六章 赤い海 1



 漁港へと坂道をくだっていくと、おりぐちに倉庫がある。加納家の所有してる倉庫だ。なかには網だとか、夜釣り用のデッカいランプみたいなのだとか、漁の道具がしまってある。


 そのとなりが漁業組合。色気のないコンクリの建物。


 道をはさんで、漁港。

 フェリー乗り場は水深が必要なため、左手の波止場の向こう。


 そして、僕らの向かう居酒屋は、加納家の倉庫のとなり。あいだに駐車場をはさんでるから、となりと言っても、十二、三メートルは離れてるけど。


 昼は、にぎやかだけどさ。

 夜は、さみしいだろうなあ。

 海に近すぎるせいか、まわりには家らしきものがない。


 とはいえ、島の居酒屋としては、一等地であることは、まちがいない。

 なにしろ、漁から帰って、ちょっと一杯やりたい漁師さんが、ほとんど毎日、立ちよってくれる場所にあるんだから。フェリー乗り場にも近いし、人の出入りをおさえてるよね。


 それにしても、潮の香りのしみついたような建物は、なかなかのあばら家……。


 見ためを気にするオシャレな客なんて来ないんだろうな。


「こんにちは。浅茅さん。ご在宅ですか?」


 猛がドンドンと表戸をたたいたのは、十一時に近いころだ。そんなに早すぎるって時間じゃないはずだけど、なかからの反応はない。


「寝てるんじゃないですか? もっと激しく、たたかないと」


 蘭さんもマネして、ドンドンやりだす。ほんと、えんりょってものを知らない人たちだ。


 すると、十分あまりもしてから、ようやく戸があいた。


「なんだい! こんな時間から。朝は、やってないんだよ」


 いきなり怒鳴りつけてきたオバさんは、いかにもドラマに出てくる、さびれたバーのママ風。

 寝ぐせのひどいパーマの髪。

 潮風に吹きつけられたような顔のしわ。

 お酒とタバコで声はガラガラ。

 年齢は六十代なかばは、いってるかな?


 若いころは、もしかしたら、けっこうキレイだったのかもしれないけど。


「飲むんなら、夕方からにしておくれ」と吐きすてて、戸をしめようとしたところで、その手をとめた。


 とうとつに、くるっと、ふりかえる。きっと、今、初めて、猛と蘭さんが目に入ったんだろうな。


「あら? あらあら、まあ……」


 ほらね。寝ぐせを気にしだした。


「あらぁ、いい男じゃない。島の人じゃないわね。どうしたの? 飲みたいの?」

「いえ。お話を聞きたくて来ました。入ってもいいですか?」


 猛が図々しくも店にふみこもうとすると、浅茅さんは両手で押しとどめた。


「ちょっと——ちょっと待って。お化粧くらいさせてよ。レディーなんですからね」


 僕ら的には早く話が聞きたかったんだけど。浅茅さんが、ぴしゃんと引き戸をしめたから、しかたない。


 待つこと十五分。

 まあ、十五分の仕上がりは、こんなものか。さほど様変わりしてるようでもなかったが、赤い口紅がついてるのはわかった。


「どうぞ。入って。汚いとこだけど。あらあら、ほんとに、いい男だわぁ。どうしましょう。サービスするから、一杯、飲む?」


 酔わせて、どうする気だろう……。

 浅茅さん、思いっきり、ハンティングモードだ。怖い。


 いつもどおり、猛は冷静だ。

「いえ。酒はいりません。それより、あなたと話がしたいんです」


 まんざらじゃない感じで、浅茅さんは手招きした。


「いいわよ。いい男なら、いつでも歓迎。入って。入って。どこで、あたしのこと聞いたの?」


 ウソみたいだが、浅茅さん、僕らが浅茅さん自身に興味をひかれて、やってきたと思ってるようだ。しっかり猛の腕をつかんで、なかに入っていく。

 浅茅さん的に、いい男は、猛なのか。蘭さんは?


「そんな美人の彼女つれてなきゃ、もっとサービスしたのにさぁ」


 なるほど。例のごとく、美女と勘違いしてるわけね。


「それも、二人も!」


 う……ウソでしょー! 僕もですかぁー?


「あ、あの……僕、男ですけど……」

「ええっ? やだ。あら、あらあら。ごめんなさい。やだ。よく見たら、けっこう可愛いじゃない? 坊やも来なさい。ほら、ほら。すわって」


 とつぜんの歓待は嬉しいような、そうでもないような。やたら、ボディータッチの多い人だなぁ……。


 無言の蘭さんは利口だった。

 僕も女の子に甘んじとけば、よかったかなぁ。


 建物のなかは、表側が居酒屋。しょうじ一枚で仕切られた奥が、住居スペースのようだ。


「やだわー。こんなイケメンにかこまれるの久々よ。昔はね。この島にもいたのよ。すっごい美少年。でも、都会に行っちゃったからね」


 猛が言った。

「美少年なら、まだいるじゃないですか。蒼太はかなり容姿端麗ですよね」


 すると、浅茅さんの顔がこわばる。

 しかも、その瞬間に、どういう、ぐうぜんなんだか、蘭さんが男だってことに気づいたようだ。


 目つきが、すっと冷めた。

「なんだ。あんたも、そっちなのかい。最近の男はどうなってんだかねぇ」


 そっちって、どっち?——とは聞かないでおくのが無難か……。


 猛は臆さない。

「蒼太の母親の翠さん。あなたと親しかったそうですね。そのころの話を聞きたいんです」


 冷めた目つきの浅茅さんは、猛の腕を離し、やかんを火にかけにガスコンロの前へ行く。


「翠? なんで、翠のことなんか知りたがるのさ?」

「この島の伝説に興味があって。蒼太が竜の申し子だと聞きました」

「竜の申し子ねぇ。島の連中が言ってることだろ? なにしろ、迷信深いやつらだからねえ」


「あなたは伝説については知らないんですか?」

「興味ないよ。好きな男にひっついてきて、こんなとこに骨うずめることになっちまったけどさ。しんきくさいのなんの」

「ご存じないならいいですよ。翠さんのことを教えてください」


 浅茅さんは食器カゴからカップをだして、インスタントコーヒーをいれだす。僕らの人数を目で確認してるので、蘭さんは首をふった。


「僕は、けっこう」

「あら。日本語、しゃべれるんだ」


 日本人ですからね。


「じゃあ、おれは、ブラックで」と、猛。


 僕も好意に甘える。

「僕、ミルクと砂糖入りでお願いします」


 浅茅さんは、ちょっと笑った。

「お子ちゃまねえ。はいよ。湯がわいた」

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