十三、怪しい炎②


「術式開始」


 いつもならば清潔な室内で術式を行うが、時間が勝負となる今、数人を押し込む広さの施術室など無いため、空の下茣蓙の上での術式となった。

 なので蝴蝶フーティエ以外の医女や医官、医学生らが花精ファジンの珍妙な治療を噂で聞きこそすれ、実際に目をするのはこれが初めてになる。


メス


 花精は左手を蝴蝶の前に差し出す。蝴蝶はもはや術式器具を選ぶ際に迷う事など無くなった。それが二人の阿吽の呼吸であるとふんだ野次馬は、一挙手一投足に様々な声を漏らす。


 まず初めに行うのは、雲嵐ユンランの炭化して死んでしまった患部を放置しておくと、感染症の原因になってしまうため、切って取り除く作業だ。

 ぐじゅり、と刀は炭となった部分と、白く膿んだ部分が入り交じる皮膚に頭を潜らせる。

 周りの野次馬は躊躇ないその刀裁きに片目をつぶりつつも興味津々に見たり、その速さにまるで一種の芸術を見ているかのように魅入る。


鑷子ピンセット


 花精がそう言うと、蝴蝶は望み通り金属を折り曲げて作られた細かいものを摘むためのそれを手渡す。

 切り取られた皮膚は鑷子が慎重に摘むと、浅い盆の上に入れられぼろりと崩れる。


「次はこっちだ」


 花精がくるり、と百八十度身体を回転させると、そこには腹臥位うつぶせで眠る雲嵐の同僚である男の姿があった。


「貴方の皮膚、有難く使わせて頂きます」


 眠っている相手だというのに、もう一度花精は頭を下げると、ぱっと切り替え、刀をもう一度蝴蝶に貰い照準を太腿へ合わせる。



『皮膚の欠損が深く広いため、自己回復に相当の時間を要するだけでなく、生命を脅かすため、綺麗な皮膚を移植する』



 蝴蝶は先程园丁ヤンディンに教えられた植皮についての話を思い出す。簡単に言ってのけられたが、もとは他人のものであった皮膚を植え替えるなど、花精のような神業と言わしめる腕があって初めて成り立つ治療なのだろう、と理解する。

 そうこう考えているうちに、花精は皮膚切除を終えてしまい、身体の中の環境に近いように作られた塩水を貼った浅い盆のなかを、皮膚がゆらゆらと浮かぶ。


「よし、植皮に入る」


 またもや身体を大きく回転させ、雲嵐の方へ向き直した花精は、鑷子で塩水の中の皮膚を摘み、先程切り取って無くなった皮膚の上へ被せる。

 周りの野次馬はというと、理想的だが現実的に不可能でありそうな綺麗な皮膚をつけるという治療法に、無言で食い入るように見た。

 花精はそんな視線に気圧される事もなく、いつも通り皮膚を縫合する。

 雲嵐の熱傷の範囲は広く、皮膚を置いては縫うという作業を繰り返す。


 四半時30ぷんも経たぬうちに、雲嵐の肌は見違えるほどに綺麗なものになっていた。


「次はこちらだ」


 休む間もなく花精は立ち上がって、雲嵐の次に熱傷の深い仰臥位あおむけの体勢で眠る良人の傍へ寄る。もちろん蝴蝶もそれについて行く。

 また新しい刀を受け取った花精は、先程と同じように、炭化して感染症を引き起こす危険因子と成りうるその死んだ皮膚を、切り取ってゆく。


「熱傷は深いが範囲は狭い。この病人は自身の綺麗な皮膚で足りる」


 花精は言葉通り、刀をその病人の内側の太腿へと立てる。

 そして切り取った綺麗な皮膚は、熱傷を切り取られた場所へと植え替えられる。

 そして全ての患部を抜い終わった頃にやっと、四半時が過ぎただろうか。時さえも花精の御業に見惚れ、針を刻む事を忘れたのではないかと思わせる程の速さに、野次馬は驚く。


「次にいくぞ」


 花精はそう言うと、また身体を大きく回し、針麻酔をかけられた最後の病人へと向かう。先程から花精は物腰柔らかく暖かな笑顔を浮かべている余裕など失い、限りなく素の状態で術式にあたっている。花精を追いかけている女達は、普段見れないような花精を見る事が出来て喜んでいるようだが。


 赤い皮膚の上に、ちらちらと白く浮き出た皮膚が目立つ。花精はまた、刀を受け取り死んだ皮膚を切り取ってゆく。しかし、今度は小範囲のため植皮は行わず自己回復に期待するという。


「…術式終了」


 半時も経たぬ間に起きた奇跡を目にした野次馬達は、大いに盛り上がる。そんな歓声など慣れているのか、蝴蝶の他にも医女を呼びつけ、患部を乾燥させないために膏薬を塗ることと、その後に包帯を巻くように言いつけると、背中に人々の明るい声を浴びながら執務室へと消えた。



「術式お疲れ様です」


 花精の言いつけ通りの治療を終えた蝴蝶は、執務室を訪れていた。花精の好きな異国の紅い茶を淹れて。


 執務室で疲労のあまり突っ伏していた花精は、蝴蝶の気持ちが良い声と茶の香りに身体を起こし「お前もご苦労だった」と労う。


「花精様、最近寝ておられないそうだとか」


 蝴蝶の指摘に、花精の茶を飲む手と喉が刹那止まる。図星のようだ。


「ンム…まぁ、仕方ないことだからな」


 ここ数日、柳のような女の治療にあたるため、家中の本棚をひっくり返す勢いで医療書を読み漁り、さらには故郷からも医療書をわざわざ取り寄せているので、帰宅すれば寝る間も、食べる間も惜しんで読んでいる、ということを园丁ヤンディンから聞き、少しは休息を取るように言ってくれと頼まれてしまった。


「治す側の立場である私達が病に倒れてしまっては、本末転倒だと以前お話したはずですが」


 じとりと睨む蝴蝶に、花精は「そんなことも言っていたな」と力なく笑う。


「貴方様はこの恵民署ヘミンソ提調チェジョなのですから。どうか、私達部下を使って下さい」


 本来なら提調とは、書類仕事だけをして恵民署の運営方針を決定するものなのだが、花精は書類仕事をするだけでなく、自ら診察、治療、当直までしてしまっている。


「せめて今日はこの後の診察をお休みになって下さい」


 今まで部下を持ったことなどない、というように困った顔をする花精へ、蝴蝶がそう提案、否、お願いをする。


「しかし仕事だからな」


 お願いを遠慮しようとする花精に、蝴蝶は一歩踏み出して近づく。


「休める時に休む事も仕事です!──それに、診察ぐらいなら、有能な医官と医女が済ませてしまえますが───花精様は自身の部下を信用していないのですか?」


 間違いなく怒りの感情が乗せられた声に、花精は返す言葉も気力も無く押し黙る。


「では今日はもうご帰宅なされますか」


 説得することに成功した、という確かな手応えを感じた蝴蝶は、一歩下がって距離を取る。


「いや、今日術式を行ったあの病人達が気になるからな………、仮眠室で休憩を取った後様子を見たい」


 仕事の悪魔に取り憑かれてるのではないかと思わせる発言に、蝴蝶は大きなため息をつきそうになるが、休んでくれるだけましだと、仮眠室までしっかりついて行く。

 執務室を出て仮眠室へ向かう途中、病人やそうでない者にまで声をかけられ、疲労が溜まっているだろうに、丁寧に愛想を振りまいて相手をする花精に蝴蝶は(本当に忙しい人だな)と心の中で独りごちた。


「仮眠室を使うのは初めてですよね?」


 窓が一つあるばかりの部屋に六つの病床と同じベッドが並べられ、あまり広いとは言えないが、寝るためだけの部屋に文句は誰も言わない仮眠室。蝴蝶がそう言って、狭い仮眠室を先に歩いて一番奥の床の敷布団を整える。


 履物を脱ぎ、簡素な床へ横になる花精がまさか、朱色の官服を着るような身分だとは到底思えない。


「こちらが掛け布団ですので」


 そっと布団を花精の上にかけると、その腕をいきなり掴まれる。


「少し傍に居てくれないか」


 まるで母の腕の中を恋しがる子供のように言うものだから、手を払おうとした蝴蝶の動きが止まる。


「花精様が眠るまででよろしいのならば」


 この男はこうして数々の人間を虜にしてきたのだろうと思いつつも、腕を掴まれたまま 大人しく答える。 花精は「じゅうぶんだ」と言ってへにゃりと笑うと重そうな瞼を閉じた。


「本当にありがとう、蝴蝶」


 花精は寝言のように、目を閉じながらそう言う。


「蝴蝶が居てくれたから、今日の病人の生命も助かりそうだ。蝴蝶無しではは何もできない」


 感謝の言葉を述べているのか、弱気な言葉を述べているのか。ただ小さな声は静かな部屋に僅かばかりの余韻を残して溶ける。


「それ、私に助手を辞められないようにするための戦略ですか」


 普通の女子ならば、否、女子に限らず、男、それだけでなく全ての生物が、この花精に甘えるような囁き声と警戒心の無い素の表情で言われたならば、この場で彼を襲ってしまうだろうに、世界で一番自分がかわいい蝴蝶は冷たい言葉を返す。


「ん、はは…そうとも取れるな」


 このような態度をされたことはないであろう花精は、少し困ったように笑うが、どうやら満更でもない様子である。


「私の言葉が蝴蝶を捕らえる虫籠になったらすまない、とは思うが…これが本心だからなぁ」


 きっと、この男が胸の内を素直に話すのは自分だけなのだろう。そう、考えてしまった蝴蝶は鼻でふっと笑う。


「大丈夫ですよ、冗談です。花精様の助手の仕事はとてもやり甲斐を感じていますから」


 蝴蝶の声が天女の子守唄にでも聞こえたのだろうか、花精はその言葉にまた微笑むと、何かを呟きながらゆっくりと微睡みの中に落ちて行く。



「貴方の助手が務まる人間は私以外に居ないでしょうし」



 自尊心が高く、自己愛の強い蝴蝶は聞こえていないであろう相手にそう言うと、また笑う。その笑いには「私が手放せなくて当然だろう」なんて思いが乗っている。

 ゆったりとした時間が流れているせいか、蝴蝶も体重測定器が来てから、記録の収集と整理をしながら台所でも働き、さらに花精の助手を務める、という人に言えぬ程仕事に追われた生活を好き好んでしたからか。

 上体がゆっくりと重くなり、知らぬうちに意識を手放した。


ーーーーーーーーーーーーー



「遅いと思えば、やはり」


 仮眠室の入口、ため息をつくのは园丁。彼の目線の先には床にて眠る上司と、それに寄り添うようにして眠る助手の姿。


「こんな姿、誰かに見られたらどうするのですか」


 园丁はそう独りごちながら、二人の傍へ寄ると、眠る蝴蝶を起こさぬように軽々と抱き上げる。

 そして抱き上げた蝴蝶を花精とは対角線上の、一番遠い床へ慎重に寝かせてやる。


「いつになったら、皇子として人の上に立つ覚悟が出来るんですかね」


 またもう一つ小言を漏らすと、布団を花精の肩までかけた。




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