四、新たな日常の変化


 繰り返しの毎日。

 恵民署ヘミンソにて生薬と共に働き、飯を口に運び、寝て、起きて、また恵民署に向かう。

 繰り返しの毎日の中で、季節だけが少しづつ変わってゆく。

 しかし、秤娘チォンニャンにとっての繰り返しの毎日が、先日、少し崩れた。

 自らは薬庫で、蝴蝶フーティエは台所で働くのが繰り返しの毎日で、当たり前だった。

 そして花精ファジンと名乗る謎の美青年が現れてからというものの、蝴蝶だけ繰り返しの毎日が一変し、台所で働いて一日が終わるという事が減った。

 しかし月日は、それすらも繰り返しの毎日の中に組み込んでいき、蝴蝶があの花精と共に施術することを当たり前とした。

 秤娘にとって、繰り返しの毎日を変えるきっかけは、いつだって蝴蝶だった。

 医女になるための科挙テスト勉強をしていた繰り返しの毎日を変えたのも、彼女だ。

 今回の些細な変化は、蝴蝶が恵民署からどこかへ毎日出かけていること。

 出かける際には必ず、あの少年を連れて行く。

 もやもやと胸の内にかかる霧の中に迷ったまま、恵民署へ向かういつもの道なりを歩く。

 あれだけ五月蝿いと思っていた蝉の混声合唱さえ、意識の遠く。


「あ、いた!秤娘!」


 恵民署の門をくぐってすぐ、聞きなれた少女の美しい声。

 下を向いて歩いていた秤娘は、跳ねるようにして首を上げる。


「貴女の力を借りたいのだけど。薬庫の今日の業務は、誰かに任せても大丈夫そう?」


 蝴蝶は、ひとつに結った長い黒髪を揺らして尋ねる。

 やはり、繰り返しの毎日を変えてくれるのは、いつだって──。




──────────




「本日の薬庫の業務は、全て魚運ユーユン様に引き継ぎをしました。」


 秤娘が袖に顔を埋めて、そう報告する相手は花精。

 幸運にも、昨日は薬庫の業務が少なかったため、秤娘しか出来ない、調剤の今日の業務を昨日のうちに終えていたため、魚運だけでも出来るような業務しか残っていなかった。


「ありがとうございます、秤娘。」


 花精は、とても柔らかな笑みを浮かべて、自分よりもいくつも身分が下の医女に丁寧な礼を述べる。

 しかし秤娘は、それが偽りの言動であることを、既に見抜いていた。

 その偽りの振る舞いは蝴蝶のようで、それでいて蝴蝶よりも分厚い仮面を被っている。

 それがどうにも、秤娘は好きになれなかった。


「さて、人を待たせているので、本題に入らせて頂きますね。」


 執務室の椅子にゆったりと腰掛ける花精は、姿勢を変えて、両の肘を机に預けて、顔の前で手を組む。


「先日、両班ヤンバンのお嬢さんが子を身篭られました。そのため、お腹の子が元気に育つか、しっかりと診て欲しいという依頼が寄せられました。」


 恵民署という機関は、庶民のための医療機関だ。両班のような貴族階級は、それぞれお抱えの医官が居るはずだが、その両班はどこかから花精の噂でも聞きつけたのだろうか。


「そして、この間王国で近年流行ブームとなっている健康志向。──今回のお嬢さんも、非常にその意識が高いのです。」


 戦争も少なくなり、平和が長く続く間王国では、今日明日生きる事に恐怖することが無くなった上流階級の貴族達は、数年先生きること、つまり長寿に興味を示し、色々な眉唾の健康法が流行っている。

 そのが少し下の階級の庶民達にも流れ、健康は国民達の大きな流行となった。それのおかげで、庶民達しか利用しないような恵民署も、かなりの忙しさに追われることになっている。

 突然そんな流行の話を切り出したかと思えば、花精の顔は少しだけ暗くなる。


「なので、どこからか独自に生薬を入手しては、服用しています。医官の指示も無しに、うわさだけを鵜呑みにして。」


 そこまで聞いて、秤娘の眉が僅かに動く。


「我が恵民署では、あなたが生薬においては一流スペシャリストです。そのあなたの深い知識と経験から、そのお嬢さんを何とか説得──。せめて、医官の処方した生薬のみを服用するように説得をお願いしたいのです。」


 花精はあくまで「お願い」と頼んでいるが、恵民署の提調チェジョからの頼みなど、もはや命令に等しい。


「承知しました。」


 秤娘の返答に、花精は顔を明るくする。


「それはよかった。本当に助かる。では、早速蝴蝶と共に向かって欲しい。」


 花精はそそくさと椅子から立ち上がるなり、秤娘と蝴蝶の背中を押して、早くその御息女の元へ向かうようにせかす。

 秤娘は状況が早く進みすぎることに訝しんだ顔をするが、蝴蝶は最早慣れたかのような顔つき。

 そしてそのまま執務室から追い出される。


园司ヤンスーにもよろしく頼みますよ」


 執務室の外で、笑顔でそう言うなり花精は茣蓙の上で診察する园丁ヤンディンのもとへ行く。

 蝴蝶だけが状況を把握し、袖に顔を埋めて承知するので、秤娘もそれに合わせておいた。




「なんだ、今日はもう一人増えんのかよ」


 恵民署から出るなり、外で待ち構えていたのは、先日、恵民署から出ていく蝴蝶と親しげに話していた少年。

 秤娘の読みは少し外れていたようで、最近声変わりをしたような声色、同じような目線、躾がなってない粗暴な口調は予想よりも低い年齢だと感じさせる。


「紹介しますね。こちらは秤娘。生薬の知識が深く、王宮にも務めたことのある医女です。」


 口を尖らせる少年を宥めるように、蝴蝶は笑顔と優しい言葉遣いで、やんわりと少年の先の言葉を奪い、紹介をする。

 紹介された秤娘は、あまりにも失礼な態度をする年下であろう少年は自分より上の身分なのだろうと、袖に顔を埋めて礼をする。

 間王国では儒教の考えが強く根付いているため、年配の方を敬うように口酸っぱく躾られるが、それでさえも身分の前では意味が無くなる。




「そうか。俺は园司ヤンスーだ!よろしくな、そばかす女!」




 园司と名乗った少年は、眩しい程の笑顔で、無礼すぎる挨拶をした。

 礼をしたままの秤娘からは、表情が伺えない。





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