十一章 にえの儀式 2
*
「こっち——!」と、海歌がさけんだ。
蘭の手をひっぱる。
祭壇裏のどんづまりの壁まで来て、海歌はしゃがみこんだ。しめ縄された大きな岩のところだ。海歌は岩のうしろにまわりこんだ。
「こっち、こっち!」
手招きされて、のぞきこむ。
すると、そこに亀裂があった。
とても小さな穴だ。
人間一人が、やっと、もぐりこめるくらいの穴。
それも、大人にはムリだ。
子ども——中高生の少年少女がギリギリ通れそうだ。
「おにいちゃんなら、細いから通れるよ」
たしかに、蘭は十代のころから、あまりスタイルが変わってない。細くて優美。しかし、筋力は大人の男だ。入ることはできるかもしれない。
海歌はなれたようすで、するすると亀裂のなかへ入っていく。きっと、咲良と入れかわった去年の祭りの夜も、こうやって、ここから脱出したのだろう。
ためらっているヒマはなかった。
ほこらから男が出てきた。暗くて、姿はよく見えない。でも、口元がギラギラ光っている。口に刃物をくわえているのだとわかった。
このまま、ここにいても、殺されるだけだ。海歌に続いて、蘭は亀裂のなかへ入っていった。
亀裂のなかは、ほんとに、まっくらだ。さっきまでの海からの淡い光もとどかない。激しく聞こえていた潮騒が、すっと遠のく。
入口は蘭でも、やっと肩が通るくらい。あの男は、とても亀裂を通りぬけられない。そう思うと、ほっとする。
だが、一メートルと行かないうちに、すぐ行きどまりになった。上部から、かすかな光がふりそそぐ。見あげると、深いたて穴があった。海歌がのぼっていくのが見える。
ながめるうちに、蘭は絶望した。
ムリだ。五メートルさきのところで、空洞がせばまっている。
海歌は小学生にしては背が高い。中高生の身代わりができるくらいには。その海歌が通るのが、ギリギリくらいの穴だ。
(ムリだ。僕には通れない)
あきらめて、蘭は、その場で小さくなった。体の向きをかえ、半身を起こしてすわる。
そして、気づいた。
男が亀裂から手を入れている。そこに腹ばいになって、腕をさしこんでいるのだ。もう少しで、蘭の足に届きそうになっていた。
ギョッとして、蘭は足をひっこめた。が、穴がせますぎて、わずかしか、ひざをまげられない。あわてて、たて穴の壁に背中を押しつけ、立ちあがった。
男の腕が視界から消えた。
だが、捕まるかもしれないという不安まで消えたわけじゃない。見えなくなったことで、かえって恐怖が増す。
(誰か……誰か、助けて——!)
さけびたくなるのを、ぐっと、こらえた。ここで大声をだせば、蘭が、まだ、ここにいることを男に知られてしまう。それは、つまり、蘭が、このたて穴をのぼれないことを告げているのといっしょだ。
(アイツが行ってしまうのを待つんだ。そのあいだに海歌が外に出れば、助けを呼んでくるはず)
それまで息をひそめ、じっとしていれば……。
だが、そのとき、上から声がふってきた。
「おにいちゃん! どこ?」
海歌だ。蘭がついてこないことに気づいたのだ。あの細まった穴のところから、見おろしている。おりてこようとするので、蘭は声をふりしぼった。
「さきに行くんだ! 助けを呼んできてくれ!」
海歌がもどってきたって、蘭が、あの場所を通りぬけることはできない。
それよりも、海歌の体力が落ちて、出口まで到達できないことのほうが怖い。二人で永遠に、来ない助けを待つことになる。このせまい穴ぐらのなかで……。
「わかった!」
海歌は大声で答え、また、のぼりだした。細い穴をくぐりぬけ、見えなくなる。
ここから外まで出るのに、どのくらい時間がかかるのだろう?
数分? それとも、十数分? 三十分はかかるのか。あるいは、もっと……?
それまで体力がもつだろうか。
岩壁に、もたれて体を支えた。壁はナナメに傾いていた。視界が低くなり、亀裂につながる、よこ穴が、また見えるようになった。
さっきより、腕が近くなっている——
ギョッとして、蘭は空間がゆるすかぎりの体勢でかがんだ。
のぞきこんだとたんに、男と目があった。黒いシルエットのなかで、にごった白い光を反射する双眸が、まっすぐ、蘭を見ている。
悲鳴を抑えることができなかった。
(そんなバカな。ここは、ふつうの大人の男が入りこめるような場所じゃない。よっぽど小柄じゃないと。僕みたいに——)
しかし、事実、そこまで侵入している。
いや、よく見ると、入ってるのは頭部と片腕だ。入りこめる限界まで腕をつっこんで、せいいっぱい伸ばしているのだ。
ほんの十センチか二十センチの違いかもしれない。
しかし、その違いが大きかった。
おかげで、とどいた。
わずかに空を切っていた男の手が。
しっかりと、蘭の足をにぎりしめた……。
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