三十、それぞれの戦場


──────────


 ごめんなさい。

 お父さん、お母さん、ごめんなさい。

 最期まで不出来な娘で、迷惑をかけてばかりで、ここまで育てて下さった恩も忘れ、逃げてしまいました。


 ごめんなさい。

 殿下、申し訳ありません。

 貴方様の記憶に掠りもしない存在で終わるはずだった私を、こんな形で殿下に認知してもらうなど。

 職を与えられ、衣と、食と、住を頂いた恩義を、このような形で返す事になってしまいました。


 ごめんなさい。

 イー様、ごめんなさい。

 私は、貴方様の人生を奪ってしまいました。けれど、それ程に、狂おしいまでに、貴方様を愛していたのは嘘偽りありません。

 愛おしい益様。

 愛おしい、益様。そんな、貴方様との、大事な、大事な。

 大事な子を、私は──。




 殺してしまいました。




──────────


「術式開始」


 真っ白な装束で全身を覆い、唯一露出する華美な目は瞑目のために閉じられる。

 それは祈りか、それとも。


「損傷部分は全部で五箇所。尺骨側左前腕、腰部左上、及び右下側、上腕骨付近肩甲骨、腓腹ふくらはぎ側右下腿。脈拍は…まだ正常。」


 腹臥位うつぶせにした男の、傷の場所を確認する。

 どのような経緯でこうなったかまでは推測の域を超えないが、益と呼ばれたこの男は背中を見せて逃げていたところに、何本もの矢が襲ったことだけは傷が物語っている。


「最初に腰部左上の治療にあたる」


 これ以上傷口を抉らないように矢が折られているというものの、鏃は深々と益の肉を食んでいる。まずは慎重に、この鏃を抜かなければいけない。


 花精ファジンが手をどこに差し出しても、目当ての術式器具を手渡してくれる存在は居ない。

 只それだけが、言い様の無い不安を煽る。

 それを払拭するように、メスを手に取った。

 周囲の肉を最小限に切り、鉗子かんしで固定する。

 慎重に、これ以上の血管を傷つけないよう、肉をかき分けて進む。


「──!」


 しかし、花精の水のように流れるような刀裁きが刹那、止まる。


「脾臓までいっていたか」


 花精がこの患部を一番に選んだ理由は、腓腹側右下腿の次に傷が深かったからだ。

 傷が深く、臓器の損傷も心配される患部から、治療に取り掛かった。

 花精の悪い予感の通り、鏃は脾臓にまで届いてしまっていた。

 だからといって、うかうかとしていられない。すぐに気を引き締め、刀を持つ手を握り直す。

 周りの組織を鉗子で把持して、慎重に、だが速さスピードをもって、鏃を抜いていく。

 さあ鏃が抜けた、というところで。


 どぼり。


 鏃が食い込んでいた脾臓から、吐き出されるようにして血が溢れる。

 抜ききった鏃は浅い盆トレーに雑に乗せ、鑷子ピンセットで掴んだ綿紗ガーゼを押し当て、止血と、周辺の血に溺れる組織を綺麗にする。


dummバカ野郎!」


 とめどなく溢れる血に、花精は無意識に言葉が漏れる。

 綿紗での止血は諦め、縫合に移る。

 彼の手は刀裁きも然る事乍ら、縫合の早さ、正確さも『神業』と呼ばれるに相応しい技術であった。


 鉗子と比較して、把持部が小さい剪刀ハサミのような持針器それで器用に丸針を掴み、縫ってゆく。

 着実に組織を縫合し、流血の原因を綴じる。

 最後には持針器と針を持ち替え、皮膚の縫合を終えた。

 花精がこの患部に取り掛かってから、かけた時間は四半時30ぷんすら経っていない。


「よし」


 パチリ、と縫合糸を剪刀で切り、一息吐くが、手は止めない。

 次の患部へと移った。


──────────



「女、今すぐにでもその女官の身柄を引き渡せ!」


 未だ高圧的な態度を崩さないのは、帽子に孔雀の羽飾りをつけた男。

 膝を折り、細い腕で己の身を抱いて震える柳のような女を、指さしていた。


「すみませんが、今はお控え下さい。この者は頭を患っており、とても動かせるような状況にありません」


 立ち上がれそうにもない柳のような女を介抱していた蝴蝶フーティエが、男を見上げて何か言ってやろう、と口を開きかけたところで、そう言いながら割って入ったのは园丁ヤンディンだった。


「医官の分際で、我に逆らうな!お前達、捕らえろ!」


 男が刺又の持ち手を地面に強く突くと、後ろで控えていた武官達は揃って「はっ!」と声をあげるなり、园丁を通り抜け、無骨な手で蝴蝶と柳のような女の腕を掴む。


「ッア、痛い、」


 無理矢理身体を持ち上げられようとしたところ、蝴蝶の傷口から全身へ走るような痛みが広がる。

 反射的に瞳には涙が浮かび、弱々しく顔が曇る。

 すると。


「蝴蝶ちゃんに乱暴をしたな」「蝴蝶が泣いている」「俺の蝴蝶になんてことを」「蝴蝶ちゃん!」


 蝴蝶の瞳から大粒の涙が零れた途端、恵民署の御座に座っていた男達、医官、果てには恵民署の外から覗いていた男達が口々に彼女の名を口にして、激昴を露わにする。


「な、なんだお前ら」


 あまりにも儚い表情を浮かべる蝴蝶に、彼女の腕を掴んでいた武官が心を奪われ気を弛めていると、何人もの男達が彼女達の周りをまばらに囲んだ。


「お前ら、我らに逆らうつもりか?叛逆罪として捕らえるぞ!」


 男が脅し、吼えたとしてもその怒りの炎が鎮火することはない。

 寧ろ、いっそうその激しさが増すばかりだ。

 武官と、男達が睨み合い、場には緊張の孕んだ静寂だけが残る。

 それを破ったのは、园丁だった。


「このまま無理矢理この病人を連れていかれますと、ただの良人も巻き込んだ揉め事になります。」


 今にも取っ組み合いが始まりそうな雰囲気を危惧してか、帽子に孔雀の羽飾りをつけた男もただ静かに园丁の言葉を聞き、彼を品定めするような目で見る。


「それに、この病人を連れてゆき事情を問ただそうとしても、今のような状態であれば真実が出る事は無いでしょう」


 交渉の機会チャンスが得られそうだと察した园丁は、思考回路を全回転させ、舌を動かす。

 彼らが、どのような真実を求めているかも知らないが。


「そこで。せめて、花精様の術式が終わるまでは待って頂けませんか。私達も花精様の術式とはまた別で、この女の治療に専念します。」


 頭を下げ、园丁は出来うる限りの懇願の姿勢を示す。

 それを最後まで黙って聞いていた男は、口を開き。



──────────


「────────────まずい。」


 花精が三ヶ所目の治療にあたろうとした所。

 大腿に刺された鍼から血圧と脈拍を確認し、花精はまたも声を漏らす。

 鍼の動きは小さくなり、それでいて早い。

 皮膚は生気を失っていくかのように、蒼白に染まってゆく。

 汗もじとりと浮かび、珠を作る。


「血圧低下、頻脈、呼吸数過多…」


 花精の額にも、汗が浮かぶ。


「出血性機能低下ショック症状ッ!」




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