五章 にえの伝説 5


 おお、速いねぇ。

 瞬発力と持久力をあわせもつ男。

 ガンバレ。猛。


 追っていく蘭さんも速い。速い。

 二人とも、スゴイねぇ。

 スポーツ万能だもんねぇ(ひとごと)。


 おっと。蒼太くんも気づいたぞ。

 でも、これじゃ逃げ場ないね。


 猛と蘭さんは左右にわかれた。

 蒼太くんが、どっちに逃げても捕まえられるようにだ。ゆいいつの出入口には、不肖、かーくんが立ってるし。


 のえるちゃんを離すと、蒼太くんは社の奥に向かっていく。


 けど、そのまま、猛と蘭さんが社をはさんで右と左で追っていく。まんなかあたりで、はさみうちかな。


 僕は、どっちから追っていくべき?

 やっぱ、蘭さんがわかな?


 猛なら、柔道剣道四段だし(昇段した)。

 どんなことがあっても、とりにがす心配ないしね。


 そんなこと考えながら、ゆっくり社のほうへ歩いていく。社の正面あたりまで来ると、のえるちゃんの泣き顔が見えた。


「大丈夫?」と、僕が声をかけようとしたときだ。奥のほうで、さわぐ声が聞こえてきた。


 なにごと?

 猛と蘭さんの声みたいだけど。

 蒼太くんをつかまえたのかな?


 気になって、社の横手から裏側へまわっていった。


 僕が裏手を見るのは初めてだ。正確には子どものときに見てるはずだけど。そのころのことは、よくおぼえてないから、ほぼ初めて。


 社から、ほんの十メートルばかりさきが、もう崖だ。崖にはいちおう柵がある。でも、本気で乗り越えようと思えば、乗り越えられる高さだね。


 社の右手は小さい池とか松の木とかあって、庭っぽい作りになってる。

 そこにも、チビっこい祠と鳥居がある。お稲荷さんとか、そんな感じかな。


 神社の縁起を書いた看板がたってるのも、このへんだ。

 鳥居のそばにはゴツゴツした岩が、いくつもとびだしてる。

 つまり、そっちは、ちょっと見通しが悪い。とはいえ、人が隠れていられるほどではない。


 なのに——なのに、だ。


 社の裏側で、猛と蘭さんは向きあっている。とうぜん、捕まえてるはずの蒼太くんの姿はない。


「蒼太くんは?」と、たずねる僕を、二人は同時にふりかえった。


「かーくん。さっきまで、社の前のほうにいたんだよな?」

「うん。いたよ」

「蒼太が走ってこなかったか?」

「来ないよ」


 えっ? まさか、それって……。


「消えたの? 蒼太くん」


 猛と蘭さんは、ぶぜんとしている。

 答えないことが答えだ。

 にぎりこぶしを作って、猛は真剣に考えこむ。


「二手にわかれて、おれと蘭が追いかけていた。社のかどをまがるまでは、たしかにいたんだ。おれは左手に行ったから、途中で姿が見えなくなった。ぐるっと、まわって、ここで蘭と出くわした。蘭もまっすぐ、ここまで走ってきたんだろ?」


 蘭さんは、うなずく。


「僕は猛さんより、数メートル、遅れて走ってましたからね。あの子が、さきにかどをまがって、そのあと二十秒くらいしてから、僕が、まがったんだと思う。まがったときには、もう姿が見えなかったんですよ。ずいぶん、足が速いな。もう、向こうのかども、まがったのかって考えました」


「でも、ここまで来て、おれとぶつかった。じゃあ、あいだにいたはずの蒼太は?」


 僕は、つぶやく。

「真昼の人間消失事件……」


 蘭さんは恍惚とした。

「人間消失事件……あっ、もう、ダメ……」

 ストーカーには見せられない表情で悶える。

 だから、そういうヤバイ声ださないでね。


 僕は言ってみた。

「崖からとびおりた……とか?」


 乗り越えられないことはない柵だ。

 もしかしたらってことが——と考えた。


 僕は言ってみたんだけど、みごとに猛に否定される。


「ムリだよ。下、のぞいてみ」


 言われたとおり、こわごわ、柵のあいだから、のぞいてみる。

 なるほど。これは、ムリだ。

 崖の下は、あの竜神のほこらにつながる岩場だ。


 海なら、まだしも飛びこみ選手なら、飛びこめないことはないだろう。

 でも、ここから飛びおりても、岩場にあたって、くだけちるだけ。


「第一、人間が飛びこんだような水音は聞こえなかったしな」と、猛はダメ押しする。


 ためしに神社の床下ものぞく。

 でも、ここの神社は高床式じゃないんで、人間が入りこめるほど、縁の下が高くない。


 僕は、もう、お手あげだ。


「じゃあ、どこに消えたんだよ? 人間一人。いくら蒼太くんが竜の申し子だって言ってもさ。できることと、できないことはあると思う」


 猛は、にぎりこぶしを口にあてて、なにごとか考えこんでいた。が、その手をひらくと、


「ともかく、あの子の話を聞こう。石船のえる。あの子が蒼太と何を話してたのか」


 たしかにね。

 ちょっと、ようすが普通じゃなかったもんね。


 僕らは、ぞろぞろと三人で、社の前に戻っていった。が、とっくに、のえるちゃんは逃げだしたあとだった。


「ああ…二兎を追う者、一兎も得ずぅ……」


 僕の落胆に、蘭さんの声が、かぶさる。


「あの子だけでも、かーくんが捕まえてくれてたら——あ、いえ、いいんですよ。女の子のほうは家さえ探せば、会えますしね」

「うう……ごめん」


 いつもなら、僕の味方してくれる猛もだまってる。

 チューか……ほっぺチューしなかったから……。


「まあ、蘭さんの言うとおりだよ。のえるちゃんは家に行けば、話は聞けるよ。なんなら、僕、探しに行くけど?」


 響花ちゃんに聞けば、家はわかるよね。

 そう思って、僕は、たかをくくっていた。


 猛も同意した。


「そうだな。さきに浅茅さんのとこ行って、そのあとでもいいんじゃないか? 浅茅さんに聞けば、石船さんの家の場所も、わかるだろうし」


 でも、それじゃいけなかったんだ。

 このとき、僕らは必死になって、のえるちゃんを探すべきだった。

 探さなかったばっかりに、まさか、あんなことになるなんて……。

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