四章 竜の申し子 4


 まっくらだ。闇って、こんなに黒いのかって、いなかに来るたびに、ほんとに思う。


 かぎりなく黒に近い濃紺っていうかさ。月明かりや星明かりがあるから、完全に黒じゃないんだけど。コスモブラックだよね。宇宙の神秘色。


 ほんとは出歩きたくないが、やむにやまれぬ生理現象にかられて、僕は厠をめざす。


 あれって、潮騒かな?

 けっこう遠くまで聞こえてくるんだ。

 瀬戸内海って、おだやかなイメージだけど、夜は静かだから、波の音がひびくんだね。


 暗さと言い、潮騒といい、効果満点。

 なにって、肝試し的な効果の……だ。


 ドキドキしながら、厠に入り、大急ぎで用をすます。

 よかった。なかから白い手とか出てこなかった。


 ほっとしたのも、つかのま。


 僕は見てしまった。

 遠くのほうで、ぼんやり光るものがある。


 畑のほうだろうか?

 黒いかたまりは建物のようだ。そうか。位置から言って、となりの島村さんちの納屋か。

 納屋のまわりを、ふわふわ、光が、おどってる。


(で——出たッ! 人魂だぁー!)


 たぶん、蘭さんだったら、嬉々として人魂にむかってダッシュしてるだろう。

 猛だって、不審に思い調べにいくはずだ。


 でも、僕は、あとをも見ずに逃げだした。

 いいんだ。僕は探偵じゃない。ホラーオタクでもない。逃げだしたって、ゆるされる!


 離れに逃げ帰ると、そのまま、ふとんを頭からかぶった。




 *


 翌朝。

 人魂、見たせいで、僕は寝起きが悪い。


 なんとなく、わけのわからない夢を見てるなかで、声を聞いた気がした。



 ——おねがいだよ。かーくん。ぼくの妹を守ってね……。



 えっ? 誰? あっちゃん?


 ぼんやり目をあけると、おおいかぶさるように、のぞきこむ影がある。


「わあッ」と、声をあげて、ふとんから、はいだしてしまった。


「あれ? ちょうどいま、声をかけようとしたとこだったのに。よくわかりましたね?」


 ら——蘭さんか……。

 ビックリした。心臓に悪い。


「な、なに? 蘭さん。今日も早いね」


 蘭さんは、すでに着替えてる。


“I LOVE KYOTO”のロゴ入りTシャツが、ハンパなく、外人バックパッカーっぽさを出している。

 背中のロゴは“湯呑み”!

 こんなんでも、アルマーニのスーツ並みにカッコよく見えるとこが、スゴイよね。


「ねえ、伝説、しらべに行こう? この島には邪悪な何かを感じる。辰姫伝説って、ニエでしょう? きっと、そこに秘密があると思うんだ。お辰さんだって、自分で身投げしたんじゃないかもよ?」


 蘭さんは今日も、キラキラ輝いてるなあ。

 じっさい、蘭さんを見てると、特別な人なんだなって、しみじみ思う。


 蒼太くんも、ものすごい美少年だったけどさ。こう言っちゃなんだけど、蒼太くんは成長したら、ふつうのイケメンになるんだと思う。


 蘭さんは大人になっても精霊でいられる、きわめて特殊な人だ。


「そうだね。行こうか」


 僕は笑って起きだした。

 ところが、猛が反論する。

 猛はふとんを押入れにあげながら、こう言った。


「蘭。おまえ、泳ぎたいんじゃなかったか? 泳ぐんなら、盆前までだぞ」


 さよう。明日から、お盆。


「えっ? なんで? お盆すぎると泳げないの?」

「うん。盆には死者の魂が帰ってくるからな。海に入ると、足、ひっぱられるんだ」


 って、なに真顔でジョーク言ってんだよ。猛。

 僕は訂正した。


「ちがうよ。お盆ごろになると、クラゲが増えるから。それに海水も冷たくなってくるからって、子どものころ、おじさんに教えてもらったよ」


 蘭さんは、ガッカリした。


「死者の霊のほうが面白かったな」


 ごめんね! 気がきかなくて。


「どうするんだ? べつに、おれは泳がなくてもいいんだが」


 猛に問われて、蘭さんは逡巡しゅんじゅんした。

 蘭さんが伝説と水泳のあいだで、ゆらぐのが、目に見えてわかる。

 やがて、蘭さんは決断した。


「じゃあ、午前は伝説。午後は水泳ってことで」


 はいはい。かしこまりましたよ。

 うちの精霊さまには、さからえない。

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