怪しい炎
十二、怪しい炎①
朝日が顔を出しはじめ空が白んで来た頃。都の外れ、寂れたぼろ家が目立ち始めるところ。おしくらまんじゅうのように建てられた家の僅かに出来た隙間にて、背中を丸める影。
闇の中で輪郭が溶けたそれは、橙色の光に照らされてぼんやりと姿を露わにする。
だんだんと大きく育つその光を、立ち上がって満足そうに眺める。
「皇子っあっおまっお前のセセセいだ、とめろ、こっこっこっこれハ、もう駄目だ、お前ががががが撒イタ火種だ、親友よ、出テコイ、早く、ころっころろろっろシテヤッ、罰しろ」
それはやがて家をも飲み込む程の大きさとなり、ごうごうと恐ろしい唸り声をあげる。
炎を育てた張本人は足をもつれさせながら後ずさり支離滅裂な言葉を並べる。その
「見つけたぞ!」
自身が炎に巻き込まれては意味が無いと退散しようとしたその時、背後から怒号が飛んでくる。
声を荒げた人物は青い衣装を身に纏い太くて赤い縄を腰に巻き付け下げている。その姿を見た影は、退路を塞がれてしまい燃え盛る炎の中へと逃げる。
「待て!」
青い服の男はそう言って追いかけるが、待つわけなど無い。炎の中は息を許さぬ程に熱い。姿勢を低くし、逃げた影を探すと足元がちらりと炎の中に浮かぶ。
すぐさまそこへ向かい、足首を掴むと影は倒れその姿を青い服の男に現す。
「お前は…!」
影が見せた輪郭をはっきりと見た青い服の男は驚きのあまり声を漏らした。
ーーーーーーーーーー
時と場所は変わり都の西部に位置づけられた
そこにて恵民署の
「ではそこに立ってください」
機嫌が良いため蝴蝶の愛らしさはいつも以上に増し、訪れる病人の視線をいくつも奪う。否、奪われるのは病人に限った話ではなく同じく恵民署で働く医官や医学生、医女からの視線までをも奪っている。
そんな飛ぶ鳥を落とす勢いで愛らしさが止まらない蝴蝶は澄んだ歌声のような美しい音色で、記憶を失った友人にとある木の板の上に乗るよう促す。
その友人は言われた通りに乗るのがここ数日の日課となっていた。
「はい、体重は
蝴蝶がにこりと笑って微笑むと、その柳のような印象を思わせる記憶を失った女は照れながら笑う。
そう、この恵民署には
体重とは栄養状態を如実に現すが今まで見目だけで測ってきた。しかしそれは価値観や理解の相違から評価にばらつきが生まれやすい主観的なものであったが、体重測定機が数字として客観的な情報を提示することでより信憑性の高い評価が出来るようになった。
栄養状態についてより良い評価が実現したことで蝴蝶はずっと機嫌が良いのだ。それと、数字が順調な体重の増加を分かりやすく表してくれる事も蝴蝶の機嫌が良い理由でもある。
「この調子で頑張りましょうね」
これからはこの体重測定機を使い、性別、年齢、身長などの条件で絞込んだ体重の平均を出せばより栄養状態評価の基準として有用出来るのではないかという期待を抱く。
「蝴蝶!」
柳のような女の、今日の体重を記録し終えこれからを想い足取りが軽くなる蝴蝶の名を呼ぶ、男の声。
その声は緊迫感で満ちているはずなのに枯れた木々すら蘇らせそうな程の美しい声。蝴蝶に負けずとも劣らない美しさを持った男など恵民署には一人しか居ない。
その声のした方へ蝴蝶は慌てて向かう。恵民署の入口の扉近くへ行けばやいのやいのと群がる野次馬に囲まれた美しすぎる提調、
「熱傷の急患だ!」
野次馬をかき分け花精の傍へ行く。そこには花精が抱える青い服に赤い縄を腰に巻いた意識が明瞭ではない男と、あちこちに熱傷を負った良人であろう男女三人が肩を抱えられなんとかこの恵民署にたどり着いたという様子であった。
花精にいつも付き従っている
「その茣蓙に全員並べて下さい、患部を冷やすための水と感染予防のための膏薬を!」
手の空いた花精は医女や医学生に命じると命じられた者達は散るようにしてそれぞれの役目を果たすために走る。その確認もしないうちに花精はもう一人の青い服を着て赤い縄を腰に撒いた男の傍へ駆け寄った。
「あの男は私の同僚なのです、事件の鍵を握る大切な男ですから、どうか助けてやって下さい」
傍に寄った花精の肩を強く掴んで懇願する。頼まれずとも尽力するがその男もそれほど迄重症でないとはいえ熱傷を負いながら彼らをここまで連れてきたようで疲労感が漂っていた。
「わかりましたから貴方もあの茣蓙へ並んで下さい」
そう言って花精と蝴蝶は二人でその男を支えて茣蓙へ寝かせた。
ずらりと並んだ病人をぱっと見ると花精は術式道具を持ってくるように命じ、园丁には最初に連れた意識の無い青い服の男と一人の良人に針麻酔をするように命じる。
(熱傷の病人に何をするつもりだろうか)
熱傷の病人への治療といえば水で冷却した後膏薬を塗るのが主流だ。蝴蝶は不思議に思いながらも迷いなく準備する。
「すみません、同僚と仰いましたよね?」
蝴蝶と园丁の準備を待ってるあいだに、意識がある方の青い服の男に花精は話しかけた。
「あぁ、えぇ、そいつは
雲嵐という名の意識を失った青服の男は捕盗庁の者らしい。悪事を働く者を見つけ次第捕まえその腰の縄で縛り上げる彼らはこの都を常に見回っており火事を見つけたところ被害に遭ったのだろうという事が推察できる。
「その馴染み深い同僚を救うためには、貴方の皮膚が必要です、提供して頂けませんか?」
花精の突然の申し出に意識がある青い服の男は言葉を失う。皮膚を提供など、生きてきて聞いた事が無い。
「それはつまり」
うまく事態を飲み込めず聞き直すがそっくりそのまま同じ事を言われてしまうので、本当に聞いた通りなのだろうと男は観念する。
「分かりました、彼を助けるためなら…私の身体を好きにしてください」
花精は頭を下げて礼を言うと园丁にすぐさまこの男にも針麻酔をするように言う。そして花精は術式をする際の格好をするために執務室へ飛んで行くように入る。
そこへ入れ違いに蝴蝶が術式道具一式を持って来る。
「园丁様、花精様は?」
針麻酔をしていた园丁へ花精の行方を尋ねると術式のための格好をするために席を外したと伝えられる。そこで蝴蝶は針麻酔をかけられた病人とかけられていない病人を見比べて首を傾げた。
茣蓙に並べられた病人は全員で五人だ。一番左から順に、最も重症であろう雲嵐は針麻酔を既にかけられている。その隣に同じような格好をした男は不安げな顔で針麻酔を受けている。その隣は良人で雲嵐ほど熱傷の範囲は広くは無いが深さは雲嵐程の病人が針麻酔を受けた後。そして隣は痛みをそれほど顔に表していない良人が針麻酔を受け、痛みに苦悶の表情を浮かべる良人が針麻酔を受けていない。
「何故痛みを露わにしているあの良人には麻酔をかけないのですか」
蝴蝶は园丁に尋ねた。
「あの者が一番熱傷が浅く、薬で治ると花精様が判断されたからだ」
その答えにさらに蝴蝶は首を傾げてまた尋ねる。
「では麻酔を受けてない者の隣の病人はさほど痛みを感じていないようなのに何故麻酔を受けているのですか?」
麻酔をかけられてない病人は膏薬を持ってきた医女に言葉通りそれのみの治療を受けて悲鳴をあげている。
「あの者は痛みを感じる流れすら焼かれる程の深い熱傷だと花精様が判断されたからだ」
なるほどと蝴蝶が納得するともう一つの疑問を尋ねる。
「ならばあちらの比較的熱傷の軽そうな捕盗庁の方が麻酔を受けているのは?」
誰よりも熱傷が軽そうで周りをきょろきょろと不安げに見渡すような余裕がある素振りからとても針麻酔をする理由が見つからないと蝴蝶は思う。
「それはこれから花精様が植皮術式を行うからだ、」
「植皮術式?」
蝴蝶は耳慣れぬ言葉を復唱した。
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