六章 赤い海 3
「じゃあ、なぜ、蒼太だけが竜の申し子と言われるんでしょうね」
ひとりごとのように、猛がつぶやく。
「さあねえ。そこらへんは島の人に聞いてよ」
うなずいて、猛は話をもどす。
「翠さんは、そのあと、亡くなったんですよね?」
「あっけなかったわよ。蒼太を生むときにね。出血がひどかったらしくてさ。そのまま——」と言って、天を指さす。
「なら、蒼太は生まれつき、父も母も知らないってことですか」
「赤ん坊のころはさ。あたしが育ててやったわけ。ミルクやって、おしめかえてさ」
「ミキさんが育ての親なんですか?」
浅茅さんは、ものすごいイヤそうな顔になった。
「そんなんじゃないけどさ。赤ん坊、ほっとくわけにもいかないじゃない? この島のやつらったら、薄情なんだから。しょうがなく、あたしが見てただけ。自分で食えるようになったら、すぐ追いだしたよ」
「どうして? まだ子どもですよ?」
浅茅さんは目に見えてイライラした。タバコをもみけし、チッと舌打ちをつく。
「なんでもいいじゃないか。さ、話したんだから、帰った。帰った。夜になったら、また飲みに来なよ」
なんでだ。急に追いだされた。
でも、追いだす前に、浅茅さんは、あらためて蘭さんを値ぶみした。
「なんなの。この子。ほんとに人間? 海から来たみたい。こんなキレイな子、女でも見たことないわぁ。どんな願いでも叶いそう」
なぜかしら、僕は、ハッとした。
海から来た——?
それは、蒼太くんも言ってたような気がする。
僕は聞いてみた。
「それ、どういう意味なんですか?」
「それって?」
「今、海から来たって言ったでしょ?」
「ああ。この島の言いまわしだよ。美形のほめ言葉みたいなもんかね?」
なんか違う。
僕がドキッとしたのには、もっと別の意味があったはずだ。
ちょっと続けざまに、いろんな情報をもらっちゃったんで、頭がいっぱいになってるかな。少し整理しないと。
なによりも、まず、南さんちのおばあちゃんに聞いた伝説のことを、猛に教えてやらないと。
「おジャマしました」と言って、僕らは店の外に出る。
お日さまが、まぶしい。
店内が薄暗かったから、目をあけていられないくらいだ。
蘭さんからもらった誕生日プレゼントのG-SHOCKを見て、時間をたしかめる猛に、僕はとびつく。
「ねえ、兄ちゃん!」
「十二時半だ。帰ろう」
「聞いてよ! 兄ちゃん!」
「うん。メシ食ったらな」
「ダメぇー! そんなんじゃ忘れちゃうよ」
「何を?」
「僕さ。南さんちのおばあちゃんから、すごいこと聞いたんだけど」
「えッ? 南さんちの……?」
猛の絶句した顔。
なんで、そんなにおどろくんだ?
「な、なに?」
「南さんちのおばあさんから、話、聞いたのか?」
「うん。聞いたよ。さっき、タモとかとりに帰ったとき。ちょうど会ってさ」
猛は二分くらい、僕の顔をじっと見つめていた。そして、ぽんと肩をたたいた。
「ドンマイ。かーくん」
「なんだよぉ?」
「いや、それで、なんて言われたんだって?」
僕が口をひらいた、その瞬間だ。
妙に港がざわつきだした。
いつもどおり、港には、たくさんの人影があった。この島で一番の活気ある場所だもんね。その人たちが、いっせいに、さわぎだしたのだ。
そして、サイレンが鳴った。
「なに? なんかあった?」
あわてふためく僕を残して、猛は走りだす。
「どうしたんだよ? 猛?」
「これ、海難事故があったときのサイレンだ」
あ、それは思いだしたぞ。
僕らが子どものときにも、一回、あったっけ。海水浴に来てる最中にサイレン鳴ってさ。あのときは幸い、おぼれた子どもは助かったんだけど。
漁船がいくつも港を出ていく。
事故現場に向かうようだ。
サイレンの音と無線の声がかさなり、あたりは騒然としている。
猛はあたりを見まわしたのち、一点をめざして、かけていく。そのさきには、秀作おじさんがいた。ちょうど、船を出しかけている。
「すいません! おれたちも乗せてください。ジャマはしませんから」
えっ! マジっすか? 船、乗るの?
子どものころに船酔いした記憶が脳裏をよぎる。が、あれこれ言ってるヒマはない。
秀作おじさんと、直幸おじさん。それに僕の知らない男の人たちが二、三人。みんな、急いでる。
僕らは、ひとまず船にとびのった。
「海難事故ですか?」
猛が聞くと、秀作おじさんは舵をとりながら、怒鳴るような大声で答える。
「詳しくは行ってみんとわからん。岩場で人が倒れとるらしい」
「竜神のほこらのある、あの岩場ですか?」
「そうだ」
あの岩場なら、船を使えば、岬をまわってすぐだ。たしかに上から階段おりてくより、ずっと早い。
数せきが競うように、現場をめざしていく。漁船のエンジン音が、おだやかな潮騒を乱す。
ものの五分ほどで岩場が見えてきた。まだ、倒れた人影は見えない。
無線に負けない大声で、猛がたずねる。
「誰が最初に見つけたんですか? 岩場に人が倒れてるのを?」
「響花ちゃんだそうだ。友だちを探してて、気づいたらしい」
響花ちゃん……友だち……いやな予感がよぎる。
そのあいだにも、船は進む。
先行の船から、たえず無線連絡が入ってくる。くわしい位置を伝えてくるのだ。
無線を聞いた秀作おじさんが、ふりかえった。
「岩場じゃないらしいぞ。洞くつ付近だ」
岩場をよけて、洞くつまで、まわっていく。洞くつの前は岩場が切れ、広い海へと続いている。二、三せきの船が、そこで待っていた。
「おーい。どうだ? よっちゃん」
先行の船に向かって、秀作おじさんが声をかける。肉声が届く範囲だ。
よっちゃんっていうから、若い人かと思ったら、おじさんだ。
「よっちゃんか……」
四十さい前後かな? まあ、秀作おじさんのほうが年上だし、みんな昔なじみだから、不思議はないか——と、考えながら、僕は無意識につぶやいていたらしい。
直幸おじさんが耳に止めて教えてくれた。
「南義行だよ。咲良の父親だ」
へえ。あれが、溺死した巫女のお父さん。イメージと違うなあ。咲良ちゃん、すごい美少女だから、もっとこう……ね。思ってた以上に、ふつうのおじさんだった。
お母さんの絢子さんにも、あんまり似てなかったし、トンビがタカを生むってやつか。
さらに近づいていくと、それが見えた。
洞くつの入口に近い岩場の端っこに、人が倒れてる。
でも、もう生きてはいないだろう。
それは、ひとめでわかる。
だって、あたりの海が、いちめん赤くそまっていたから……。
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