十七、怪しい炎⑥
「
「蝴蝶、根拠の無い言いがかりは」
そう言葉を挟んだのは、後ろで静かに控えていたはずの
「お前は賢いからな。いつか、気づいてくれると思っていた」
その口ぶりだとまるで、気づくようにわざと蝴蝶へ疑問を与えていたように聞こえる。含みのある笑みを浮かべる上司に、园丁も不可解だという顔をしている。
「私は西の隣国、
写萬国。それは約二十年前から間王国と交易などにより、密な関係となった友好国だ。
人口の多さと、どんな環境でも生き抜く強かな国民性の間王国と、写萬国のさらに西にある、芸術と兵力両方が高水準を誇る、奇跡の国
なので、大国に挟まれた写萬国は、十数年程前から多方面の技術を練磨し、他国と渡り合う国際交流手法をとっていた。このことから、花精の故郷というものが、何故、医術に長けているのかという理由が分かる。
「交換留学のようなものでな。この国に住む昔から私をよくしてくれているおじさんが、私の医の視野を広めるためにと、この地位や術式器具など色々と手配してくれたんだ」
花の柄、という本来ならばありえない胸章があしらわれた官服、相当な技術と金を要するであろう術式器具が当たり前のように届く事など、今までの疑問が花精によって答え合わせをされる。
「それで、何故、今こんなことを?」
花精が異国人という事実は確かに珍しくはあるが、それを尋ねる機会は今でなくとも良い。
「それは──あの病人が突然に暴れた時、献立を見るなり異国の食べ物だ、毒だと叫んだのです」
今夜の夕餉の献立は輸入品を使っていない。そもそも、輸入品は高価なので
そして、今夜出した献立のいつもとの相違点といえば。
「そうか、
花精は全てを察して、蝴蝶の代わりに口にした。
いつもの献立の唯一の相違点である、花精が故郷から取り寄せたという馬鈴薯。
この国では植物学者ぐらいしか知らぬそれを、異国からきた野菜だと、男は何らかの方法によって知っていた。
そして、知った上で、それを毒だと言った。
「馬鈴薯には毒があるのですか?──いえ、調理法によっては毒と成りうるのでしょうか?」
蝴蝶が質問を変えたのは、調理法によっては毒が消える食べ物も、毒となる食べ物も知っているからだ。男はもしかしたら、調理法によって毒となる食べ方を見たか聞いたかして、その馬鈴薯自体が毒物として覚えていたかもしれないと考えた。
「──いや、私の国で古くから食べられているからな。そのような事があれば、私も知っているはずなのだが」
もし、そのような事を知っていたら、調理の担当もする蝴蝶に教えないはずが無い。
「ありがとうございます」
意を決して異国人だろうと言ったというのに、何の情報も得られずに声が暗くなってしまう。
「私が原因でもあるからな、明日にでも知り合いの植物学者にあたってみよう」
蝴蝶はもう一度礼を言う。
「今夜はもう寝ろ、蝴蝶」
蝴蝶を気遣って、話のきりがいいところで休むように促す花精だが、曖昧な返事しか返ってこない。
促しても仮眠室へ行く素振りも見せずに座り込んで考え込む蝴蝶に、痺れを切らした花精はがたりと立ち上がる。
「…」
立ち上がった花精を見上げると、無言で見下ろされる。言葉にはならないが、早く寝に行けという思いがその無言の中に込められていた。
「わかりました」
花精の無言の圧力に負けた蝴蝶は、そう言って立ち上がり、仮眠室へ向かう。
「どこまでついてくるおつもりですか」
仮眠室へ向かう少しの道、蝴蝶のあとを花精がつける。花精は今夜の当直当番ではないので、仮眠室になど用は無いはずだ。
「あの時、お前は私が本当に眠るまでついてただろう?それと一緒だ」
廊下、月明かりに照らされる美しすぎる顔に、悪戯な笑みが乗る。人が人ならば、理性など忘れさせるその蠱惑的な魅力は、月明かりで一層増している。
「あの時は、仮眠室を使用された事がないであろう花精様のために、お供させて頂いただけで、今のあなた様のように面白半分などでは」
他愛のない会話を交わしながら、歩く。しかし突然として蝴蝶の言葉を紡いでいた唇が強ばる。
不自然に空いた会話の間を不思議に思い、花精は辺りをちらりと見れば、ここは先程暴れだした男の病室の前だった。
蝴蝶の意識とは関係なく震える手。毒が何かを見つけ出してやる、という目的を明確に立てた事で、心に出来た恐怖からは目を逸らしていたが、やはり彼女も一人の少女。
ただでさえ、目に入れても痛くない程に可愛がられてきた蝴蝶は、大きな男に乱暴にされる経験などあるはずがなく、蝴蝶自身、この恐怖が初めての経験で、どう処理をすればよいのか分かっていなかった。
こんなことで恐れていては駄目だと、また恐怖から目を逸らして足を踏み出す。何の話をしていただろうか、数秒前の話題を続けてなんとか時を戻さないと。
「蝴蝶」
異変をすぐに感じた花精は、蝴蝶の手を掴み引き止める。
「──お気遣いありがとうございます」
先程、花精の言っていた、泣いてもいいという言葉の意味が少しだけ理解できる。が、
今も弱い姿を見せたと自分を恥じ、なんとかして平気だという様子を振舞おうと、礼だけ言う。
心配性なのかお節介なのか、とにかくこの手を振り払わなければ、蝴蝶はきっと自分が一番嫌う姿を、弱い自分を花精に見せてしまうことになる。力を入れて手を引き抜こうとした時、逆にその腕を花精に強く引かれた。
ふわりと花の香りが漂う。上品な甘い香りと上質な医服が繊細に包み込むが、男であると知らしめる腕の太さ、厚い胸板が蝴蝶を力強く抱く。
「花精様」
突然のことに、なんとか解放されようと身を動かすが、天女のような顔をしていても、力はしっかりと男で、適うわけもなく。
とにかく名前を呼び、どういう事なのか状況を整理しようとするが、花精は何も言わない。
「花精様?あの」
あまりにも無言のまま抱かれ続けるので、いよいよ怖くなり、言葉の尻が強くなる。とうとう蝴蝶の足が抵抗のために蹴りあげようとしたその時、また唐突に肩を掴まれ、すこしの距離がうまれる。
「一体何がしたい──」
「
何をしたいんだ、と怒気を乗せて言葉をぶつけようとすると、蝴蝶の手をとり、手の甲に、花精の唇が、そっと。
「なっ──」
呆気にとられるほど不可解な行動に、言葉を失う。
呆気にとられるほど不可解な行動をしても、美しくなってしまうその姿に、また言葉を失う。
「ほら、手の震えが止まっただろ」
距離は近いままなので、甘く蕩けるような囁き声が、蝴蝶だけにかけられる。
「──ふふっ、花精様があまりにも変なことをするので、恐さなんて吹き飛びました」
素直ではない蝴蝶から距離をとる花精。
「そうか、それならいいんだ、はやく寝に行け」
口を尖らせながら寝るように促す花精は、月明かりだけでは分かりにくいが、頬が少し赤く色づいているようにも見える。
蝴蝶はそんなことは知らずに「わかりました」と笑うと何事もなく仮眠室へと向かった。
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