三十一、血が無い!



──────────


元牛ユェンニゥ甲紫ジャズー园丁ヤンディン!」


 それぞれの医官、医女の名を乱暴に叫んだのは、施術室から顔を出した花精ファジンだった。

 今まで一度も、術式の途中で顔を出したことなど無かった花精が、しかも声に緊迫さを乗せている事に全ての医官、医女の身体が強ばるが、名を呼ばれたはすぐさま彼のもとへと駆けつける。


「元牛は清潔な病床ベッドを一台、施術室に持ってくる事」

「は、はい!」


「甲紫は昨夜の夕餉に使った鴨、あれの羽根の周りを削ぎ落として、軸だけを煮沸して持ってくること」

「─?はい!」


 二人は花精のとんちんかんな要望に一瞬の疑問を浮かべるが、すぐさま踵を返して足を動かした。


「园丁は何をやっている!?」

「花精様、遅くなり申し訳ありません。あの女に、鍼をうっていました。」


 花精は痺れを切らしたようにそう言うと、园丁は診察室から顔を出し、花精のもとまで駆けた。花精も治療行為を行っていた园丁に、それ以上は強く咎めることをせず、冷静に口を開く。


「血液適合検査を行う。器なら何でもいい、用意してくれ。あと、男をここまで集めてきてくれ」

「──!はい、直ちに。」


 园丁だけは、花精がこれから何をしようとしているかを理解する。

 园丁は何人かの医女に器の用意と、混ぜる棒の用意をそれぞれ命じると、入り口に屯していたままの武官達の方へ声をかける。


「これは我が恵民署ヘミンソ提調チェジョである花精様からのご命令です。」


 园丁は恭しく頭を下げる。

 が、その態度に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるのは、彼ら武官を率いてやってきた、帽子に孔雀の羽飾りを付けた男。


「今度は何だ?恵民署は我ら義禁府ウィグムブの機嫌を損ねるように教育でもされてるのか?」


 明らかな苛立ちと侮辱が乗った言葉に、周囲の医官達の目の色も、変わってくる。

 誰もが「お前らの機嫌を取るようにも教育されてねーよ」と唾を吐いてやりたい気持ちになったが、喉から先まで出すものは居なかった。


「気分を害されたのであれば、申し訳ありません。そのお咎めはまたの機会に甘んじてお受け致します。ただ、今は、もう一つご協力を仰ぎたい事がございます」


 義禁府に所属すると名乗った武官達の視線もまた、剣呑さを孕んでゆく。


「もうよい、この際何でも聞いてやろう、但しこの件が終わった暁には相応の処分が待っていると思え」


 しかし、孔雀の羽飾りの男は面倒になったのか、とうとう投げやりな態度になる。

 しかし、言質を取った园丁はこっそり、死角で笑みを浮かべた。


「ではイーという者の為に、血を頂戴したいと思います。」





「よし、よし、活きのいい男だ。血も嘸かし多いだろう。さあ、袖を捲り、腕を」


 园丁が足早にぞろぞろと連れてきた何人もの武官を見て、花精は片手にメスを持って、腕を出すことを促す。


「何をする気だ?」

「彼は今、体内の血が足りずに命の危機に瀕しています。そこで貴方達から、血を頂戴します」


 花精は羽飾りの男の問いに、なんでもないというように答えながら、一人の適当に抽出した武官の腕を、掴む。

 血は生命の源であることは、ある程度の学が無くとも、人間ならば本能的に感じる事だ。

 血が無いのならば血を入れる、至極簡単な道理に聞こえるが、果たしてそんな事が可能なのだろうか、と男は花精の言葉に耳を傾ける。


「誰彼構わず血を入れればいい、という訳ではありません。相性が悪い場合、血を入れられた者は死にます」


 死、という言葉に羽飾りの男は、反射的に「それは駄目だ!」と子供の駄々のように口走ってしまう。


「ええ、駄目です。ですので、相性が良いかどうか、今から調べるのです」


 花精は「痛くしますよ」と声をかけて、目の前の男の腕を、少し切る。

 そこからぼたぼたと赤い血が流れ落ち、予め血が入っていた器の中に入れられる。

 そして、器をかき混ぜる。

 かき混ぜていくうちに、血と血が混ざった液体は固まり、ぼそぼそとしたものになる。


「─駄目です。次の方!」


 そうして、何人もの医官から血液を少し提供してもらったが、益の血液と混ぜればたちまち固まってしまうものばかりだった。


「──最後は、貴方です」


 他人事のように事態を見守っていた羽飾りの男が、花精の綺麗な碧の目に映る。


「なっ、何故我がそのようなことをしなければならない!?」


 痛い事は部下にさせ、己は高みの見物。

 それで終わると思っていた男を、真っ直ぐな瞳が射抜く。


「彼の生命を救うためです」


 何のひねりも、誤魔化しもないその返答に、男は乾いた笑いを何度か喉から出す。


「っは、ははっ、なんだ、お前。あいつを死なせばお前の生命は無いと言ったから、そんなに必死なのか!」


「少し、違います」


「何が違う!?お前は、お前の生命が惜しいから必死なんだろう!?」


「私にとって、生命は全て惜しいものだッ!」


 それ迄柔らかな態度を取っていた花精が、眉間に青筋を立て、声を上げる。男はその迫力に気圧され、それ以上の言葉を紡ぐことが、出来なかった。


「──論点がずれた。さあ、腕を出しなさい」


 碧い目はいっそう冷たさを増して、男を冷ややかに見る。

 美人の有無を言わさぬ剣幕に、男はただ言う通りに腕を差し出すと、花精はただ一言「よろしい」と言った。

 どうか、益の血液と合ってくれ。そう願いながら、器をかき混ぜる。

 その結果は。


「───────駄目でしたか」


 結果は残酷にも、血液を固まらせて終わってしまった。


「仕方ない、益殿より体躯の大きな医官、見習いを全員連れてきなさい。园丁、お前もだ。腕を出せ」


 臨機応変に事態へ対処し、思考を切り替えていく花精の姿に、羽飾りの男は目が離せなくなってしまっていた。

 花精に開けられた傷口を、医女によって軟膏が塗られる。

 それすらも気にならない程に、花精へ、意識が奪われていた。


「わ、私もですか」


 突然問題の渦中に入れられた园丁は、咋な嫌な顔をする。

 しかし、花精が許すはずもなく、顎をしゃくって近くへ来るように促す。

 しぶしぶ花精に腕を出した园丁の腕にも刀をたて、血を少し採る。赤色が視界に映ったとたん、园丁の顔色は相反して真っ青になる。

 だが、园丁の血も、益の血には相性が悪かった。

 一刻を争う状況で、可能性を潰されていく。

 そこで漸く、清潔な病床を施術室へ運び終えたことを報告しに来た元牛が、花精のもとへやってきた。

 もちろん、彼の血も拝借する。が、結果はまたもや最悪。

 次々と花精の前に腕を出す男達から血を摂るが、とうとう、その全員と相性が合わない、という結果に終わってしまった。


「私はここで死なせるのか──?」


 頭を抱えて絶望する花精と、固唾を飲んで見守る男達。誰もがもうお終いだ、と思った時。

 花精の形のいい唇は、白い歯を覗かせた。


「まだ一人、居た。この私の血は、採ってないじゃないか」


 そう言うと、躊躇など無しに、花精は己の腕に刀で傷をいれるなり、血の入った器に注いだ。


「頼む、頼む──」


 天と血に、懇願するように花精は血を混ぜ続ける。混ぜて混ぜて、混ぜ続ける。

 が、血はいっこうに固まる気配がない。


「これは!」


 血が固まらない、つまり相性が良い、ということになる。先程から花精が血眼になって探していた血は、己の身体を巡っていたのだ。



「血は有った!よし、輸血が出来る!!」






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