九章 海から来た人 3
*
一方、拉致された蘭。
今、何時ごろだろう?
たぶん、つれさられてから丸一日は経過している。
外が明るくなったような気がしてからでも、半日くらい?
明るくなったことで気がついた。
目隠しをされている。だから、夜間、異常なまでの暗闇に感じたのだ。
今も多少の光は通すが、周囲の景色までは見えない。
蘭はきょくりょく、冷静さを失わないように努める。
助けは、いずれ来る。
猛が、きっと来てくれる。
これまでも、そうだったように。
自分のしなければならないことは、どうしたら、ぶじに彼らのところへ帰れるかを最優先することだ。
今のところ、脱水症状を起こすかもしれないということか。なにしろ、真夏にエアコンもない場所に放置されているのだ。
何度か、人が来た。
そして、蘭の口にペットボトルのようなものをあてがった。なかはミネラルウォーターのようだった。
やはり、ニエにする前に死なれては困るから、水分だけは与えているのだろう。だが、それも殺さないための最低限の水分だ。
食事は三食ぬかれている。
気分が悪い。
空腹すぎて、目がまわる。
意識がもどっては、また失神するように寝入る。そのくりかえしだ。
でも、もう時間の猶予はない。
祭りは、たしか今夜からのはずだ。
猛と加納家の人たちが、そんなふうに話していたのを聞いた。
逃げださなければ。
ここが、どこか家屋のなかであることはわかっている。
あの人物が水を持ってくるとき、ドアを開閉する音がする。カギを外すような音はしない。
つまり、手足をしばる結束バンドさえ外してしまえば、逃げだせる状態だ。
蘭は体を起こし、後ろ手にしばられた手を、動かせる範囲で前にまわした。ポケットにジャックナイフが入っているはず。まだ、とりあげられていなければ。
ナイフは——あった。
よかった。
これで、結束バンドを切りさえすれば……。
(ケガはするだろうな……見えないうえに後ろ手だ)
でも、命にはかえられない。
どんなことをしても生きのびなければ。
それが蘭にできる最良のこと。
猛と薫。
二人のうちどちらかは、早い段階で死ぬ運命だ。
蘭は残されたほうを、ひとりぼっちにしないための予備人員だということを自覚している。
おそらくは、残るのは、猛だろう。
薫を亡くせば、どれほどの虚無にとらわれるだろうか? 今ですら、あの調子の極度のブラコンなのに。
あれだって、いつ薫をなくすかわからない不安から来ている行動なのだということは、想像にかたくない。
泣き叫ぶであろう猛をなぐさめるのが、蘭の役目だ。
その蘭が、猛よりさきに逝くことは、ゆるされない。絶対にだ。
だから、蘭は、生きなければ。
どんなことをしても……。
ナイフの刃をだし、手首のすきまにさしこんだ。利き手で持つから、どうしても刃がななめになる。左手に痛みが走った。
蘭は苦痛の声をのんだ。
何度も、ようすを見に来れるということは、拉致者が近くにいる可能性がある。たぶん、拉致者の自宅か、自宅近くの物置のような場所ではないだろうか。
声を聞かれるのは致命的な事態になりかねない。
どうにか、結束バンドらしきものにひっかかる。細くてツルツルした感触だから、かたいビニール状のものであることは確実だ。
ナイフを上下にして切りだすと、思っていたより、やわらかい。刃が、かるく入っていく。麻縄などよりは、はるかに切りやすい。すぐに、プツンとバンドが外れた。
蘭は目隠しをはずし、あたりを見まわした。
やはり、倉庫のなかのようだ。
コンクリの床と壁の一室に、漁の道具が置かれている。思っていたより広いことにおどろいた。
無人だ。
今、拉致者はいない。
あとは足首のいましめをとけば逃げだせる。見ると、思ったとおり結束バンドでしばられていた。
それにナイフを入れていたときだ。
急にドアがあいた。
外の光が四角く切りとられて、まぶしく、さしこむ。
光のなかに黒く、人影が浮かんでいた——
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