十一章 海の迷宮 3

 *


 意識がもどったとき、蘭は変な場所にいた。


 波の音が異様に高い。まるで、すぐ耳もとに波が打ちつけているかのように。ごうごうと、とどろきわたる。


 あたりは薄暗い。

 だが、何も見えないというほどではない。


 目をあけた蘭は、ゾッとした。

 自分のいるところが、とんでもない場所だと気づいたからだ。


 岩場に寝かせられている。

 ただし、ふつうの岩場じゃない。


 岩棚だ。

 げんみつに言えば、穴の底の岩棚。

 一メートル四方の穴の途中に、とびだした岩棚があり、そこに寝かせられている。しかも、岩棚の切れめから、下が見えている。


 四、五メートル下だろうか?

 海水が、たぷたぷ、ゆれている。

 水深はかなり深そうだ。


(竜神のほこらだ!)


 自分のいる場所が、瞬時に理解できた。

 蘭は今、竜神の洞くつの、ほこらのなかの縦穴に寝かされているのだ。


 今日は祭りで人目がある。

 だから、人が出入りする前に、ここに隠したのだろう。


 あるいは、すでに、これは捧げられているのだろうか?


 溺死した咲良という巫女のことを思いだす。

 あの子も、ここに投げこまれて……?


 でも、今、蘭はしばられていない。手足が自由だ。これなら、ここをよじのぼって、外へ出ることができる。


 そっと体を起こし、立ちあがってみた。穴のふちが、うっすら見える。

 岩棚から、そこまで、三メートルだろうか。蘭の身長が百七十弱。決して、よじのぼれない距離じゃない。体力も多少、もどっている。かゆとリンゴを食べたことが大きい。月に二、三度、ボルダリングで遊んでいる。のぼれる自信はあった。


 そのとき、遠くのほうで音が聞こえた。波音にかきけされて、はっきりしないが、太鼓たいこの音のようだ。


(祭りだ。祭りのさいちゅうなんだ)


 今なら、助けを求められる。


 蘭は勇んで、岩かべのでっぱりに手をかけた。腕の力で体を持ちあげる。

 しかし、やはり、いつもと同じ体ではなかった。いつもなら、数分でのぼれる距離が、なかなか進まない。

 室内用ボルダリングと、天然岩の違いも大きい。少なくとも室内用ボルダリングでは、足をかけた場所が、ふいに、くずれることなんてないし。


 そのあいだに、むじょうに太鼓の音は遠のいていく。

 儀式が終わったのだ。

 島の男たちは洞くつから出ていこうとしている。


「待って、助けて! 誰か——猛さんッ!」


 さけぶが、声が思うように出ない。


「誰か、助けてッ——行かないで!」


 ようやく、のぼりきったとき、太鼓の音は消えていた。タッチの差。白いハッピを着た最後の一人の背中まで見えたのに。


 格子戸をあけ、蘭は体をのりだした。

 キャーと悲鳴があがる。

 女の子が一人、祭壇の前にいた。


「巫女か。君、加納さんとこの子じゃない?」


 海歌だ。

 蘭をほこらから出てきた竜神だとでも思ったのだろうか?


 竜神……ささげもの……海から来た人——


 なんとなく、いろんなことが脳裏にゴチャゴチャと浮かんでは消えていく。


 今、何か、とても重要なことをひらめきそうになったのだが……?


 でも、疲労が深い。

 蘭はその場にすわりこむと、海歌にたずねた。


「ケータイ持ってない? それで、お父さんを呼んでくれないかな」


 海歌は首をふった。


「ここ、電波、こないから」


 なるほど。ケータイを持っていても無意味ということか。


 では、朝まで、ここで待つしかないのか?

 いや、今なら、まだ追いかけていけば、外の人に助けを求められるかもしれない。早くしないと、潮が満ちると、このあたりまで海水が来る。


「君さ。お父さん、呼んできてくれない? 入口から手をふれば、来てくれるだろ?」


 海歌はうなずいた。

 だが、なかなか動こうとしない。


「どうしたの?」


 たずねると、うなだれる。

「さくら姉ちゃんは、なんで死んだの?」


 なぜ、今でなければならないのか。

 蘭には甥も姪もイトコの子もいない。まわりに小さい子がいないから、理解に苦しんだ。


「そんなこと知って、どうする?」


 おれは、クタクタなんだよ。早く行けよ——と思っていると、今度は急に泣きだす。


「あたしのせいかな? あたしが、あんなことしたから?」


 ようやく、蘭も気づいた。

 この子は、とても重大なことを打ちあけようとしているのだと。


「咲良の事件で、何かやったんだね?」

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