七章 海への捧げもの 1



 洞くつ前の岩場に、少しくぼみがあった。そのくぼみに、おさまるように、のえるちゃんは寝かされていた。胸の上で両手を組み、その姿は、まるで石棺のなかに、よこたわっているかのようだ。


 海をそめる血は、岩のすきまから海面へともれだしている。

 ちょうど、そこに傾斜があるようで、全身から流れる血が、そこに集められ、海へと流れていく。


 海へのささげものだ。

 ひとめ見て、僕はそう思った。


「のえる——のえるッ!」


 男の一人が岩場へとびうつり、のえるちゃんの遺体を抱きあげようとする。おそらく、父親だろう。


 猛が叫んだ。

「さわっちゃダメだ!」


 みんなが、おどろいて、猛をふりあおぐ。


 僕らの船は岩場まで二メートルは離れてる。猛は、それをかるがる跳躍し、とびうつる。のえるちゃんの首すじに手をあてた。


 そして、猛は宣告する。


「これは殺人だ。現場は保存し、警察を呼ばなければならない」


 みんな、息をのむ。

 殺人となれば、事故死とは違う。いい大人だからって、誰も、なれ親しんだことじゃない。


 猛だけが、いやに手なれてる。

 まあ、しょうがないよね。

 僕ら、今までに何回、殺人事件に行きあわせたことか。


「かーくん。スマホ、持ってるよな? 警察、呼んで」

「はいよ」


 ありがたいことに圏外じゃなかった。岩陰だし、どうかと思ったんだけど。


 もちろん、警察に通報したって、すぐに来てくれるわけじゃない。

 ここは朝夕、二便しかフェリーの運航しない孤島だ。島には駐在所しかない。しかも、警官は引退直前のおじさんだ。


 僕らは、いったん、岩場に石船さんをふくむ十人ほどを残し、その場から立ち去った。

 殺人事件で本州から県警を呼ぶとなれば、ほかにも、いろいろ、やるべきことがあるからだ。

 島の長ともいうべき、秀作おじさんは、とくに忙しい。


 現場には、猛が残った。

 ほんとは、蘭さんも残りたがったが、猛に言われて、しかたなく、僕といっしょに帰った。


 加納家の離れ。

 和歌子さんが運んでくれた、おにぎりと魚のアラのみそ汁で昼ごはんをすました。

 そういえば、猛も腹すかしてるだろうなあ。


「ああっ、気になる! ついに第二の犠牲者ですよ。それも殺人。こうなると、前の女の子も殺人の可能性ありですし。なんで、僕は、こんなとこで、みそ汁、飲んでるんだか。ウマイですけどね。あら汁」


 蘭さんは殺人現場から遠ざけられたのが不満でしょうがない。さっきから、ずっと不平をたれながしてる。


 僕は、なだめるために奥の手を使うことにした。そう。つまり、南さんちのおばあさんから聞いた伝説をひろうした。

 でも、やめとくんだったかなと思う。そんな楽しいことを聞いて、おとなしく猛の帰りを待ってられる蘭さんじゃなかった……。


「やっぱり! やっぱり、イケニエだったんだ! しかも、もっと面白そうなオプションがひっついてる!」


 しまった! 叫ぶ蘭さんの目が輝いてる。マズイぞ。猛がいない今、僕にこの状態の蘭さんを止めろと?


「それで、わかりました。海から来たっていうのは、竜の申し子のことなんですね。祭りで海神から授かったって意味じゃないのかな? 申し子を海に返すと、どんな願いも叶う……」

「ら、蘭さん。落ちついて」

「これが落ちついてられますか? すぐに調べに行きましょう! じっさいのところ、誰が竜の申し子ってウワサされてるのか」


 ああ……やっぱり、こうなっちゃうのか。


「ダメだよぉー。猛が帰ってくるまで待とうよ。ね?」

「猛さんは自分だけ死体ながめて、ズルイ」

「ズルイっていうか……蘭さんのこと心配してるんだよ。あとで報告してくれるからさ。それまで待とう?」


 蘭さんは僕の言うことなんか聞く人じゃない。

 箸をおくと、ちゃちゃっと歯みがきして、ビーサンで外に出ていく。

 僕はスマホだけポケットにつっこんで、追いかけた。


「蘭さん。あてもなく出ていっても、どうやって調べるの? 誰かに教えてもらうって言っても、みんな、そのこと話したがらないしさ」


 だが、蘭さんは、やみくもに出てきたわけじゃなかった。


「この前、かーくんは来なかったけど。僕と猛さんで、行方不明の子たちのこと調べたでしょ? あの子たちの近所の評判を聞いてみたいんですよ」


 な……なるほど。それなら、たしかに、蘭さんは家も知ってるし……。


「ちょっと待って。なんで行方不明の子?」

「もしかしたら、そのことが関係して何かの事件に巻きこまれたのかなって」


 僕は、うなった。

 たしかにそうだ。


 行方不明になった少年少女が、じつは竜の申し子と言われてる子たちだとしたら……そこには何者かの意図が感じられる。



 ——申し子を海に返すと、どんな願いでも叶うんじゃ……。



 南さんちのおばあさんの言葉が、ふっと浮かんだ。


(申し子を海に返す……それって、もしかして……)


 もともと、申し子は巫女の生んだ子どもだ。その巫女は、昔はニエのことで……それを海に返す。


 そこはかとなく、ダークなイメージがわいてくる。


 しかし、それは、蘭さんにとっては大好物にすぎない。一心不乱に走っていく。


「蘭さん。待ってよ。そんなに速く、走れない」

「早く。早く。置いてきますよ? かーくん」


 むごいほどの瞬発力の差。

 坂をおりるだけで、ぐんぐん引き離されていく。

 ボディーガード失格どころか、これじゃボディーガードじたいになれない。

 また、島の道路は前述のごとく、細くて、ごみごみしてて、迷路っぽいんだよな。


「おーい、蘭さん。待ってよ」


 坂道をくだったところで、蘭さんを見失ってしまった。

 ヤバイ。これで、蘭さんに何かあったら、猛になんて言われることか。


「お……おーい?」


 坂道をおりきると、T字路になっている。つまり、道が左右にわかれている。一方は港へ向かう道。もう一方は、島の内部に進む道。人家の多い通りだ。


 僕は迷わず、左手に向かった。

 島の内部に進む道だ。

 なぜなら、漁港に人家はないから。

 行方不明の子の近所というなら、とうぜん、内陸へ入ったところと思いこんだ。


 いくらも行かないうちに、次の交差点にかかった。小さな交差点だ。車が一台ずつしか通れないような道。


「蘭さーん、どこ? 返事してよ」


 いっこうに蘭さんの姿が見えない。

 キョロキョロしてると、女の子が通りかかった。

 海歌ちゃんだ。

 ブルーのワンピース着てるけど、こうやって見ると、やっぱり、あっちゃんに似てる。


「海歌ちゃん。蘭さんが通りかからなかった? ついさっきだと思うんだけど」


 海歌ちゃんは真剣な顔で僕を見つめた。緊張したおももちで指さす。坂の上だ。


 変だな。途中で追いこしちゃったかな?


「えっ? そっち? どのへんだった?」


 海歌ちゃんは僕の前に立って歩きだす。坂をのぼっていくので、ついていった。


 けど、坂の下までは、たしかに蘭さんのうしろ姿、見えてたはずなんだけどなぁ……。


「ほんとに蘭さんだった? 金髪だから、見間違うことはないとは思うけどね」


 海歌ちゃんは、どんどん坂をあがり、崖のとこまで来た。そして、岩場へおりていく、あの恐怖の階段を指さす。


「えっ……? ほんとに?」


 変だなあ。そんなとこ、おりてったはずはないんだけど。第一、行方不明の子の家に向かってたんだ。岩場に家はない。


 いや、でも、蘭さんなら、きまぐれ起こして殺人現場をのぞいてみようとするかもな。うん。そうだ。

 海歌ちゃんがウソつくとは思えないし。


 僕が下をのぞきこんだ、とたんだ。

 誰かが背後に立った。

 背中に、チクンと、とがった感触が押しあてられる。


「だまって、ついてこい。でないと刺すぞ」


 ええーッ! なんですか? コレ!


 イヤイヤ、僕はつれられていった……。

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