十章 申し子の真実 4
*
一方、とらわれの蘭だ。
まだ、その日の昼すぎごろ。
外から入ってきた人影は、蘭を見るとかけよってきた。
どうする? まだ、足の戒めがとけてない。この状態で見つかれば、相手を激昂させるだけだ。
だが、手は自由だ。
相討ちになってでも、相手を動けなくさせてしまおうか? 今の僕の状態なら、正当防衛が認められるだろう。
めまぐるしく思考しながら、人影を見つめる。近よってきた人物は、意外にも女だった。
「あらっ、あらあら。あんた。昨日の美人さん。なんで、こんなとこにいるの? 島の男たちが、みんなで、あんたのこと探してたわよ」
居酒屋のママだ。浅茅ミキだったか。
もしや、この女が、僕を拉致したんだろうか?——と考えるが、どうも違うように思う。うしろから捕まえられたときの力は、はっきり男の力だった。そのあと、失神した蘭を運ぶにしても、女一人では、ちょっとムリだろう。
蘭は、あたりに警戒した。
「外に男がいなかったですか?」
「男? 今、昼時だもん。みんな昼飯たべに、もどっていったとこだよ」
家に? では、ここは拉致者の家ではないのか。そもそも、なんで、この女が、かんたんに入ってきて、蘭を見つけられたのか。
蘭はブツンと、足首のバンドを切った。立ちあがろうとするが、ふらつく。
すかさず、ミキがよりそってきた。
迷惑だが、今はしかたない。
「ここ、どこですか?」
「倉庫よ。加納さんちの倉庫」
ミキにつれられて外に出る。
まんまえに、居酒屋。
横手を見れば、海原と漁港だ。
(なんで、加納家の倉庫に……)
加納家の誰かが、蘭をここに閉じこめたということだろうか?
あるいは無関係の誰かが利用しただけか。
「電話、かしてください。それか、加納家にいる僕の友人に知らせてください」
「いいけど。あんた、ふらふらじゃないのさ。いいから、うち、よってきなよ。まず、水飲んで、リンゴでも、すってあげるよ」
「いや、さきに連絡してください」
「そのあいだに電話かければいいじゃない」
まあ、そうだ。
しかし、自分の色気が二十代の男に、まだ通用すると思ってる女に、きょくりょく、かかわりあいたくないのだが。
そんなことを言っても体力が限界だ。なかばミキに引きずられるようにして、蘭は居酒屋につれられていった。建物のなかに入ってしまうと、少し、ほっとする。これで、薫に電話さえかければ、助かったも同然だ。
それに、のどが渇いてるのは、たしかだ。必要最低限しか、あたえられていない。
「ほら、水だよ。ほかに欲しいものある?」
水を渡され、いっきに、がぶ飲みした。いつもなら、浄水器を通した水か、一度、わかした水しか飲まない。が、今はただの水道水が、桃源郷の桃か、神の恵みのマナかってほど、うまい。
「もう一杯」
すぐにコップがさしだされた。
それも、いっきに、のどの奥に流しこむ。
やはり、脱水症状の一歩手前だったようだ。水を飲むと生きかえった。
「電話、かしてください」
「はい。あたしのケータイ、使いなよ」
ガラケーを渡される。
薫のスマホと猛のケータイにかけてみるものの、つながらない。
そのあいだに、ミキはリンゴをおろしがねで、すりだした。電話がつながらなくて、ガッカリしてる蘭の前に、ガラスの器に入れた、リンゴの残骸が出される。
空腹なのも、また事実だ。
ふだんならともかく、今は抵抗できない。しかも、ひとくち食べてみると、意外に美味。あっさりしてるので、いくらでも食べられる。
「おばさん。料理、うまいね」
「あら、おばさんはやめてよ。ミキって呼んで」
猛に迫ったのと同じことを言いだす。おばあさんと言わなかっただけ、善意だったのだが。
「カップ麺でいいから、ウドンない? おかゆは作るの時間かかるだろ?」
だんだん、言葉が、ぞんざいになっていく。それに反比例して、ミキの目は熱くなっていく。
「おかゆくらい、すぐ作れるわよ? ちょっと待ってね。五分で作るから」
まさかと思ったが、ほんとに五分で、目の前にどんぶりが置かれた。冷凍ごはんをそのままナベにかけて、時短したのだ。
「おばさん。けっこう使えるね。じゃあ、おれ、これ食ってるから、友だちに知らせてきてくれない?」
「いいけどぉ。冷たいのねぇ。でも、そんなところがステキ。思いだすわぁ。ヨウちゃん。あなたのほうが、もっとキレイだけどね」
ヨウちゃん? ああ、昨日、話してた島の美少年か。
蘭は無視して、かゆを食べる。薄い塩味がなんともほどよい。からっぽの胃袋に、しみわたっていく。命の恩人だと思ったが、それは言葉には出さない。言うと、きっと、あとがメンドウだ。
蘭はミキが外に出ていくのを見送った。待つあいだ、かゆを食べ続ける。食べてしまうと、急速に眠気におそわれた。
蘭は店と住居のさかいのしょうじをあけ、タタミの上によこたわった。目がまわるくらい、強烈に眠い。
ウトウトしてると、外から誰かが入ってきた。薄目をあけると、ミキだ。
もう帰ってきたのか?
眠くて目があけていられない。
すると、声が聞こえた。
蘭に話しかけているようだ。
「……ほんと、憎らしいくらいキレイな男。こんな男がいるなんてねぇ。あたしも昔はけっこう、さわがれたもんだよ。今からじゃ想像つかないだろうけど」
ざらりとした手が、蘭のほおをなでる。
蘭は不快になった。
早く目ざめなければ。
なのに、体が動かない。
金縛りか?
いや、あるいは、さっきの料理のなかに睡眠薬でも入ってたのか……。
(なに……するつもりだ? この女)
ほうっと、深い、ため息をついて、ミキはつぶやく。
「でも、あんたを海に返せば、あたしだって……」
ゾッとした。
この女、蘭をニエにするつもりなのだ。もともと、ミキがさらって、蘭を監禁していたわけではないはずだが。
ふと思いだした。
昨日、ミキは、蘭を見てこう言った。海から来たみたい。どんな願いでも叶いそう——と。
あのとき、ミキは意味を知らないそぶりをしたが、ほんとは知ってたのだ。竜の申し子を海に返せば、願いが叶うという、あの言い伝えを。
マズイ。逃げださないと——
だが、意識すら、だんだん遠くなっていく。
そのとき、ガラガラと音がした。
引戸のあけられる音だ。
ハッと、ミキが息をのむ。
「あらっ、あんた……」
誰か来た。
助けを求めないと。大声だして。
蘭は睡魔にあらがい、うめいた。
だが、期待はすぐに絶望に変わった。
男の声が、言ったからだ。
「返せ。そいつは、おれのエモノだ」
ミキは鼻で笑う。
「返すと思うかい? あんたが、あそこに、この子をとじこめてるのは気づいてた。まん前だもんね。ずっと、すきを狙ってたんだ。それにしても、まさか、あんただったとはね。この子をさらって、ニエにするんだろ?」
男は何か、ごにょごにょと小さな声で抗議した。
「こんなキレイな子だもんね。なんだって願いをきいてもらえるだろうよ。でも、こいつは、あたしのもんだ!」
わッと声があがる。
ガタガタと大きな物音が続いた。
荒い息づかいと、悲鳴——
やがて、静寂がおりた。
何が起こったんだろう?
蘭には、たしかめようがない。
そのまま、意識は深い闇におちた……。
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