九章 海から来た人 1



 八月十三日。盆初日。

 たいていの人が休みだから、こういう日は調査がしやすい。


 ことに盆は、正月と違って、家にいる人が多い。

 あるいは里帰り。

 岡山なら、帰省客を迎えるがわだ。


 猛は、ある人物の過去について調べていた。


 現在、その人物は東京に暮らしているという。

 仕事は、どうやら芸能関係だ。

 ——というのは、昨夜、会った高校の担任の話だ。高校卒業後、何度か年賀ハガキが届いたという。が、それも今は、とだえている。


 担任から、今でも交友のありそうな友人を何人か聞いていた。

 そのうちの一人が倉敷に住んでいる。しかも、その人は竜ヶ島の出身だ。つまり、猛の調査している人物の幼なじみである。


 公衆電話から連絡をとると、その人物は幸いにも倉敷にいた。今年は島には帰らない予定だという。


 倉敷の駅前の喫茶店で会う約束をした。

 薫や蘭がいれば、きっと、倉敷に行くなら美観地区を見物に行こう、と言いだしているところだ。


「なに言ってるんだ。調査中だろ。事件が終わってからな」

「いいじゃん。どうせ、帰りのフェリーまで時間あるよ」

「そうですよ。なんのための僕のこのバックパッカーコスプレですか。観光地ほど、ふさわしい場所はないですよ?」


 なんていう会話が、そくざに脳裏に浮かぶ。たまに一人になると、なんだか、あのにぎやかさが、なつかしい。たった一日、離れているだけなのに。もう、さみしいだなんて、自分に笑ってしまう。


 今ごろ、ちゃんと留守番してるだろうか?

 ちょっと目を離すと、すぐに危険なめにあってるから、どうも心配だ。


 それでというわけでもないが、岡山から倉敷まで、特急で移動した。各駅停車では三十分もかかってしまう。午後三時半にはフェリーが出港するから、それまでには乗り場についていたい。


 急に一人で、こっちに来てしまったから、きっと薫や蘭が怒っているだろう。二日も、ほったらかしにはできない。


 倉敷につくと、約束の喫茶店に直行した。深いコーヒーの香りが店内をつつむ。


 相手は三十代の男——と思っていたので、こっちを見て手をあげた人を見て、少しとまどった。

 女だ。ナチュラルメイク。感じのいい、おとなしめの服装。美人とは言わないが、品のいい専業主婦風。


「門脇さんですか? 門脇……隆さん?」


 問いかけると、女性はさわやかに笑った。


「ごめんなさい。主人は昨日から熱があって。お電話のあと、ダウンしてしまいました。わたしに行ってこいって言うんですよ」

「はあ……」


 正直、友人の話を聞けないなら意味はないのだが。

 すると、それを察したように、門脇の妻が言った。


「わたしも主人たちと同じ高校でした。だから、お話はできると思います。主人からも、いろいろ話を聞いていますし」

「そうですか。それなら、聞かせていただきます。東堂です。よろしく」

「わたし、夏美です」


 猛が同じテーブルの向かいにすわると、夏美は、とつぜん、くすくす笑った。


「想像してたより、ずっとイケメンなんですね。ビックリしました。どこの俳優さんが入ってきたのかと思って」

「よく、ひとめで、おれだとわかりましたね」

「もちろん、わかりますよ」


 たぶん、Tシャツのロゴのせいだろう。蘭とおそろいの“I LOVE KYOTO”ちょんまげバージョン(背文字が、ちょんまげ)だからだ。

 京都の探偵社から調査で来たと電話で告げてある。


 猛はキリマンジャロをたのむと、さっそく話に入った。


「知りたいのは、島村陽一さんのことです。あなたがた夫婦の高校時代の友人ですね?」

「そうです。わたしは違うクラスでしたが、主人はクラスも同じでした。かなり仲がよかったですね。島村さんの何が知りたいんですか?」


「最近に島村さんに会ったことがありますか?」

「いいえ。最後に会ったのは、わたしたちの結婚式のときですね」


「何年前?」

「十三年……ですね」


 夏美は指折り数えて、そう答えた。


「では、今、会ってもわからないですか?」


 たずねると、夏美は、ちょっと笑う。


「わかると思いますよ。島村くんは、すごくハンサムだったから。たとえば、百キロ太ったとか、性転換したとか、そんなんでないかぎりは、わかると思います」


「なるほど。かなりの美少年だったそうですね」と、まるで自分は見たことないかのようにたずねる。


「もう、すごかったですよ。学校中の女の子が、キャーキャーさわいでたくらいだから。あなたもハンサムだけど、だいぶタイプが違いますね」


「どんなタイプでしたか?」

「ちょっと言葉で説明しづらいんだけど、神秘的な感じでした」


「海から来た竜神の申し子のような?」

「そうそう。そんな感じ」

「学校での評判は、どうでしたか?」


 夏美の表情が、ほのかにくもる。

 猛ほど、するどい観察者でなければ気づけないほど、かすかに。


「べつに、ふつうでしたよ。顔がよかったから、女の子には、すごくモテたけど。成績とかは普通で。とくに目立ったことをするわけでもなく」

「それはモテたでしょうね。そんなにハンサムだったなら。あなたも、あこがれたくちですか?」


 結婚して十三年になる人妻が、ほんのり顔をそめた。ちょっぴり憂いをふくんだ目で。


「ええ。まあ。少し。でも、ほんとに、ただのあこがれです。今は主人と結婚して、ほんとによかったと思ってるし」


 あこがれていたが、ふられた——そういうことなんだろう。


「けっこうハデに遊んでたほうですよね? 女の子をとっかえひっかえしてた。そうでしょ?」

「……そんなウワサは、聞きましたね」


「そのころ、島村さんとつきあっていた女の子を知りませんか?」

「さあ。わたしは、そこまでは……」


 つかのま、夏美は考えた。


「そういえば、変なウワサはありました。ずいぶん年上の女の人とつきあってるとかなんとか。つきあってるというより、お小遣いをせびる相手みたいな? 本命は別にいたんですよ。同じ島の出身の女の子がいて。その子以外は、けっきょく全員、浮気だったんですよね。ただ、向こうから告白してきたからとか、そんな軽い感じで」

「なるほど」


 あるいは夏美自身、ちょっと、つきあって別れた女の子の一人だったのかもしれない。


「その年上の女の人の名前がわかりますか?」


 夏美は首をふった。


「本命の女の子は?」

「わかりません。学校が違ってたみたいです」


「島での評判は?」

「それは主人に聞かないと。でも、主人が前に、こんなことを言ってました。『陽一のせいで、竜が増えたんだ』……だったかな。そんなようなことを。酔ってたから、要領を得なかったんですが」


 思ったとおりだ。

 やはり、島村陽一は……。


「ちょっと、失礼します」


 ことわって、猛は席を立った。

 ボストンバッグを持ってトイレに入る。個室に入り、カギをかけた。バッグをあけ、なかからポラロイドカメラをとりだす。


 確認のために、あの人物の写真がほしい。しかし、現物がない。奥の手を使うしかない。


 猛の持つ秘密の特技だ。

 この秘密を知ってるのは、今のところ、弟の薫と蘭、そして、三村鮭児の三人だけである。


(少し、もったいないんだけどな)


 ふつうに撮れたら、それでいいだけの写真だ。このくらいのことで特殊能力を使うのは惜しい気もする。

 この能力は、一日に三度までしか使えない。動力が静電気らしいのだ。

 猛の静電気体質は、このせいだ。体内にたまった静電気を使いきると、能力が発揮しない。


 とはいえ、背に腹は変えられないので、ポラロイドカメラに念をこめる。

 フラッシュが光った。

 専用フィルムが吐きだされてくる。


 それには、一人の人物が写っている。

 そこにはいない人。

 遠く離れた、瀬戸内海の孤島にいる人物が。


 猛の能力は、念写だ。

 離れた場所にいる人を撮ることもできるし、過去や未来を写すこともできる。回数がかぎられているから、本当に困ったときしか使わないが。


 撮れた写真を手に、テーブルに帰った。


「これが、島村さんの十代のときの写真ですね?」


 それを見て、夏美はうなずいた。

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