第26話「火の粉」
炎怒は太田の首に手を伸ばし——
首筋に指を当てて脈をみた。
(なんだ……脈か……)
晴翔は直立したまま、ホッと肩から力が抜けた。
炎怒のことだからトドメを刺すのだとばかり……
ただ、脈をとるにしては長いことが気になった。
ちょっと触れればすぐに見つかるはず。
胸も上下しているのだし、生きていることはすぐにわかる。
脈拍数でも測る気か?
でも、何の関係が?
疑問に思っていると、何かを終えたように炎怒がスッと立ち上がった。
同時に金縛りが解けた。
「ごめん。邪魔するつもりじゃ……ただ、炎怒が……」
晴翔の言い訳には反応しない。
ただ、太田をじっと見下ろしている。
(なんだ? 太田に何かあるのか?)
だが何も言わず、非常階段を下りていった。
拍子抜けした晴翔だったが、後を追いかける。
「炎怒?」
「悪魔憑きだったかもしれないのに、不用心だぞ」
炎怒を追い抜いて太田に駆け寄ったことだ。
「ごめん……ん? 『だった』?」
「ああ、ハズレだ」
炎怒は霊なので尋ねずとも相手のことが大体わかる。
しかし触れることで相手の心の中をより詳しく見ることができる。
だから生きていることを確認しながら太田の中に悪魔が潜んでいないか、探っていたのだった。
「別に脈拍数を測っていたわけじゃないぞ」
「うっ……」
思っていたことを指摘されてしまった。
晴翔は話を変えた。
「炎怒って本当に強いんだね」
「は?」
昨日は父を撃退し、今は太田を撃退。
自分では絶対に勝てない二人に圧勝している。
晴翔は興奮気味に炎怒を褒め称えた。
しかし炎怒は喜ぶでもなく、冷淡にその興奮を指摘する。
「また強い感情が出てるぞ」
「あ、ごめん……」
注意されて興奮は静まるが、炎怒に対する絶賛が止まらない。
よほど太田に対して悔しい気持ちを抱いていたのだろう。
それが目の前でのされたのだ。
有頂天だ。
「あいつらが勝手に自滅しているんだから、おれの強さではないだろう」
「それが凄いんだよ! いいな〜 僕も読心が使えたらな〜」
ああ、そのことか——
と、ようやく晴翔が何を褒めているのかわかった。
だが、読心は事前に読めるというだけ。
回避方法まで示してくれるわけではない。
首を傾げている炎怒に気づく。
「僕、何か変なこと言った?」
「おかしなことを言う」
今回は晴翔がいつ硬直するかわからないので、用心して使うことにした。
使っておきながら説得力がないかもしれないが、あんな大振りで雑な攻撃は読心に頼らなくても避けられるだろう。
晴翔は大笑いをした。
「それができれば、いじめられてないよ」
炎怒にしかあんな真似はできない、と笑いながら聞き流した。
怖いから身体が硬直してしまう。
硬直しているから避けられずに暴力をまともに受けて更に恐怖が深まる。
悪循環だとわかっている。
でも、いざ絡んでこられると、やっぱり怖くて攻撃から目を背けてしまう。
見ていないのだから、避けられるはずがない。
炎怒は怖い思いをさせる側。
恐怖で動けなくなる人間の気持ちがわからないのだ。
不思議がる炎怒を晴翔は苦笑いしていた。
***
月曜日朝七時、弘原海家——
日曜日にあれほど荒れた弘原海家だったが、変わらず規則正しかった。
全員リビングへ集まり、七時丁度に朝食が始まった。
黙々と食べているのは昨日と同じなのだが、なんとなく空気が違う。
昨日までの無言にタイトルをつけるなら「不機嫌」——
今日の無言は、「不穏」と名付けるのが相応しいだろう。
炎怒も出された朝食に「いただきます」と一礼した。
茶碗を手に取りながら、それとなく視線を一周させる。
炎怒の前に座る初恵は目を伏せて静かに食べている。
初恵の隣に座っている俊道は今日もスプーンで大変そうだ。
お大事に、と心の中で呟いておいた。
炎怒の隣に座る渡——
渡は、顔が腫れ上がっていて口が開きにくいようだった。
あの後、逆上した俊道に滅多打ちにされたのだろう。
お気の毒に、と心の中で呟いておいた。
太田と別れた後、商店街を離れて、夕方まで市内を見て回った。
残念ながら悪魔の痕跡は見つからなかったが、調査一日目としてはまずまずだった。
それも渡が両親の注意を引き付けておいてくれたおかげだ。
これからも頑張って耐えてもらいたい。
「晴……炎怒さん」
初恵だった。
食事中の無駄口は俊道が怒るので、大事な用件だろう。
茶碗と箸を置いて、初恵の方を向く。
「渡は今日、学校を休みます」
「そうか」
当然だろう。この顔で外に出たら色々問題になりそうだ。
しかし三人の問題であり、炎怒が了解しておく必要はないことだ。
(なぜ俺に?)
と考えていると、これからが本題だった。
「それで、晴翔の学校は——」
昨日の夕食後、晴翔の自殺の理由を尋ねられたので、この家と学校のいじめが原因であることを明かしていた。
二人ともいじめに憤慨し、学校に怒鳴り込むと息巻いていたが、やめさせた。
学校や会社、商店街など、様々な人間の念が渦巻いているところは手掛かりが見つかる可能性が高い。
霊査のために、晴翔の良い状況も悪い状況もなるべく変えたくないのだ。
初恵はいま晴翔と交代しているという炎怒がどれだけ強いか知っている。
俊道は身をもって体験した。
気弱な息子とはまったく違う。
だが、周囲はそうは見ない。
特にいじめているという生徒たちは特に……
それ故の確認だった。
晴翔をそんな学校に行かせて大丈夫なのか、と。
「問題ない」
別に答える必要もない相手。
炎怒の答えは素っ気ない。
話は終わりだ、と置いていた茶碗と箸を取る。
「…………」
聞きたいのはそんな言葉じゃない、と初恵の沈黙が反論している。
俊道も苦虫を噛み潰した顔をして、こちらを見もしないが、初恵に同意なのだろう。
(面倒臭い一家だな)
炎怒は溜め息を吐く。
一家から追い出した落ちこぼれ——
山で首を吊ろうが、学校でいじめられようが、関係ないだろうに……
しかし任務は始まったばかり。
まだ誰が悪魔の憑代か見当もついていない以上、しばらくは弘原海晴翔の日常を続けて周囲の様子を見たい。
そうなると弘原海家とはなるべく友好的になっておいたほうがいい。
炎怒は仕方なく、再び食器を置いた。
夫婦のためというより、炎怒自身がどうせしなければならないことではあった。
「俺も憑代が壊されると不便だから、火の粉が飛んできたら回避するつもりだ」
俊道は一瞥し、無言のままスプーンを口に運ぶ。
幾分、不機嫌顔が和らいだか?
初恵はもっとわかりやすく安堵する。
「そう。それなら安心だわ。早くて食べていってらっしゃい」
その後は特に会話はなく、普段通りに朝食が終わった。
俊道は会社へ。
炎怒は学校へ。
渡は……さあ?
自転車を公道に出し、ペダルを踏み込むとスーッと走り出す。
自分が漕ぐ自転車の後ろに二人乗りをする晴翔。
一〇月の朝の空気がひんやりとしていて身が引き締まる。
……身は貸していて、いまはないのだが……
なんとなくそんな気分に浸りながら駅を目指していた。
「そういえば、炎怒」
「ん?」
久路乃だった。
晴翔にも聞こえたので、見るとはなく上を見る。
「『炎』怒が火の粉を回避するの?」
「あぁっ!?」
晴翔は忘れていた。
この二人が喧嘩ばかりしているのを。
せっかく朝の爽やかな空気を味わっていたのに。
ぶち壊しだよ……と溜め息を吐く。
「そうやって気が散ってるからいつも見落とすんだよ。いまもでっかい反応を見逃してんじゃねーだろうな!?」
「朝からやめなよ、二人とも!」
仲裁しながら晴翔は思った。
——無心って、なんだっけ?
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