五章 にえの伝説 2


「まさか。なんで、あんなところに桃ちゃんが?」


 疑問は残るが、それでもいい。

 桃ちゃんが帰ってきた!


「猛。あれ、ほしい」

「おれに、とりに行けって?」

「ええと……そうなるかな」


 ニヤぁーっと、猛は満面で笑う。

 ああ……猛に借りを作ってしまったぁ……。

 ど、どうしよう。高くついたかなぁ? 食べ放題じゃない高い焼肉に行こう、とか。


「かーくん。タモと海パンの、どっちがいい?」

「タモ……かな」


 海パンって、猛に泳いでとらせるって意味だろ? そこまでさせたら、あとで泣きを見る。うん。絶対だ。


「じゃあ、借りてこないとな」

「虫あみでもいいよね?」

「うん。かーくん。行ってきて」

「はいよー」


 僕は加納家にとってかえした。

 戸渡さんの姿はもう見えない。今日も取材に出かけたのかな。


 門のところで、女の子に出会った。海歌ちゃんと、友香ちゃんだ。二人、手をつないで、外から帰ってきたとこだ。二人はマンガか何かの話をしていた。


 それを聞いて、僕は、ハッとした。

 いや、べつにマンガの内容に衝撃を受けたわけじゃない。それじたいは、女の子の好きそうな、たあいもない話題だ。


 僕がおどろいたのは、海歌ちゃんの声だ。そういえば、これまで、この子、僕らの前で、しゃべったことなかったもんな。

 その声は、まるで男の子みたいなハスキーボイスだ。そして、それは昨日、僕が中庭で聞いた声でもある。

 あの、秘密の話し声。


(海歌ちゃんだったのか)


 僕は、てっきり、男二人の会話だと思っていた。少なくとも男の子二人だろうと。


(一人は海歌ちゃん。もう一人は……颯斗くんかな?)


 もしそうなら、秘密でもなんでもない。単に兄妹で会話してただけだ。

 颯斗くんは秀作おじさんの養子だけど、ほんとの両親は、直幸おじさんと、和歌子さんだ。

 海歌ちゃんとは実の兄妹になる。


 それにしては口調とかが普通じゃなかった気もするけど、僕の勘違いだったかなあ?


 僕は二人の女の子に声をかけた。


「海歌ちゃん。友香ちゃん。タモってあるかなあ? 釣りのときに使うやつ。それか、虫あみでもいいんだけど。置いてある場所、知らない?」


 みごとなシンクロで、二人はふりかえる。僕を見ると、さっきまでの、キャッキャッ笑ってたのがウソみたいに、だんまりになる。


「ええと……知らないかな」


 二人は、タタタっと家のなかに、かけていった。


 ダメだ。なんで、こんなに、さけられてんだろ? 僕、わりと小さい子には、なつかれやすいんだけどなぁ。


 しょうがなく、ため息つきながら、自分で探しに向かう。

 ところが、前庭に入ったところで、タタタっと、また、かけてきた女の子たちに、ぶつかりそうになる。二人はタモと虫あみを一本ずつ、にぎっていた。


「ありがとう。持ってきてくれたんだね」


 女の子たちは、ニコっと笑うと、てれくさそうに走りさった。

 僕は虫あみとタモを両手に持って、猛たちのもとへ引き返した。


「あったよー。タモと虫あみ、どっちがいい?」

「それは現場しだいだな」

「えっ? まさか、僕も現場まで行くの?」

「やなの?」

「うん……」


 だって、あそこに行くってことは、また恐怖の階段をおりて、のぼってこなきゃいけないじゃないか。


「たのみます。猛さま。お兄さま。僕の桃ちゃんをよろしくおねがいします。おねがーい。兄ちゃーん!」


 僕は得意技の泣きマネで、おがみたおした。

 猛は、なんとも嬉しそうに僕の頭をぽんぽん、たたいた。肉食ってるときより、幸せそうだ。

 ああ……なんか、すっごい兄孝行した気分。ブラコンに感謝!


 猛は階段をおりていく。タモと虫あみを持った背中が、たのもしい。


 僕は蘭さんと二人で、道ばたにすわって待った。

 しばらくして、猛は帰ってきた。


「ほら」——と言って、手をさしだす。にぎった手のひらのなかから、桃太郎の塩ビ人形が現れる。


「わーい、僕の桃ちゃんだ。おかえり。桃ちゃん」

「兄ちゃんに感謝しろよ?」

「するする! 猛は、僕と桃ちゃんの恩人」


 ん? なんだ? その自分のほっぺをチョンチョンと指でたたく仕草は?


「ええッ! まさか、ほっぺチューしろと?」

「子どものころは、かーくん、してくれたぞ」

「いくつのときの話だよ。五、六さいだろ?」

「兄ちゃん、がんばった」


「だからって、ハタチすぎた兄弟ができるかっての。そんなんだから、僕ら、キモイとか。いっそ、つきあっちゃえとか。会話がハシャギすぎてて浮いてるとか言われるんだぞ!」


「他人の目なんか気にするなよ」

「僕は気にするからね」

「かーくんは兄ちゃんと他人の、どっちが大事なんだー!」


 ブラコンに感謝は撤回だ。

 兄ちゃん……だんだん、ブラコンが、ひどくなってく。これ以上、症状がヤバくなったら、どうしよう。


「ダメ。ダメ。そんなんしないよ。ほら、早く、南さんちに行くんだろ」


 猛のガッカリした顔……ううっ、胸が痛むなぁ。


 僕らは南さんちに向かう。

 猛は、ため息つきつつ、トボトボ歩いてく。


 ご、ごめん……兄ちゃん。

 こんなに落ちこませるくらいなら、ほっぺチューくらいしてやればよかったか。

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