五章 にえの伝説 1



「じゃあ、昼には帰ってきますので。行ってきます」


 僕らは一家の主婦、和歌子さんに、あいさつして、今日も外へとびだす。


 加納家の大きな門を出たところで、またもや、戸渡さんに会った。

 でも、ひとめ見た瞬間に、僕は、なぜか衝撃を受けた。それは言葉にはできないたぐいの、説明のつかない衝撃だ。

 なぜか、一瞬、まったくの別人のような気がしてしまったのだ。見直しても、戸渡さんに間違いないんだけどさ。


「あ、あれ……? 戸渡さん?」


 声をかける(というより、思わず、つぶやいた)僕を、戸渡さんはふりかえる。だまって、じっと見てるけど、なんなんだ?


 猛も、なんとなく、ハッとしたように見えたのは、僕の気のせいか?


「ああ……おはよう」と、やっと、戸渡さんは応えた。


 でも、いやに僕らを……蘭さんを凝視してるなあ。ぼうぜんとしてるように見えるんだけど。いまさら? 昨日も、おとついも会ったよね?


 まじまじと観察して、やっと僕は気づいた。

 戸渡さんって、こんなにハンサムだったっけ?——と思えば、昨日までの無精ヒゲが、きれいさっぱり、そりおとされている。


「なんだ。ヒゲ、そったんですね。だから感じが変わったのか! 戸渡さん、けっこうイケメンじゃないですか。見違えちゃったなあ」


 うちの猛のほうが、もっとイケメンだけどねぇ。えへへ。


 戸渡さんは僕らと加納さんの屋敷を見くらべる。


「君たち、ここから出てきた?」

「なに言ってんですか。僕ら、ここの親せきだって、昨日、言ったじゃないですか」

「ああ。そうだったね」


 すると、猛が僕の腕をつかんで、グイっと、ひっぱった。


 えっ? なんだ?——と思って、かえりみると、猛の目つきが怖い。


「たける……?」

「ジャマしちゃ悪い。行こう」

「えっ? ジャマって、なんの……」


 しかし、うむを言わさず、ひきずっていかれる僕だった。


 蘭さんも、ふしぎそうな顔で、ついてくる。


「どうかしたの? 猛さん」


 猛は、にぎりこぶしで考えこんでいる。

「……いや、気のせいだと思う」


 気のせいねぇ。そんなふうに見えなかったけど?


 僕らは、とりあえず、坂をおりていく。

 もと網元のうちは、やっぱり島のなかで、いいポジションにある。大きな舗装された坂道をくだれば、すぐにフェリー乗り場や漁港のある海へ出る。

 竜神のほこらのある洞くつへの岩場へも近い。


 まだ考えてる猛に、僕はたずねる。


「伝説って、どうやって調べるの? 言っとくけど、このへんのお年寄りは口かたいよ」

「そうだな。蒼太をさがしたほうが、あんがい、近道かもな。蒼太の生い立ちがわかれば、竜の申し子の由来もわかる。そこから伝説じたいにも、たどりつけるかもしれない」


「じゃあ、ノラ猫さがしですね」と、蘭さん。


 今日もムダに歩くことになりそうだなぁ……。


「どうやって、さがすの?」

 ため息つきながら、僕が聞くと、

「蒼太に対しては、島民に箝口令がしかれてると見たほうがいい。こういうのは、意外に、外の人間に聞くのがいいかもな」


「外の人間って?」

「島の外から来た人間だよ。外から来て、いついてる」

「戸渡さんとか?」


 猛は首をふる。


「南絢子さん。あの人、外から嫁に来たんだろ。それに、娘のかたきはとってほしいはずだ」

「あの人は咲良さんのことは事故だと思ってるよ」

「たとえ事故でも、原因をはっきりと知りたいはずだ。それが親心だろ」


 たしかに、猛の言うとおりだ。

 僕らは二日続けて、溺死した女の子の家に行くことになった。

 つまり、道すじは昨日の朝と同じ。

 途中で、岩場におりる絶叫ものの階段のあたりへ出る。


 そのとき、崖の下をのぞいたのは、蘭さんだ。蘭さんはムダにドキドキするのが大好きだからね。高いとこから下をのぞくことじたいも楽しいだろうし、ましてや、そこが変死現場の近くとわかれば、さらに楽しいだろう。


 ところが、うれしそうに下を見てた蘭さんが、急に変なことを口走った。


「僕の視力にまちがいなければ、あそこに桃太郎がいる」


 急に何を言いだすんだ?

 いくら、ここが鬼ヶ島みたいな孤島だからって、おとぎ話の主人公に、そのへんをウロチョロしてもらっちゃ困る。


 僕の顔を見て、蘭さんは、くすっと笑った。色っぽいから、やめてください。そういうの。


「こっち来て、見てくださいよ」


 手招きするんで、僕と猛は歩いていった。崖の端から岩場をのぞく。


「桃太郎なんかいないよ?」

「あそこですよ。よーく見てください」


 蘭さんの指さすのは、かなり洞くつに近いあたりだ。

 ここからだと遠いなあ。


「いないよ。人影ない」

「人じゃないです」


 人じゃないのに、桃太郎?


 とつぜん、今度は猛が「あッ」と声をあげる。


 いたのか? 桃太郎。

 僕にだけ見えない桃太郎……。

 ん? 桃太郎……桃ちゃん……。


「えっ!まさか? 桃太郎って、僕の桃ちゃんのこと?」

「それ以外の何があるんですか」


 蘭さんは、ちょっと、あきれて、僕を見た。

 やめて。あきれないで。僕たち、友達だよね?


 蘭さんの示す指のさきを、目をこらして、ながめる。

 ようやく、僕は見つけた。


 いた! ほんとに、僕の桃ちゃんだ。

 昨日、竜神のほこらのなかに落っことしたはずの桃太郎のマスコットが、岩場の溝のなかで、ぷかぷか海水に浮かんでる。


 そうとう遠いし、モノが小さいんで、見わけるのは至難の技だ。でも、色あいや形から、かろうじて、そうじゃないかと連想はできる。

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