六、急患
「今日の当直は
医官や医女が利用する控室の壁には、当直当番の者の名前が書かれた小さな木の板が、かけられている。それぞれ医官から一人、医女が二人、医学生が一人と選ばれるのだが、どの医官の名前も無いかわりに、
庶民の診察を行うだけでも珍しいというのに、当直当番までしてしまうなんて、と夕餉の準備に入る前に確認しに来た
花精の隣の札には見慣れぬ
確かに花精は女と見紛う程の美しさではあるが、体つきはしっかりと男であるし、所作も所々雄という性が滲み出ている。
世の中色んな趣味があるものだと、勝手な想像を膨らませながら蝴蝶は鼻で笑う。
「医女は
一方見慣れた医女の名前に安堵を覚え、蝴蝶は台所へと向かった。
「今日の夕餉になります」
蝴蝶は当直室へ、丁寧に夕餉を配膳した。しなければならなかった。
本日当直の医女も医学生も、蝴蝶も、花精と园丁は執務室で食事を行うものとばかり思っていたが、なんと、当直室の数人がやっと座れる長机を前に、薄い座布団を敷かれた椅子に満足して座っている。
「ありがとうございます」
夕餉を配膳する蝴蝶に、花精は柔らかく微笑んで礼を言った。同席している関係の無い美雨が、頬を紅潮させているというのに、蝴蝶は笑みを貼り付けて「お礼なんて勿体ないです」と言って、ずっと感じている不快感に背中を撫ぜられ寒気を覚える。
秤娘はというと、位の高い花精が口にしない限り自分も食べられない、と言わんばかりにじっと見ていた。
蝴蝶が配膳を終え、自分の膳の前に座ると、花精が箸を持ち食べ始めたので、他のものも一斉に夕餉を口につけた。
「そういえば、今日の当直の医女は二人だったはずですけど、三人居ますね」
食事中、花精がそう言いながら、目で蝴蝶を捉える。この場には医女が当直の札がかけられていた秤娘、美雨と、札はかけられていなかった蝴蝶が居る。
「私は当直の皆さんの給仕と、病人の皆さんの朝餉を用意しなければなりませんので、基本
理由はもう一つあるが、敢えて出す話題でもないと省略する。
蝴蝶の返答に納得した花精は感心する。その後も蝴蝶だけでなく、秤娘や美雨、同じく当直の医学生にも声をかけながら、食事を続けた。
その間ずっと、蝴蝶はこの全身を虫が這うような、不快感の正体を突き止めようと、花精を観察していた。その様子を园丁に見られていたことにまで、蝴蝶の視野が広がらなかった。
「花精様、明らかに不審に思われていましたよ」
食事を終え、殺風景な執務室で椅子に腰掛ける花精にそう話しかけたのは、园丁だ。花精は「うん?」と返しながら頬杖をつき、ぼんやりと何のことかを考える。
「蝴蝶という医女が、食事の際ずっと花精様を訝しんだ目で見ていました」
ああ、と声を上げると、花精は笑った。
「だとするとあの上辺女は同族が嫌いというわけか」
にやにやと意地悪く上げられた口角、白く眩しい歯が覗く。
「貴方様の仰る正体が出ていますよ」
园丁は諌めるように言えば花精は「すまないすまない」と言うが、謝罪する気があるのかは分からない。
以前提調を勤めていた
この部屋にあるのは、元から置かれていた本棚、机、椅子、そして花精が持ち込んだ、持ち運びが出来る木製の小さな薬箪笥のみ。
花精が薬箪笥の上段を開ける。中に入っていたのは、薬や草などではなく、金属であった。
その中の一つを手に取り、花精は鈍く光るそれを見る。
もう一つ、鋏のような形をしたそれを、薬箪笥から出そうと触れた時。
「助けて下さい!!」
女の悲鳴まじりの声が恵民署に響いた。
「どうしたのですか」
その声は恵民署の外からのものだったようで、花精と园丁が執務室から飛び出ると、厚い木の扉から幼子を抱えた女が入っていた。
扉を開けた医学生も医女三人も集まっており、花精の登場にさっと道を開ける。
「うちの子が、銭を誤って飲んだんだ、ひっくり返しても叩いても出てこないもんで」
この国の銭は紐を通し、持ち運びがしやすいように穴が空いている。が、紐が通れば良いだけの大きさであるため、それほど大きくはなく、いつ唾液や粘液がその穴を塞ぎ、窒息してしまうか分からない状態だった。
「施術室に!」
花精は女から子供を受け取り抱えると、足早に施術室に向かった。施術室は普段は鍼灸の治療等に使うだけで、あまり使用されることがない。
そこで何をするのか分からないまま、医女も医学生もついて行く。
「美雨、
早口に命令が下る。全員、突然の事に頭が白くなりかけるが「はい!」と返事をするとそれぞれ走って向かう。
「园丁は鍼を」
喉を抑えて泣く子供を施術台に乗せる。
「良いのですか」
园丁はこれから行われる治療を理解しているため、本当に良いのか確認をとってしまう。
「麻酔が効くまでに時間がかかる、時間との勝負だ。母親には私が説明する」
先程まで意地悪な笑みを浮かべていた上司とは思えない、真剣な瞳にそれ以上何も言わず、この部屋に置かれていた鍼を手に取る。
そして、痛みを和らげる
「なんて、言いました?」
花精と話す女は、花精の言葉に顔を青くし、信じられないともう一度聞き直す。
「ですから、お子さんの喉を切って開き、直接異物を取り出します」
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