十八、怪しい炎⑦


 騒動から一夜明けた朝、蝴蝶フーティエのいつものように朝餉を運ぶ姿はなく、恵民署ヘミンソの外、賑やかな都を歩いていた。

 ほとんど恵民署の中で過ごしてきた蝴蝶が、珍しく都を歩くのは、休みの日の散策でも、おつかいを頼まれたからでもない。

 昨日暴れたあの男の、消えた女房と子供の謎、またその人に関して、何か聞くことが出来れば、馬鈴薯マーリンシューの毒についての謎を解き明かす事が出来るかもしれないと、捕盗庁へ向かっている。


 捕盗庁への道すがら、蝴蝶へ老若男女問わず様々な人間からの熱い視線が送られる。その視線に蝴蝶本人が気づかないわけもなく、気持ちが良さそうに胸を張って歩く。

 見るだけでは我慢ならず、声をかける者が居ても不思議ではないのだが、そうはさせないのが蝴蝶の美しさだった。あるいは美しさに釣り合う自信を失わせたり、あるいは抜け駆けはさせないという意識を芽生えさせたりする。

 そのため、蝴蝶を求めて争いが起きる事など、これまで一度も無い。己の自己満足よりも蝴蝶の幸せを優先させたいと思わせるその美しさは、もはや平和の女神だろうか。

 蝴蝶は自身の美しさを過大評価しすぎている部分もあるが、その美しさは確かなものなのだ。


 そうして、蝴蝶は自身へ送られる熱い視線をめいっぱいに浴び、上機嫌で歩くうちに捕盗庁の前へついた。

 厚い木の扉に厳格な門構え、大きく捕盗庁と書かれた看板から見るに、恵民署の門と作りは似ているはずなのに、どこか背筋を正させる雰囲気を纏っている。

 捕盗庁など無縁だった蝴蝶は、どうすれば良いかを羊然ヤオレンに聞いており、予め脳内で何度も試行していた。ひとまず、捕盗庁の門番をしている二人のうち一人に話しかける。


「あの、すみません、尋ねたいことがあるのですが」


 先程から捕盗庁の前で立ち止まった美しすぎる少女のことが門番も気になっていたようで、自分に話しかけられ、はやりそうになる気持ちをなんとか抑えて、あくまで冷静を装い対応する。


「なんだ?言ってみなさい」


 威厳は失わないように、それでいて優しく対応しようと務める門番の姿を遠目に見る、もう一人の門番は羨ましそうにしている。


「私は西の恵民署で働く医女なのですが、先日火事による事故でここに務める方が運びこまれてきまして」


 蝴蝶の言葉に門番は少し考える様子を見せるが、いまいち記憶の琴線にひっかからないのか、理解をしていないようだった。おかしい。当日のうちに捕盗庁には、所属している二人が入院する事を伝えたはずなのだが。


「その方について、お伺いしたい事があるのですが?」


 門番の男はそうは言われても、何の事かわからないと困った顔をする。


「とにかく、かけあってみるからここで待っていなさい」


 だんだんと不安げに、しおらしくなる蝴蝶が見てられなくなったのか、門番は親切にも捕盗庁の中へ入っていってくれた。

 こういう時に自分の美しさ、愛らしさは便利だと、けろりとした様子で門番の帰りを待つ。


 そして、少しして帰ってきた門番に、中へ入るように促される。


令監ヨンガム様のお部屋に案内しますので」


 蝴蝶の先を歩く門番は、どこへ連れてゆかれるのか不安げな蝴蝶にそう話しかけた。

 令監とは、恵民署でいうところの提調チェジョのようなもので、つまり捕盗庁の一番偉い人となる。そんな人に呼ばれるような事だろうか、ただ少し話を聞きたかっただけなのに、というのが蝴蝶の心情だ。


 捕盗庁の門構えと恵民署の門構えは似ていたので、中も似たようなものかと思えば、そんなことはなく、敷地内は殆ど庭が占拠していた。その中心では稽古を行っており、恵民署では聞くことの無い男達の揃った掛け声が響いている。

 そんな風景を横目に流しながら、庭の端を歩いているにも関わらず、稽古中の男達は美女が入ってきたぞと、何人かが素振りをする手が止まってしまう。

 稽古中の男達を纏めている偉そうな男も、少し蝴蝶をちらちらと気にしながら注意をしている。

 そうして歩いた先には、ひびひとつも見当たらない瓦屋根と、太い朱の柱が映える大層立派な建物の前へとつく。門番はそそくさと、その扉の前で頭を下げて「連れてきました」と大きな声で知らせた。


「通れ」


 門番は「はっ」と返事をすると扉を開け、蝴蝶に入るように手で招く。大事になってしまったなあ、と思いながら、少し早くなる鼓動を服の上からおさえ、中に入った。


「失礼致します」


 中へ入ると、そこは蝴蝶が普段見るような執務室とは少し違っており、無駄な装飾品が多いように感じる。ここが海から遠い故か、貝の加工品をふんだんに飾り付けており、きらきらと陽の光を反射してとても美しい。

 華美な部屋の主人は、最近流行りの装飾が施された長椅子にゆったりと座っており、長髭を蓄え朱の官服に身を包んでいる。

 蝴蝶は令監の目の前で、両の指先を合わせて、肩の高さまであげて、挨拶の体勢に入る。


「挨拶などよい、とにかく早く雲嵐ユンランから聞いた犯人を言え」


 頭を下げながら膝を折ろうとするなり、挨拶を制止され、待ちきれないといった様子で、犯人というものを言うように言われるが、蝴蝶には思ってもいなかったことで固まってしまう。


「聞いてきたんだろう?連続放火事件の犯人を」


 連続放火事件といえば、昨夜暴れたあの男から聞いた物騒な事件で、それを雲嵐が追っていたという事も言っていたなと思い出しはしたが、雲嵐から犯人なんて聞いていない。


「すみません、雲嵐様は火事で喉まで焼けていまして、未だ発声する事が難しい状態で、その、犯人というのは」


 花精ファジンの術式のおかげでなんとか一命をとりとめたが、死の瀬戸際を渡っていた雲嵐は、未だ火事の爪痕が深く残っており、発声障害もそのうちの一つだ。犯人など聞き出せるわけが無い。


「なんだ、ならなぜこんなところに来た?」


 拍子抜けした様子の令監は、目を丸くして蝴蝶に尋ねる。


「雲嵐様と同じように、我が恵民署に入院された方についてお伺いしたい事があって、こちらに」


 蝴蝶の言葉を聞くなり、乗り出していた身を引っ込め、つまらなさそうな態度に変える令監へ、そっちが勝手に勘違いしただけだろ、と言ってやりたくなるが、心の内だけに留めておく。


「ふん、そんなことなら他の奴にあたってくれ。許可はしてやろう」


 これですぐ帰るように言われれば、蝴蝶にはどうしようもなかったが、捕盗庁での聞き込みを許されただけ及第点だ。


「ありがとうございます」


 腹の内ではどう思っていようとも、位の高い相手には礼節礼儀をもって接さねばならない。

 礼を言って立ち上がり、頭を下げたまま退室をしようとする。


「ああ、いや、まて」


 そこで、令監が手で蝴蝶を止める。


「二人がそちらの恵民署で世話になっていること、火事の件は呉々も口外せんようにな。特にこの捕盗庁では」


 そう釘を押すと、さっさと出て行けと言わんばかりに、手をしっしっと振る。


 令監の執務室から出るが、誰から聞いていこうか見当もついていない。そもそも火事や恵民署の事を説明せずに、どうやってあの男について聞けばよいのだろうか、つくづく偉い人というものは無茶を言う、とどこかの手先が器用な顔だけがいい提調の事を思い浮かべ、鼻で笑う。

 今こうして思い返してみれば、門番に雲嵐について尋ねた時、ぴんときていない返事をしていた理由が分かる。彼ら二人に今起きていること、また連続放火事件について、この捕盗庁ではあの令監が一切の情報を与えていないためだ。

 そも、何故そのような事をする必要があるのだろうか。


 立派な執務室を出て少し歩きながら、考え込む。

 ひとつの考えが浮かぶなり、蝴蝶は足を止めた。



「この捕盗庁の中に、事件について知られたくない人物が居る…?」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る