十二、嘘と恋



 咄嗟の事態に二人とも忘れていたが、数刻前に喧嘩をしていた。互いが互いを正しいと思った故の、衝突。

 帰り道の徒歩は、少しだけ気まずい空気が流れる。


「少し考えたんだけど。秤娘チォンニャンは私のために言ってくれたんだよね。」


 はじめに言葉を切り出したのは、蝴蝶フーティエ。秤娘も何か話さなければ、と思案していたのだが、終ぞ言葉が唇の先を出ることは無かった。

 蝴蝶の問いに、秤娘は答えあぐねる。始めは、そうだった。一人の患者に入れ込んでしまうと、自分の心が壊れてしまうから。

 しかし、秤娘が怒ってしまった理由はそこに無い。


 蝴蝶が、自分の言うことを聞かないから。


 こんなにも貴女を思っているのに。そんな自己中心的な考えに支配されたから。蝴蝶は、そう思ってくれなどと頼んだわけでもないのに。

 なので、本当に蝴蝶のためだけを思ったのならば、自分が怒るのはお門違いだったのだろうと考え、答えられなかった。


「やっぱり、一人一人の心に寄り添いたい気持ちは変わらないわ。」


 真っ直ぐと前を向いて歩く蝴蝶を、秤娘は目を細めて見つめていた。否、見蕩れていた。

 強い意思に、強い輝きに。

 天に輝く太陽はもうくだり坂。けれど、隣の太陽は心の浮き沈みに左右されるけれど、いつだって輝きを失わない。

 そんな姿が憧れであり、羨望であり、何としても手に入れたい存在であり。


「だから、関わり方を間違えて、貴女に心配をかけちゃうかもしれない。でもね、そういう時は優しく見守ってくれたら嬉しいな。」


 秤娘は、何も言葉を紡ごうとはしない。


「絶対に自分で、上手な関わり方を身につけるから。」


 あくまでも完璧な自分には、一人でなってみせる。

 そうともとらえられる、蝴蝶の生き方。彼女の道に、秤娘が手を差し伸べる必要も、口を挟む必要も無い。

 もどかしさに、心が掻き毟られたようにざわつくが、その在り方こそが彼女であるという、腑に落ちた納得感もある。


「──そうね、貴女はいつだって、そうよね。」


 真っ直ぐ前を向いて歩く蝴蝶から、視線をずらした。秤娘も同じように前を向こうとしたが、どうしても足元へ視線を落としてしまう。

 考えること、思うことが多すぎるあまり、頭が重たくてとても真っ直ぐ向いて歩けそうにない。


「実はさ。」


 秤娘が何も言えないまま歩いていると、少しだけ緊張したように、蝴蝶がまた言葉を紡いだ。


「私、秤娘に嫌われてると思ってた。」


 はたと蝴蝶の表情を見ると、眉を下げて笑っている。

 確かに。と、秤娘は自らの言動を振り返る。蝴蝶の事をとてもとても強く強く慕っていながら、そのせいで長年の思いのぶんだけ重く、重く捻れている。

 蝴蝶には冷たい態度をとることで、他の者共との差別化を謀ろうとしていたし、なによりだった。

 故に、蝴蝶から見て自身はそのように評価されていても不思議ではないと思っていた。否、

 貴女の事を、誰もが愛してしまう。誰もが愛でてしまう。誰もが優しく、赦してしまう。

 けれど、貴女からすれば、そんなどこにでも居る誰かと一緒のような認識をされるなんて、たまったもんじゃない。

 例え嫌われていると思われようが、秤娘は自身に特別な評価をしてもらえるなら、それで良かった。

 そのせいで蝴蝶を苦しめたこともあったが、そこはご愛嬌。


「この世に、蝴蝶あなたの事を嫌う人は居ないんでしょう。」


 揶揄うように、秤娘は少しだけ笑みを浮かべて返す。

 自分を嫌っていると思っていた人物の筆頭に、そんな風に言われた蝴蝶は面食らい、目をぱちくりとさせる。


「私だって別に例外じゃない。ただ、皆と同じなら、私なんて貴女に認知してもらえない。だから嫌ってるの。」


 自身の言動の全てを話した。簡潔シンプルに、嘘偽り無く。けれど、蝴蝶が秤娘の本意を本当に理解できるとは、秤娘も考えては居ない。そんな予想通り、蝴蝶は哲学の話でも聞いたかのように、難しい顔をして、愛らしく首をこてんと傾げる。

 しかし、少しのあいだ蝴蝶が黙考していると、何か気づいたようにはっとして、手のひらに拳を叩く。


「なるほどね。秤娘と花精ファジン様はどうりで気になるわけだ。他の皆と反応が違うからなのね。」


 ここで突然湧いて出る、秤娘が今最も危険視している強敵ライバルの名前。彼女の心を奪うのは、彼が一番近いと睨んでいる。

 花精も蝴蝶の誘惑に靡く素振りが無い。故に、蝴蝶は二人へ似たような違和感を抱いていたのだろう。


「蝴蝶は、そんなに花精様の事がのかしら。」


 口をついて出た、疑問。

 ずっと聞きたかった。聞きたくもなかった。波打ち際のように、心の中が満ちては干いて。蝴蝶の言葉一つで、秤娘という女は満たされ、そして干枯らびるほどに飢える。

 ずっと、蝴蝶と花精の関係が気になっていた。始めは気にもならなかった。けれど、日を重ねる毎に信頼を築いていき、件の蝴蝶が襲われた後では、恋焦がれる男女のように目を重ねていた。

 ただの提調と医女を超えたそれ以上になってしまっているのでは、と気になっていた。


「気になる──っていうのは、どうなんだろう。気になってないといえば嘘だけど。私、一人に夢中になったことなんてないから。この変な気持ちがなんていうのか、分かんない。」


 蝴蝶が言葉を重ねて行く毎に、痛感させられる。蝴蝶が己の指同士を絡める落ち着かない仕草に、実感させられる。

 秤娘は、蝴蝶のをなんていうのか、知っていた。自身の胸の内に強く居座るその気持ちは、同じようにずっと抱えているから。

 頬を染め、恥ずかしそうに目線を泳がせながら語る蝴蝶は、明らかに恋をしている。

 秤娘が、蝴蝶へ恋をしているように。


「──その気持ち、なんていうか私は知ってるわよ。」


 また、波が干く。心の中に満たされていた波が、干いていく。からからになって、苦しくて苦しくて、早く貴女の愛で潤して欲しいと、泣き叫んでいる。

 なんという気持ちなのか教え欲しいと言う蝴蝶へ、秤娘は薄く笑う。


「違和感。言葉を無理矢理つけるならね。」


 嘘を、ついた。


「あの方は周りと違うから、特別に。」


 嘘を、ついた。


「飛び出た変化というものを嫌う人間には、よく見られる感情よ。でも、そのうち何ともなくなるわ。」


 嘘を、ついた。嘘を、重ねた。


 本当ならば、正しい事をするのならば、想い人の幸せを願うべきなのだろう。しかし、秤娘は出来なかった。

 蝴蝶の幸せを願い、花精への気持ちを教えてやるべきだが、出来ない。偽りの名前をつけて、混乱させる。

 なんとも狡いやり口だと、秤娘は自分自身に呆れる。


 それでも。



「私、意識しすぎてたのね。」



 綺麗に笑顔を浮かべる胡蝶。

 罪悪感と満足感が入り交じる複雑な胸が重たくなって、秤娘は面を下げた。






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恵民署の蝶と花 あドぽ @a_d_p

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