おそらく気のせいだろう。

 別に救助しに行くわけではないのだから、急いで行く必要はない。


 到着するとまだ氷精達が騒いでいる最中だった。

 まだ頑張っていたか——と感心して見守る。

 時々、活きのいい奴が来るので終わるまで邪魔しないことにしている。


 どうせこんなところに来るような奴は悪い奴か嫌な奴のどちらかだ。

 面倒だから両方凍ればよいと思っている。


 遠くから見守っていると、氷精達の隙間から襲われている奴がちらっと見えた。

 どんな奴だろうと興味が湧いて、よく見ようとする。

 するとさっきより大きく隙間ができたので、今度はしっかり確認できた。


 久路乃だった。


(ちっ……悪い奴じゃなくて嫌な奴の方だったか……)


 見なければ良かったと後悔したが、見てしまった。

 さて、どうしよう……


(見なかったことにして帰るか?)


 氷精が騒いでいるのに獄卒がやってこなかったというのは不自然だし、後で職務怠慢とか煩いことを言われそうだ。


(……助けておくか)


 こうして気は進まないが助けることにし、氷精達の注意を引くために発熱し、追い払ったのだった。


「新しい罪人かと思ったら、あんたかよ」

「助かったよ。ありがとう」


 礼を言われながら炎怒は彼女の後方上空が視界に入った。

 墜落した理由がわかった。今日は風の壁がいつもよりずっと南に発生していたのだ。

 だが素直に大変だったね、などとは言わない。


「なんであいつらと遊んでたんだよ?」


 と言う炎怒にムッとしながら久路乃は空を指差して反論する。


「見なさい。こんなに南に発生したの初めてでわからなかったの!」

「不勉強だな。周りを見てみろよ」


 と、顎でクイっと周囲の氷像達を指す。


 氷精達は風の壁の下によく集まっている。

 氷像があちこちに転がっているということは、久路乃が遭遇しなかっただけで、昔からこの辺りにも風の壁が発生していたのかもしれない。


 確かに不勉強だったかも、と言葉に詰まりかけるが、すぐに本題を思い出した。

「そんなことより神殿に急がないと、炎怒!」


 言い終わるや否や炎怒の右手を掴み、引っ張るように南へ駆け出した。


「自分で走るから離せ! 俺に触るな!」

「うるさい! 時間がないの!」


 それだけで何の用事で来たのか、とは尋ねない。

 慌ててくるときは任務だ。わかっている。

 それ以外に天使が来るときはない。


 久路乃は強引に引っ張りながら来た道を戻り、壁の下を通り過ぎると黒コートの両肩を掴んで上昇した。

 炎怒はそれが気に入らない。


「離せっ、離せーっ! こんな運ばれ方は嫌だ!」


 逃れようとジタバタ暴れるが、空に上がった久路乃は気にしない。


「お願いだからじっとしてて。じゃないと落としちゃう」


 チラッと下を見るとすでにかなりの高さまで上昇しており、さっきまで自分達と同じくらいの大きさだった氷像達が点にしか見えなくなっていた。


 霊は不滅かもしれないが、それは痛くも痒くもないという意味ではない。

 この世なら落下しても何ともないが、あの世では普通に痛いし、怪我もする。

 新雪とはいえ、この高さから落ちたらさっきの久路乃のようになるだろう。


 炎怒は観念した。


「そうそう、大人しくしてて。そうすればすぐ着くから」

(くそっ、納得できん……!)


 そんな彼のイライラを雪と風が優しく、他人事のように冷たく吹き流していった。


 その後、空の道行きは順調に進んだ。

 吹雪を抜け、緑の山々の上空を飛ぶ。

 爽やかな空気の中、炎怒は無言で目を瞑っていた。

 その様はまるでクレーンゲームの景品のよう。


 運んでいる久路乃からは顔を見ることはできないが、どんな表情で耐えているかは容易に想像できるので思わず苦笑する。

 怒れる景品を落とさないよう注意しながら空輸は続く。


 眼下に村や都市が少しずつ増えてきた頃、見慣れた光景に安心した久路乃は徐々に高度を下げながら、今回の任務について説明を始めた。

 喜手門市のこと、相手の人数、悪魔の反応が妙なことを。


 怒りに耐えて目を閉じていた炎怒だったが、真面目な話が始まったので目を開いて聞いた。

 しかしそれが良くなかった。


 ちょうど村の上を通過中に村人数人が炎怒を指差して笑っているのが見えた。

 無理もない。確かに面白い光景なのだから。

 だが、一人の村人と目が合ったとき、炎怒がキレた。


「思い知れ」


 突然目が合った村人の衣服が燃えだした。更に隣で一緒に指差していた村人も。


「!? 何してるの、やめなさい!」


 炎怒の仕業に気がついた久路乃が急上昇する。

 急速に小さくなっていく地上では燃え上がる衣服を脱ぎ捨てる二人と、それに気づいた他の村人達が集まって消火している様子が見えた。


「一体どうしたの!? なんであんなことするの!」


 雲の上まで上昇して落ち着いたところで炎怒を問い詰める。

 が、返事はなかった。


 仕方がないので久路乃はその高度を守って飛行を続けた。


 こういうことがあるから神殿の近くに居住区を作ろうという話にならない。

 任務もそうだ。すべてを彼らの自主性に任せたら大変なことになる。

 悪魔を退治しても半鬼がこの世を滅茶苦茶にしてしまっては意味がない。

 だから後見が監視や後方指揮に付かなければならないのだ。

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